2013年11月28日木曜日

かぐや姫の物語観てきた。

かぐや姫の物語、観てきました。

かぐや姫はジオラママニアで、自分で作った思い出の地をジオラマ作成した後、
「こんな物に意味は無い!偽物だ!私も偽物だ!」
と世界中のジオラママニアをけなすように自分の作品を破壊する恐ろしい女です。
・・・という軽いジャブから。

ネタバレも何も無く、大多数の日本人にはおなじみの物語そのまんま(もちろん多少脚色ありますが)なので、普通に書いていきます。
要約できない映画は駄作と言ったり言わなかったりしますが、一言で要約すると「こんなに素晴らしい世界だから超頑張って生きようぜ」みたいな感じです。自分の人生の物語を見つけていない人間には尖った丸太で突き刺されたように、胸にズシンと来るものがあります。3回泣きました。

まどマギと同じく映像表現からいきますが、もうPVを見た時点からヤバイ感がビシビシ来ていました。完成動画数分に数ヶ月の期間をかけて作るような短編の質じゃないですかあのPV。あの質で2時間やるのか?と心配しましたが流石にあれが一番気合入っているシーンで、その他はあそこまでの勢いはありませんでした・・・と見せかけて思い返すと全編通じてヤバイ。何しろ筆のタッチの画を動かしているんだから1枚1枚統制をとれているのがおかしい。異次元のレベル。仕上げスタッフの人数が多いのも納得。

(ついでに書きますが)風立ちぬで一番良かったシーンは、三菱着任初日。いきなりやってみろと任された仕事の製図の場面。アレは本当に劇場で震えた。同じように、そのシーンが素晴らしかったと挙げていたとり・みきさんの記事を読んだ時には「やっぱり同じ人いるんだ」と喜びました。
そして今回、かぐや姫の物語では都に到着し、お屋敷で「こんな凄いお家に住めるの!」とかぐや姫がはしゃぐシーン。あそこだけ完全にキャラが生きていた。いや、他のシーンも凄いんだけど、あのシーンはモーションキャプチャーで取り込んでも無理なほどに人間らしく活き活きとしていて、なるほどアニメーションの素晴らしさを感じました。

その他には絵画的な表現もふんだんに使われていて、曾我蕭白だか長谷川等伯だか狩野永徳だか何が元ネタか分からんけれど海で戦う龍のシーンとか、ラストの月からの使者が来迎図だったりとか、日本画好きな方にはまた違った見方が出来て面白いんじゃないでしょうか。

そして物語ですが、パンフを読むまでもなく、人によっては冗長じゃないかと思うほどに幼少時代を描く時間をタップリととっている。それによってかぐや姫(or翁、媼)への感情移入が出来る。誰かがかぐや姫がジブリ史上最強のヒロインだとか言っていましたが、そりゃそうしようと意図してますから最強でしょうよ。赤子から少女へ育っていく過程を丁寧に描き、あの自然の中で暮らすことが良かったんだよ~というシーンをこれでもかと描いていますから。・・・とそんなような事がパンフレットの監督の企画書に書いてあります。
まんまとその意図にハマって、中盤からはわらべ唄を歌われるたびにパブロフの犬のように涙が流れ、最後に真実に気づいたかぐや姫の独白聞く頃にはもう鼻水がずーずーですよ。「生きるために地上に来たのに、なぜ生きようとしなかったのか。」いやー響くね、胸に突き刺さるよ。
いつでも生きるチャンスはあった、自分の心を捨てて、恩人の老夫婦の幸せを祈ると決心した時からも、都で偶然であった捨丸に手を差し伸べることや、屋敷を逃げ出すことなども勇気を出せば出来たかもしれない。一途であったが故に自分の決心?それとも生きようとせずに逃げたこと、絶望に伏せったこと?諦めか。諦めてはいけなかった。
しかし気づいた時には既に遅い。最後に捨丸との夢を見たが、儚すぎる結末に美しい映像表現と”あの歌”が追い打ちをかけ、もう許してくれと視聴者が乞う。悲しいお話ですよ。
でも見ている人達にはまだ生きる人生があるから、生きようね。という人間に自由がある限りは未来永劫語られるような普遍的なお話。

構想から8年、制作費50億。回収できるか怪しいけれど、イデオンと同じ、これはもう別格のアニメ映画になったと思います。これ以上に金はかけられる映画はいくつでも出ると思うけれど、8年かけられるアニメーションはもう今後無理なんじゃないですかね。ほんと奇跡的な作品。

最後に女童の存在。明らかに浮いている存在なんだけれど、このキャラが居ることによって正直つまらないシーンも活き活きとする。空間が和んでいた。空間だけでなくかぐや姫自身もだと思うけれど、あの存在は良かった。女の童が映るたびに凝視していたね。良いキャラだった。

では今回は猫の呪文として有名な一首でお別れ。
たち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む

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