2012年12月16日日曜日

第46回衆議院議員総選挙

結論から言いますと野党として頑張ってもらう為に民主党に入れました。因みに前回の衆院選は自民党に入れた。
アンダードッグ効果とか判官びいきというのは無い・・・とは言い切れません多少はあると思いますが、分からない庶民なりに悩み考えた結論として民主党という結論に至りました。今回は本当に迷った。次の衆院選で「こんなアホみたいなこと書いたんだ~」と読み返す用に記録しておきます。(4年後だといいなぁと思う)

当初は前回も投票していた自民党の候補に入れるつもりでした。その候補者はTwitterでフォローしておりツイートの内容や、10人以下しか視聴者が居ないにもかかわらず頑張って続けていたUSTの放送もよく見ていたので、ほぼ投票しようと決めていました。しかしながら話題になった自民党の憲法改正案や政権公約には相容れない為(公約は個別には賛成する部分は多々あります)、投票するのは憚られる。ということから自民党は入れませんでした。大どんでん返しがなければ自民公明で過半数をとる政権が出来上がる流れ という世論調査であったので、圧勝を防ぐ目的もあり、自民党以外に入れようと思いました。
しかし判断材料になりそうなマニフェストは自民と民主と共産しか無いので他の党に入れる理由はほぼ期待感だけになりますが、一応それぞれ考えてはいました。
維新にも期待をしていましたが、解散が年内になったことで政権公約や候補者の準備が煮詰まっていない状態での選挙になってしまった事と、太陽の党との合流で党の方針がぶれてしまったことで無しに。マニフェストも箇条書きでバラバラと並んでいるだけで考えぬいていない感が。何より、この時期に石原慎太郎が連立与党に入る可能性などを想像しただけで恐ろしい。
前回は比例代表はみんなの党に入れたのですが、多少なりともFXで遊んで、経団連機関誌を読んでいると、原発廃止20年台、名目成長率4%、10年で所得5割アップは夢物語にしか思えない。

自分の小選挙区では「自民、民主、共産、維新、幸福」という選択肢しか無いので消去法でモアベターなのは・・・悩んだ。当選しないであろう共産か維新に入れようかと思ったけれど、こちらの討論会とマニフェストを見てどちらも入れられないという事になり、ウーンと唸って民主党に入れました。民主党の候補者もパワハラやったり外国人献金問題あったりと頭が痛く2時間でも3時間でもウーンと唸って悩んでいられるほど困ったのですが、どうしても自民の改憲案や政権公約は支持出来なかった・・・。比例も民主に投票。

自民党の圧勝を防ぐなんて書いていますが、この混迷の時代を力強く引っ張って行く為の、強力で安定した政権与党を求めていたりもします。矛盾していますが。
この修羅場の時に政局で云々かんぬんやっているのはそろそろ終わりにして、救国内閣がどうの言ってた時の考えをもう一度思い出して欲しい。
圧倒的多数の与党になろうとも突っ込める環境と聞く耳さえあれば、ネットを利用したオープンガバメントの流れが来ているので、オープン化された記者会見でフリー記者やネットメディアからの質問をドンドンと受け入れてもらい、選挙の時だけではなく平時も国民からの言葉に耳を傾けるチャネルを開いた、国民と政府(議員)議員との距離が近い状態を確保して欲しいと思います。同時に有権者としては選挙の前後だけでなく自分の投票した候補者や政党の行動を追い、時間と空間を気にすることなくアプローチ出来るようになったネットを活かして政治に参加していきたいです。

民主党の政権運営を振り返ると、マニフェストは野党時代作成だから突っ込んだ野心的内容になるのは仕方がない、鳩山・菅政権は初めての内閣運営なのに脱官僚で政治主導というのも問題であった、そこから国家戦略室だか国家戦略局、内閣人事局も権限が弱すぎて形だけになってしまった。やっとまともな内閣運営になったのは野田内閣になってから、それも結局は事務次官会議を復活したりと自民党時代の内閣に形を戻したような揺り戻しでむしろ官僚依存するような状況らしいけれど、その中でも政治主導の為に政権に入った議員が作った会議が乱立して、意思決定が遅いのか無駄なポストが大量にあるのか庶民にはわけわからない状態。有り得ないことだけれど、もし再度民主党政権になったのなら一旦整理をして再出発をして欲しい。せっかくの二大政党制になりかけで、マスメディア予想では100議席を切るとか言われてしまうと、与党経験のある党が一期だけで消えてしまうのは、今後の日本にとってよろしくないとも思いました。


さて最後に解散を決めた時の野田首相と安倍総裁との党首討論。思い返せばあの命をかけるという意思表示をした社会保障と税の一体改革法案成立に向けた決意からの、凄みをもった人間的な強さに多少なりとも魅せられたという事はあるかもしれません。実行力だの政策立案だのバランス感覚だのもちろんというか当たり前に必要ですが、合わせて
”多くの人が「共感」するワーディングとその共感を下支えする「客観的データの裏付け」”ウェブで政治を動かす! より@津田大介
も必要で、そしてやはり世論を引っ張るカリスマ性ってのは政治家に重要だと思いますよ。ハッタリでもいいんで「こいつはやるな」と思わせて応援したくなる人であって欲しい。その点野田首相は声の上ずりを直したらもっと良いかなと思います。
敬称略

と書いておいたのですが、民主弱すぎ、自民圧勝過ぎますね・・・こりゃ憲法改正発議要件緩和きますねぇ。

2012年12月9日日曜日

空が灰色だから が凄い

まだ週刊少年ジャンプを読んでいた頃、尾玉なみえさんの漫画を初めて読んだ時のような衝撃、いえ、それ以上の雷撃を受けたような感情の感電。一言で言えばぶったまげた。
 絵を見るとまんがタイム系の4コマに載っているような感じの漫画に見えるので、間違いなく手にさえ取らない人が多いであろう、そんなキャラクターが表紙にズンと居座る。しかしその可愛らしいキャラクターを覆うように散りばめられた、軽い嫌悪感を感じる水玉模様。草間彌生的な。そんな小さなヤバさを期待して手にとって見たら大当たりだった。


例えるなら、テクニカルな柔術ベースの総合格闘家と殴り合っているマゾなプロレスラーの気分。どんな攻めをしても絡め取られて、ボコボコに殴られバキバキに体中の骨を折られて極められるような・・・例えなのに分かり難いというのは申し訳ないがまさにこんな状態。
面白い話が来たかとおもったら、地獄の底まで突き抜けるような気分の悪くなる話になり、そこから心の奥の過去のトラウマをむんずと握りしめてそのまま天空高く放り投げ、飛んでいく快感に酔いしれながら登って行き、恐怖とともにトラウマが地面に叩きつけられたかと思ったら、何故か大笑いしていた。そんな感じで作者に振り回されるジェットコースター的な漫画。

絵柄とブラックな笑いがOKで、変わった漫画が読みたいという人にはバッツリとハマるワンダフルなドラマをフォーユーだ。
しかしねぇ3巻の最後の読後感は酷いね。でもまだまだ底が見えない闇を抱えていそうで私はきっと求めるんでしょう、彼女の闇の闇の底の闇を。もっと読みたい。
今日現在既刊三巻まで。

2012年11月28日水曜日

立てこもり事件とネット中継問題


信金立てこもり:ニコニコ動画が中継継続 自粛要請遅れで

立てこもり事件があって、その様子をリアルタイムでネット上に流されると、突入タイミングとかを犯人に見られてしまう可能性がある。というような事で問題があるらしいですが、逆に犯人がネット中継をするような時代でもあるんですよね。
今回の犯人は拡声器を要求したりマスコミを呼べと言ったり、要求は野田首相の退陣だとか、果ては食事を要求したりとお粗末な方だったので、ネット中継して要求を流すなんてことにはなりませんでしたが。
これからはそういった事件も出てくる可能性があるわけで、その場合は犯人の中継をやめさせるように配信会社に中止要請がいくのでしょうか?言論の自由との兼ね合いは?外国の配信サービスだった場合は中止要請出来るのか?
良くも悪くもテクノロジーの進化は個人に力を与えてくれますよねぇ。

そんな事件から思い出したのは、未来を舞台にした物語でのこういった個人の発信力強化の扱いについてです。例えばガンダム00にて、テロリストが軌道エレベーターを占拠する際に、政府の横暴なやりとりが行われているという事をテレビカメラを通じて伝えようとしたら、マスコミが放送中止してしまい、全く世界にアピールできなくなってしまう。インターネットが政府に支配されているというような裏設定があればまた別なのですが、別段そういった話もないので、いやーUstreamで配信しろよテロリストさーんとか思ってしまうわけです。

そういった未来の話で「そんなに未来なのにそれはないでしょー」という事があると、一気に白けてしまう問題がありまして。

最近「なりひらばし電機商店街」というイブニングで月一連載されている漫画を読みました。40年後の東京業平橋にて、電気屋を営む婆ちゃん宅に下宿にきたお孫さんの物語。まさに「そんな未来なのに?」という状況が大量にあるので閉じてしまいそうになるのですが、何故か読ませる魅力があるのです。物凄い面白いわけではないし、未来の話じゃなくて普通に現代商店街物として書いても行けるんじゃないかと思いましたが、いや40年後というエッセンスがあるから書ける話なのかなとも思うのです。
物語の芯の部分に人間ドラマを置いているから些細なしらけも我慢出来るのかもしれません。さてこの40年後の世界でネット配信はどう描かれるかなーと気になったりします。

なりひらばし電機商店街試し読み

2012年11月26日月曜日

のぼうの城見てきた

「戦場にて相まみえると申した!」

という事で、見てきました。のぼうの城。
各所で絶賛されているので良かった所をずらっと。ネタバレも何もない映画かとは思いますが一応見た人用。

・城攻めがたまらない
水攻めの特撮はそりゃ凄いです。しかしそれよりも攻城戦の戦術の描き方が良い。農民達の鬼気迫る戦いっぷり、FPSよろしくカメラ・レンズへの返り血、時代劇らしからぬアングルやカメラワークもまるで戦場にいるようで「うぉ」と思わず声が出そうになる。見せ場を作るためだと思いますが、原作からのちょっとした変更(酒巻靱負と柴崎和泉守との共闘)もいい味を出している。
・騎馬アクションがとんでもない
別に騎馬隊がメインの映画では無いですが、ところどころにあるアクション凄い。冒頭の酒巻靱負の馬上からの飛び降り襲撃アクション、そして終盤の伝令兵というか使番が転がり落ちるように画面に入って来る所がしびれた。騎馬鉄砲、佐藤浩市さんの一騎打ちもカッコイイ。
・西村雅彦さんがたまらない
小田原城のあのシーン。狼狽っぷりは天才的。
・農民
戦の前の訓示(?)の場面で、農民視点で見上げるカメラアングルがあるんですけど、あれは良かった。情けないけれど、こんな人間的な殿様は支えたいみたいな気持ちが分かる気がした。
・雑賀衆のスナイパー種子島が長くてカッコイイ。

オノ・ナツメさんの原作本表紙を意識したと思われる横顔のアップが結構印象的に使われていましたが、成田長親も石田治部少輔もどちらも左向きだったのが気になり申したなぁ。
それと、一番上に書いた台詞の部分で君子豹変的な流れになるはずが、野村萬斎さんの芯の強さが出ている為か分かりませんが、”こいつはいざとなったら出来る男”見たいな空気がもう最初からにじみ出ていて、台詞の強さが霞んでしまう。いえ些細なことなんで映画としては全然もう大変に良かったんです。

邦画を見たのは2年ぶり?前回のノルウェイの森、十三人の刺客から2011年~2012年前半は一切見ていないので久しぶりでしたが、いやぁ日本映画も面白いなぁと見るたびに思いますね。でもアレなのが沢山ある事も分かっているので、見に行く邦画は絞ってしまう。やっぱり信頼出来る評価を下す人の情報を頼りにして見に行く作品を限定するというのは色々と助かります。そういう点では「桐島、部活やめるってよ」は見たかったのですが、いつの間にか終わっていた。

2012年11月22日木曜日

自分ランキング問題

「謙虚ライオン!」今回の結論です。

 めしばな刑事タチバナという漫画に、カレー大好きな早川という脇役の男が登場する。
雑食であらゆるB級グルメを評論的に食べる主人公タチバナは、物語内の登場人物達(&読者)にわかりやすく説明するために自分ランキングを交えて食べ物を語る。俺の一番好きな牛丼は~~~の~~~だ!なぜならこれこれこうだからだ!というように。
しかしカレー好きの早川はランク付けをしないため、なぜランク付けをしないのかを主人公に問われると「世の中にまずいカレーは存在しなくて、カレーをまずいって言う人がいるだけだ」と根本として比較の問題には踏み込まない。
ここまでは前置き。

盛大にRTされているこんなツイートが目に入った。


別にアニオタを名乗ることが悪いわけじゃないですし、これもネタだと思いますが、実際有り得そうな話で。このツイートで特に面白いのが、アニオタなのに「ヲタというほどではないですが」という所。じゃあ彼はどこまでいけばオタクだと思うのか?それはオタク第一世代の知識に追いつき、対等に語れるようになるという知識面?若しくは稼いだカネ全て趣味に捧げる覚悟or趣味を生涯の仕事とする覚悟を持った時。かな?と思います。
安易にアニオタを名乗っちゃう人は何が違うのかと考えると、オタクの定義が違うとか断じてしまえば簡単ですが、オタク is dead・・・ではなく、本物のエリートが近くにいなかったり、観測範囲が狭すぎるという話でもあったりだと思います。もし趣味に命を捧げる本物のオタクを知っているのであれば「それと比べたら自分なんかはとてもとても」という謙虚さが。知らないのであれば”上”を知るという視点を広げる術が足りないのかなーなんて不思議に思いました。
不思議。だってデジタルネイティブとか言われて、物心ついた頃からインターネットが存在しているボーイズエンガール達が狭い世界で生きているだなんて、なんとも不思議じゃないですか。そもそもアニオタってなんだ?とかてへぺろってどこから来た言葉なんだ?みたいな、語源を辿ろうと思わないのかな。これは偉そうに政治や経済にツッコむ己に自戒を込めて、ですが。

さて、冒頭のカレー好きの人がランク付けをしない話と繋げ、そして私怨のような事ですが、「アトムから始まって今現在の深夜アニメまでほとんどチェックして評論している」ような人がいて、「アニメ好きすぎて自分で作っちゃった」みたいな魔物がウジャウジャといる世界で、自称アニメ沢山見ていますボーイが『僕の好きなアニメランキング』というハリボテの城をぶち建てちゃうなんて恐れ多い。並ぶ作品は全部2000年以降の作品(そういう人が最近居た)
ましてや全くもって基準や前提を示さずに只々作品名と順位だけのランク付けをしてしまうという。嗚呼、なんという恐怖。(ゼロ年代アニメランキングとか明示してれば全然いいんですが。その場合はもちろんその年代のアニメをほとんどを見ている前提で)
「何が恐怖なの?」という思いもありますが、個別の作品を批判したり褒めたりは全然問題ありませんが、それぞれの作品を比べてランク付けをしてしまう事を、たかだか10年そこらの作品の範囲内で若造がやってしまうのです。エンディングにクレジットされている人達の名前を見て、何人の人が関わって命注いでいる作品なのか気にしないのかな。どういう基準で選んだのか何が劣っていたのか示さないと納得いかんですよ。なんと恐れ多い。恐れながら申し上げて欲しい。
その点前述のマンガにおいては、主人公タチバナは前提や基準や理由がしっかりと描かれているので好きです。

また話は脱線しますが、そういった昨今の、”一般人「あ、俺アニオタっすよw」”という人々の出現は、日本のマンガやアニメなどが世界各国で認められ、文学や映画のようにひとつの趣味として市民権を得た事、そしてYoutubeやニコニコ動画に代表される動画共有サイトの巨大化に伴って勢力を増し、さらに深夜アニメの大量生産大量消費と相まって、「沢山の作品を見ている俺アニオタ」という自負にも繋がり、ゼロ年代以前の作品に触れていない歴史の連続性を無視した自称アニオタが蔓延る原因になっていると思います。なんつーことはそこら中で書かれているとは思いますが書かずにはいられなかった。更に突っ込むと、上のツイートではワンピースですが、分かりやすくする為に作品名を上げさせて頂きますが、涼宮ハルヒの憂鬱、とらドラ!、化物語が入り口の人達じゃないかな(それぞれ素晴らしい作品だと思いますが)。

いえ、逆にこのインターネット環境&DVDレンタル50円~100円のお陰様で過去作品を振り返る手段が安易になり、ウルトラQからのウルトラマンシリーズ全話見ていたりする小学生がいる時代でもあり、前世代の人の知識に(ある程度)追いつく方法は簡単になりました。しかしねぇ、それをやっていないゼロ年代以降の作品のみを基準に偉そうに『俺様ランキング』を語りってしまう人々がねぇ、たまらなく恥ずかしいんですよぉぉぉぉ~・・・
とか偉そうに言ってしまっている事も、さらに自分が似非オタクとか名乗っている事も恥ずかしいんですよぉぉぉぉ~


ひたすら批判をしましたが、それで私が溜飲を下げるのはこのブログが私のものだからです。でも本当はね、自分ランキング良いよ!私もランキングが好きだ!あなたの好きなもの、どういった理由で好きなの?それとそれを比べてどういった理由でその順位なの?なぜその作品の方が上なの?是非とも語って欲しい。知りたい。自分の”好き”をもっと「理由を付けて」ぶっ放して欲しい。
その自称アニオタさん達のおかげでアニメ作品という共通言語を持って若い世代と交流出来る事や、アニメやマンガを担う世代が続々と成長していること、そしてソーシャルビューイング的な多くの人々と一緒に作品を楽しむような、新しい作品の消費の仕方が生まれてきたのは嬉しい限りです。なので。せっかく、なので。さあ過去の作品も見てみましょう、一緒に。

2012年11月16日金曜日

隣人を愛しながら注意もしよう

緒方恵美「本当に好きでいてくれるなら」

上記内容の発端の話はデマだったらしいですが、内容には考えされられるものがありました。自分がすぐに思いついたのはコンサートのオタ芸ではなく、今年8月15日の靖国神社でした。

終戦の日の靖国神社。それはもうどえらい人が来る。老若男女様々な人々が集まりますが、基本的には戦争で亡くなられた方々の追悼と鎮魂の為、静かで厳かな気持ちで行っていると思っていて、少なくとも自分はそういった思いでその場に行きます。しかしながら上記の例であるように様々な人がいまして、自分が目立つために行く(ように見える)方々もいらっしゃいます。
多くの人々が参拝に訪れるので、賽銭箱前に列を作って並ぶのですが、夏真っ盛りの8月15日、ひたすら熱い中を黙って並ぶという行為事態にも何かしら儀式めいた事を感じますが、その中でもお友達と来ている人々は流石に退屈なので雑談を始めます。
今年の出来事であり、また自分が公開したことなのでかなり記憶に残っているのですが、恐らく20代前半の大学生二人が、自分の前に並んでおり、ネットのニュースの話やらゲームの話やらおよそその場に似つかわしくない話題を、かなりの大声で、盛大に笑い、30分近くにわたって喋り続けている。その二人の前には7,80代の老人が何人も汗を垂らしながら並んでいる。
「静かにしましょう。」
その一言が言えなかった。悔いている。

生来のビビリであることが大前提としてありますが、ひたすら考えてしまった。
そもそもこの場に来ているのであれば、ここに来ない人々よりもまし?
いや来ている人々の気分を害するのであればいない方が。
そのうち静かになるだろう。
いやしかし、話は終わらないな。
前の老人はどんな気分だろう、私が言ったほうが良いな。
いや、もしかしたら盛大に逆襲されるかも。
――などという考えが頭をグルグルと回り、彼らは結局最後まで喋り続けた。
自分は何も言えなくて夏。

結局のところ自分と違う考えでその場に居る人の気持に配慮が出来ない、想像力が足りないというような陳腐な結論になってしまいますが、果たしてそれはどうやって身につくのか。周りが言ってあげて「ああそうか」と気づかせてあげないと駄目だよね。と、上記まとめで再教育されました。
ほんの少しの勇気が場を変える。かもしれない。ちょっとだけがんばってみる。

2012年11月13日火曜日

購入したデジタルデータは誰のモノ?

(11月16日追記)
twitterに書くと長くなりそうな内容や、記事を読んで思いついた事を書き留める為にブログやっているはずなのに、しっかり結論出さなきゃとなーと思いながら、下書き記事が溜まる一方な訳で、もう結論とかでなくてもちょこちょこと小出しにしようと思います。いやー頭の中に溜める一方では駄目ですね。

今回の投稿のきっかけは2012年11月8日の日経朝刊AET REVIEW「文房四宝」とは何を指す?という記事。
「文房とは書斎、書斎に常備され使用される道具が文房具で、その4つの宝が硯、筆、紙、墨。その中の王者とされるのが硯だ。」という説明から始まり、中国の古い硯や日本での硯愛好家の紹介、硯産地の宮城県雄勝はまだ生産が回復いないという話などが書かれていまして、そこからそういえば漫画の蟲師に硯の話があって心にじんわりきたなぁと思い出した。

時代を超えて愛される文房具。蟲師も時代を超えて愛されるべき漫画じゃないかな~なんて考えていたら、本だとボロボロになるしデジタルデータになったら時代を超えて延々と見続けられるなぁ・・・と電子書籍に思い至りました。
さて、 Amazonで買った電子書籍は再ダウンロードもでき、クラウド上に自分の本棚を作る夢のサービス。大量に本を購入したAmazonのアカウントは資産になるように思えるのですが、自分が死んだらどうなるのでしょうか?
離婚の際、デジタル資産はどうやって清算する? 
電子書籍の相続問題や、離婚時の精算についてはほとんど「どうなるんでしょう?」という記事しか見つからないので、先輩である音楽データについて調べますと、

「俳優B・ウィリス、アップルを楽曲の相続規定で提訴」は誤り--妻のE・ヘミングが否定
ここでは結局訴訟もしないし、事実ではないみたいな事で良くわからない話になっていますが、事実としてiTunesで購入した音楽データは購入ではなく借りているだけなので、所有権移転は出来ないという話になっている。でもDRMフリーになったので自分のものになるような話もあります。電子書籍も同じ事になるのでしょうか?軽く書こうと思ってるので規約文を読むまでは行きませんが。

ということで借りているという話で進めます。ネット上に自分の本棚を作れると思いきや、結局雲の中に浮かぶ本棚を間借りしてAmazon図書館さんに、おねげーしますだーとお借りしてる本という現実になる。永久に壊れない本棚という無想は露と消えました。(DRMフリーだから大丈夫という方いましたら教えて下さい)

しかし、これが本当ならばまさにソリューションチャンス。永久は無理だとしても「会社が存続する限りは何度でもどの端末でも再ダウンロードも可能で所有者もあなたです!」というサービスは一定層にかなりの訴求力があるのではないでしょうか。特にお金持ちの皆様は子孫に残したい本、つまり孫にもひ孫にも、1000年後の一族にも読んでもらう為の知の伝承を可能にするサービス。家訓などを筆に書いた文章を額に飾るのではなく、そのクラウド上の本棚の本を読ませる事で、その家系の知の結晶が手に入る。何代目の~~が入れた本、野田家の絶対読む本リストみたいな。
米国ではそういった成功や失敗を元にした効率の良い学習が伝承出来ていて、日本では前世代の知識が効率良く引き継がれない、というような話を読んだことからこんなことを思いました。あ、本のタイトルだけを掲載するWEBサービスでも良いですね。それはそれで永続企業なんつー幻想が必要ですが、NPOとか財団法人とかなんかそういう強そうな団体がやっても良いんじゃないですかね。クローズドなブログでも出来そうですけれど、やっぱ何かに特化したWEBサービスというのは面白そうでして。

 そんな事を思っていたら、「定額制サービス」というキーワードからまた別のサービスを思いつきました。相当先の未来か、あるいは実現出来ないというような話でしょうが、一つの出版社か若しくは複数の出版社がまとまり、その会社が今まで出版した本すべてを一定期間読み放題にするというサービス。上記の永久サービスとはある意味逆で、期間は区切るけれど本はどれでも読み放題。もちろん本はそんなに沢山読めるものでは無いので、期間は長く幅を取り1年3年5年10年という長期間で、なおかつ高額サービスになると思います。しかし代金を先取り契約も可能で安定収入を見込めるため、出版社としては悪くは無いのではないかと思います。契約した家族皆が読めるとか色々とオプションも考えられます。

また、更に派生して、まー・・・これは本当にSFの領域ですが、脳みそを機械に直結する電脳化が可能になったとして、補助記憶としてのサービス。 検索は幅広く文章単位で検索し、そのデータを脳みそにダウンロードするには必要な文章単位でも支払いが可能とか、今月使用した外部記憶使用料のように、アクセスした文章の単位で支払いするとか、記憶せずにクラウド上の知識を利用する為の料金みたいな。

さて結局長々と書いてしまいましたが、端末にダウンロードしたらそれを和紙に印刷して本棚にしまえば長期間保管できていいんじゃね?という話でした。

(追記)
ちょうど疑問に答えてくれた記事がありましたので追記します。

あなたが買った“本”は、勝手に消されてしまうかもしれない
実は、アマゾンのキンドルストアをはじめとする多くの電子書籍サービスでは、コンテンツを販売しているのではなく、ユーザーが利用規約を遵守することを条件に、コンテンツを使用するライセンスを提供しているに過ぎない。ユーザーが利用規約に違反した際には、コンテンツ提供側はユーザーの電子書籍端末からコンテンツをいつでも削除できる。   アマゾンジャパンの「AMAZON KINDLEストア利用規約」には、以下のようにある。  「Kindleコンテンツは、コンテンツプロバイダーからお客様にライセンスが提供されるものであり、販売されるものではありません。」
ということですが、これから時間をかけながらDRMフリーの方向に進んでくだろうと勝手に楽観はしています。

2012年10月31日水曜日

東京旅行のまとめが書きたかったね という話

東京旅行のまとめを書こうと思って早一ヶ月、二ヶ月。いやー早いですね。
文化系トークラジオLIFEで「東京論2012」という回があるんですが、そこで中沢新一さんのアースダイバーという本について語っていて、それを読んでからまとめようかなぁなんて思っていながら結局読まずに10月が終わってしまうので、別に何も読むところはありませんが、1本だけ10月中に記事を上げたいので・・・という投稿です。あまり意味は無いです。

上記のLIFEの放送で、アースダイバーでは300万年前の縄文時代の地図に今の東京の地図を重ね合わせる。すると墓地・霊的な場所に東京タワーが建っている。鬼門、裏鬼門という風水的な配置になっている、増上寺の東京タワーと浅草寺のスカイツリー。
最近アニメでは東京が描かれなくなったがゲームでは全然東京が舞台になるといった話や。80年代のアニメではメガロポリス的(ネオ)東京としてバブル感満載で描かれる。土地の記憶を掘り起こす伝奇化する舞台として使いやすい、その最高峰がパトレイバー。あまりに凄すぎて次の矢が打てないらしい。95年のエヴァを境にアニメーションの舞台は地方へ行ってしまった(聖地巡礼スタート)。
またブラタモリでも300年前の江戸時代からの流れを確認している。

そして地方では商売にならないこともある程度の人数がいることで市場が成立する。今はクリエイターたちも上京せずに地方にいる。ネットで仕事も作品発表もできてしまうから。唯一来るのもライブだけで客もライブのために東京に来る。規制緩和で夜行バスが安くなった事がその流れを産んだ。しかしそれも高速バスの事故で再度規制が入り、逆行の可能性が出てきている。  

グローバル化する中ではこれから日本の中の東京ではなく、世界の中の東京としてどう発展するかみたいな話も興味深かったです。LIFEはそんな感じで面白かった。




東京を舞台にしたフィクションを見るには東京の地理がわかっていると相当に楽しいのだろうなぁと都会に住む人々に嫉妬します。最近ですとコッペリオンという2036年のお台場原発がメルトダウン事故を起こし、放射能に汚染された東京を舞台にした― という設定の漫画を読み始めたのですが、何しろ背景が素晴らしいので、あそこがこうなるのか~という楽しみ方が出来てよいと思います。背景だけは素晴らしい漫画です。

また、やはり映画ですとニューヨークを舞台にした物語がよくありますが、いずれマンハッタン島に行ってみたいなんて思ってしまうのは、韓流ドラマを見て韓国に行ってしまうという考えと同じなのかな~なんて人間そんなに変わらないものだなぁなどと思ったりしました。

年末にまた行けたら行きます。大都市は楽しいですね。

2012年9月14日金曜日

夏の東京はアツゥイ 4日目

15日 靖国神社に向かう。

街宣車の騒がしい目覚ましに起こされて、向かう途中の地下鉄の駅の入口にフルアーマーな警官が立っている物々しい警備。移動中の先々の道路脇に機動隊のバス、覆面になっていない覆面パト。この日特有の異様な雰囲気には慣れはしませんね。
ハマーの街宣車を初めて見た

毎年この終戦の日10時に放鳩式という式典があるのですが、それが毎回キレイに撮れないので今回もチャレンジしてきました。今年はやっとそこそこ良い感じで撮ることが出来ました。


冷たい麦茶をどうぞ~と振舞っているスタッフがいて大変ありがたい。
軍人コスプレしているおっさんたちがいて。普段間違いなく接することのない闇の住人であるオーラがプンプンする、迫力のあるビシっとしたスーツを着たイカツイ人々が沢山いらっしゃっいますが、ここなら警官も沢山いるので目を合わせても大丈夫。人間観察経験値がもりもり上がります。今年は、靖国通りでチラシ配りしている法輪功のチャイニーズに対して、おっさんが政治トークバトルをふっかけていたのが熱かった。
ニコニコ生放送でも中継をしている一般の人が二人いて、配信者も見つけましたが、何をやっているかを知っているとニヤニヤしてしまう姿ですね。公式生放送番組もあったようですが、どうやら離れたところに居たらしく見つかりませんでした。
帰りに見た時には軍歌カラオケ大会状態になっていました


参拝と正午の黙祷を終え、一旦離れてお昼ごはん。

この日の昼食は、神楽坂寿司アカデミーという2,980円でお寿司食べ放題に行きました。TwitterのTLにお店の話題が流れてきたので、旅行前に調べて予約しておいたのですが、8月頭の時点で週末は相当先まで予約で一杯らしく、実際お店でお寿司を頂いている時も、予約の電話がひっきりなしにかかってきており、さらに店に予約をしていない客がフラッと来ては「予約してないと無理なんですー」と追い出されていて、不思議な優越感に浸れます。





さて、こちらのお店は寿司職人養成学校の見習い職人さんが握るから安いよというコンセプトで、ネタは良いけれど握りがいまいちで、ウニに至ってはちょこんと配慮なくタダ乗せてあっただけで思わず笑ってしまった。もちろんお値段に比較して随分と満足させてくれますので、コストパフォーマンスは大変良いと思います。回転寿司風味のサイドメニューが癇に障る人は酢の物頼むと良いです。

お腹いっぱいになって涼しいお店から灼熱の炎天下に戻る。靖国を通り抜けて千鳥ヶ淵に移動。靖国の祝祭的空間とは打って変わって静まり返り、まさに鎮魂という佇まい。今年も出入り口の托鉢している坊さん(尼さん?)が気になったけれどスルー。来年は小銭を入れて宗派を聞いてこよう。


午後もいい時間になり、前日の特撮展を全部見られなかった事がずっと心残りで、会期中にもう一度来ることなどないだろう― という事で、結局2度目の特撮展に行って来ました。
いやぁやはり特撮映像が凄まじい。阿呆のように見終わっては再度後ろに並び、見終わっては並びを繰り返し、前日と合わせて5回見ました。それだけ凄い。
初めて見た時の衝撃は心臓を鷲掴みにされるレベル。その・・・煽りとして「鳥肌注意!」とか馬鹿にされる表現があるんですが、いやね、本当に鳥肌というか背中に何かがゾワゾワくる恐怖と、巨神兵の放つ陽電子ビームでブッ飛んでいく街並みの終末っぷりの凄まじさにカタルシスを感じ、ちょっとナレーション大きすぎというかウルサイだろうというくらいに思っていたけれど、あの音量じゃないと映像に負けちゃうんですよね。それであの爆音ナレーションなんでしょう。「恐怖こそが神の本質」という舞城王太郎の言葉が冴える。9分3秒で映像が終わり、最後の最後に「ブツッ!」という完全に作品外の音が鳴るのですが、あれがなければもう茫然自失し、その場から動けなくなるだろうと思います。あの音で我に返る事ができる。
完全に世界の終わりの只中に放り込まれる映像。序盤~中盤はいちいちニヤリとするシーンもある、しかし後半は怒涛のひたすらの圧倒的破壊シーンによって、本当に「為す術がなくなった人類は祈るだけ」状態。何度でも見たい。
狂ったように連続視聴した後、次のコーナーでは特撮映像の作り方のネタばらしを贅沢に映像と制作時のノートなどによって公開してます。映像視聴→ネタばらし→映像視聴→ネタばらしというループをすることで最高に楽しめると思います。

展示物もどっからそんなに集めてきたんだ?という年代物の、なんでも鑑定団の北原さんがうれしそうに鑑定しそうな物品が山のように展示されている。そこここに庵野監督の愛のこもった解説があり、その愛に答えた個人収集家達が展示協力したらしく、作品名と解説の下に「個人蔵」という物品が数多くある。帰ってきて図録を見ますと「なべやかん」の名もありました。
これを書いている時点ではまだ会期中なので、これから行く方は少しでも良いと思ったら図録の購入をオススメします。インタビューが数多くあり、また展示数が多すぎるが故にオススメされていた作品について忘れてしまいがちなので、振り返る資料として良いと思います。


楽しかった旅行も終わり。

ゆで太郎 もりそば
新宿でバスに乗って帰る前に、ビビりながら早足で歌舞伎町のいわもとQに言ってお蕎麦をすするのがお決まりのパターンになりかけていましたが、ふと目に留まったゆで太郎に入る。もりそば260円という驚異的コストパフォーマンスでありながら、茹でたての蕎麦を食わせてくれ、ツルリとした喉越し良い蕎麦で旨かったです。確か漫画めしばな刑事タチバナにて語られていた立食い蕎麦屋という事で目に留まったのだと思いますが、そういう田舎にはないチェーン店というのも、東京に出張った際に食べるのが楽しみです。
その漫画は漫喫で読んだだけなのですぐに確認できないのですが、天ぷら革命ふじ好ってのは載ってたかなぁ?靖国通りを歩いているときに「天ぷら革命!」という看板と、日差しの激熱い外から店内を見ても、そらまた暑そうにねじり鉢巻のおっさんが天ぷらを揚げていて大変惹かれるものがあったのですが、何しろ食べ放題の店に行った後ではハシゴなど出来るわけもなくスルーしてしまった。次があったら行ってみたい。


以上。新宿から安いバスに乗って帰りました。最後にまとめを書くかも。

2012年9月2日日曜日

夏の東京はアツゥイ 3日目

 14日 横浜美術館へ。
帰ってきてからのニュース記事ですが。
土地公社、来年度廃止へ 横浜市 負債1500億円肩代わり

総務省の調査によると、横浜市の公社の保有地額(簿価)は二〇一〇年度末で、約千七百二十八億円と全国最大。二位の愛知県の約八百五億円を大きく引き離して いる。 横浜市の数字を押し上げているのは、保有地額の七割を占める、みなとみらい21地区の土地だ。市管財課によると、民間による虫食い開発を避け、計画的な 街づくりを進めるため、区画整理前の一九九三~九八年に公社が先行取得したという。

みなとみらい駅から横浜美術館へ向かって歩く途中、日産本社の下層部分を「ヴォースゲー」と思いながら通りぬけてつらつらと歩き、名だたる企業がでかいビルを建てているみなとみらい臨海地区を横目に進むのですが、たまに不思議な空間が空いているので売れ残りってのはあのことか― と思ったのは帰ってからこの記事を読んで。やっぱり現地を見ていると情景が浮かんでニュース記事の理解も深まりますね。
そうしてたどり着いた横浜美術館ですが随分と開館時間までに時間が あったのですが、特に予定は無いけれど周辺散策すれば良いかな~と思っていたところを雨に降られてしまい、普段は車で移動している為に天候などは雪以外は大して気にしていない生活であった事を思い返し、「雨の日は憂鬱・・・」そんな言葉に重みを得ました。


美術館周辺が工事中でその周囲を囲っている壁に美術家の名言集が書いてあって面白い。



奈良美智、君や僕にちょっと似ている展。こちらもニコニコ生放送での放送をきっかけにして見に行きました。ダンボールに描いている作品以外は、ほとんどガラスに覆われていない ため直接見ることが出来ます。ありとあらゆるモノをキャンバスにしてしまう”お絵かき楽しす”精神が溢れる。特に良かったのは今回初挑戦したという巨大なブロンズ像、その中でも真夜中の巡礼者が素敵だった。巨大な生首のほうがインパクトがある中、唯一全身をとらえている作品で、曲線の美しさの造形と、照明のあて方による顔部分の影の深さと、床に落とす3つのシルエットの妙。ユーレイのような姿。ぐるりと作品を中心に回ると、暗い顔を覗きこみたくなるように配置とライティングをしていながら、やはり後ろ姿が一番美しいのが面白い。悲しみは見えない方が良い?悲しみと共にそれでも歩き続ける姿が美しい?そんな風に見えます。雰囲気は上記放送と取材されている方がいたのでこちらのページもどうぞ。
本展は地元中学生の夏休み課題になっているようで、一生懸命に模写したり感想を書いたりするキッズと、合わせて単純にファミリーと女性に人気なので自然と賑やかな空間になり楽しく鑑賞できました。「かわいい」の言葉の数に脳みそが侵食されるほどに美術館内が「かわいい」に覆われています。

― と思って鑑賞終了すると、常設展示も企画展のチケットで見られるという事で回ってみると、シュルレアリスム大好きです!と収蔵作品が叫んでいるように猛烈 なインパクトある作品の数々を終わりに見せられるので、大変楽しいのですが疲れてしまいます。常設はフラッシュ無し撮影可能。


焼き豚とろろ丼的な物、旨い
午後もいい時間になってしまい、次の予定が切羽詰まるだろうと分かりきっていながら、それでもせっかく横浜に来たのだから中華街行きたい!と勢いで行って来ました。元同僚の働いていた店のエピソードを聞いていたのでそちらのお店を調べたのですが、ちょっと手が出ない感じのお店だったので、軽く検索して良さ気な所にふらーっと入る。完全に女性ター ゲットのお店っぽくて引きそうになりましたが普通に案内されたので飯をさーっと食べてさーっと出ました。中華街はフェスティバルでもやってるのかという様相ですが、そのお店は落ち着いた雰囲気で、これは女性が居座るのも理解できるという感じでした。
お昼を食べたお店、悟空はお茶屋さん。2Fが喫茶になっている。
関帝廟。屋根の造形と配色がすんごい賑やかで縁起が良さそう。


そして次の東京都現代美術館の特撮博物館展へ。 しかし到着は閉館1時間前、中華街の寄り道がまずかった。疲れきった体で展示を回るけれど、これはもう1時間では全然時間が足りない内容で、前半をじっく り見ていたらもう時間内ですので~とずいずい奥に進むように即され、目玉の特撮映画だけはしっかりと見ましたが、基本的に早足でどんどこと進みました。しかしここにはもう一度来ることになります。あまりに凄すぎて。
4日目に続く。

2012年8月25日土曜日

夏の東京はアツゥイ 2日目

8/13 東京都美術館、マウリッツハイス美術館展に向かう。
ニコニコ生放送で画家が解説する番組見て、行って本物を見よう思いまして行って来ました。
二日連続で盛大な行列に遭遇。上野の森美術館でのツタンカーメン展が大盛況なようで、朝っぱらから子連れのファミリーが沢山並んでいまして、「最後尾はこちらではありません!」とか行列管理スタッフが叫んでるの。毎日がお祭りかと思ったね、東京は。

そんな行列を尻目に、目的の東京都美術館の前に行きますと、なんとこちらも並んでいまして「60分待ち」とかいうプラカード掲げてるんです。遊園地ですかここは?と思いながら汗を垂らして並びます。しかし建物の影に沿って並ばせたり、パイプテントを設置したりとなるべく日陰に誘導し、途中からは給水所まで設置するというサービスっぷりで、前日の「皆が参加者」のコミケと比較してしまうと、こちらはお客様として扱われ、行列の中で日傘を遠慮無く広げる方も多数いらっしゃるので、昨日のコミケ参加者大多数が、如何に好きな事の為にストイック(?)というか回りに配慮しているかを感じます。(もちろん「傘をささないで下さい、これは雨じゃない!」とか叫ぶスタッフがいてこそですが。)

涼しい館内に入ってもゆっくりと鑑賞というわけにはいかず、途切れることない行列の壁と戦い、なるべく空いている絵を探して見たりと忙しい空間でした。目玉のフェルメール:真珠の耳飾りの少女に至っては不思議なポールに覆われてまたも行列管理されています。最前列で見る人はしっかりと行列にならんで、歩きながらの鑑賞を強いられ、絵の前には10秒に満たない程度しかいられません。(その行列越しに少し離れて見る場合は制限時間なく見られます)
こんな機会は二度とないだろうと、少し離れた黒山の人だかりに並んでじっくりと見てきました。黒い空間で振り返り、光が当たって強調された女性のその目線に射すくめられ、しっかり見ようなどと思わなくても目をそらすことができなくなる魔力がある絵でした。トローニーという特定のモデルが居るわけではなく、人物の表情や感情を描き出すための習作らしいという事ですが、存在しない人物の創造という点で、マンガ文化の日本人には親和性が高いのかもなんて考えたり。
上記の放送で紹介された作品をメインに本物を見ていますと、放送とは違った印象を受けることが多々あり、例えばレンブラントの自画像は、放送ですと瞳が真っ黒に塗りつぶされて恐ろしい絵に見えたのですが、実際見てみると僅かな色の変化がしっかりと入れてあり、まったく違った印象になりました。やっぱり本物を見る必要ありますね。
最後のギャラリーショップに、絵画に描かれた耳飾りについて「これはデカすぎて真珠じゃないだろ」的な考えを吹っ飛ばす、宝飾品メーカー(すみません名前忘れました)提供の超巨大真珠がガラスケースに鎮座しており結構見どころになっています。宝飾品に興味なくてもあれは凄いです。

一旦美術館を離れまして、腹ごしらえにアメ横に移動。500円でカツカレーが食べられるというクラウンエースというカレー屋さんを探したのですが探し疲れてしまい、疲労と空腹とで目に入った「かっぱ寿司」というお店にふらっと入ります。カッパのマークのお店とは関係無く、しっかりと握ってくれるお店です。店の前の看板に大変お安い料金が書かれていたので、大して期待をしていなかったのですが、相当握り込んでいる実力とフランクな会話で楽しませてくれる職人さんに当たり、美味しくランチを終えました。煮穴子が無かったのだけが残念です。

西洋美術館前 ロダン 地獄の門
午後は国立西洋美術館のベルリン国立美術館展に向かいます。こちらも目玉はフェルメールで作品は真珠の首飾りの少女。人の入り状況が全然違うのですが、こちらのほうが全然ゆったりと見ることができます。閉館時間近くに行ったということもありますが、大人気のフェルメールについても周りに小さな柵があるだけで、近距離でじっくりと見ることが出来ました。大航海時代後の黄金時代を伝えるような豪華な衣装と真珠の首飾り、テーブルの上の中国磁器。ぱっと見はそんなものは目に入らずに画面中央に真っ白な空間をバーンととっている大胆すぎる構成が、バブリーな余裕を感じさせます。
もう一つ、クラーナハ(父)のルクレティアも「こんなロリ絵画を描きおってけしからん」とじっくりと見てしまいましたが、解説を読みますと、どうやらその鑑賞者の視線そのものをディスった絵であることが分かり、数百年の時を超えて画家にぶん殴られたような感覚を味わいました。
後、立体作品がかなり沢山あったので、当時の技術の高さにビビります。
閉館後は庭にあるロダンの彫刻をぐるりと回りましたが、アレを眺めているだけで半日は潰れそう。(閉館後なのにちょっと時間をくれた学芸員さんありがとう。)

時間があったら国立博物館にも行ってみようなんて思っていましたけれど全然無謀でした。いやぁ~上野恩賜公園やばいね、 一週間は楽しめそうな場所です。

この日は翌日に備えて横浜に移動し、某配信者さんオススメのビデオBOXにて泊まる。しかし「ホテルがライバル」というコピーをデカデカと掲げながらも、タバコ臭がエグい空調と、リクライニングチェアのベトベト感がなんとも言えない不快さ、加えてクローバーフィールドなんてものを借りて見始めてしまったので、全然眠れませんでした。
翌日に続きます。

2012年8月23日木曜日

夏の東京はアツゥイ 1日目

盆休みに田舎者が東京に行って来ました。その旅行記的な覚え書き。
8/12 82回コミックマーケットに向かう。
ここ二年ほどで参加するようになった新参なのでやっと勝手が分かり始めた所で、今回はTwitterでコスプレイヤーさんと絡みがあって、大変おもしろい方なので会えるなら会っておこうってなことで初めてコスプレ広場に行ってみました。
どこが道なのか分からない人だかりの中で、大量のカメラボーイ達に囲まれる美しく着飾ったコスプレイヤーを中心に、撮影空間だけがぽっかりと空いている様がなんとも不思議な空間で、中央や日陰などいい場所を人を集めるパワーのある人が占めていてヒエラルキーがわかり易かった。礼儀正しくルールを守りさえす ればあの空間でバシャバシャと撮りまくれる訳だからそりゃ繁盛しますわなぁと思いました。目的のガールは可愛くて声かけるのに躊躇しましたが、コスプレを楽しんでいる感溢れる素敵な方でした。
そして毎回チャレンジしている某有名作家さんのブースでのコピー誌ゲットは今回も不発で、これは一生 無理なんじゃないかと諦めてしまいそうになりました。しかし、アレだけ頑張って待ったのに一切の恨みもなく、むしろ次は来るかな?(来るか来ないか毎回分からない人です)という期待してしまう、そんな魅力がある方なので次も待つと思います。しかし夏は殺人的な日差しと熱気がきつい・・・
ビッ グサイトからの帰りは今までゆりかもめからの眺めを楽しんでいましたが、宿は浅草にとっていたので今回初めて水上バスで浅草に向かいました。この日のビッグサイトからの移動はどこもそうだと思いますが、大量のオタクボーイズエンガール達と観光客が入り交じってカオスな空間になっております。1100円払う 価値がある楽しい船旅でしたが、待ち時間を考えるとちょいと時間が勿体無いかもしれません。水上バス船尾から眺める隅田川と川べりのビルの風景も楽しいの ですが、何しろ海のない県に住んでいるため船自体が楽しい。スクリューに撹拌される水面を見ているとなんだか心が落ち着きます。画質をHDにして頂くと泡っぷりがましになります。音量注意。

浅草に 着きましたら、完成したスカイツリーとアサヒビール本社の黄金うんkを一緒に眺める観光客がごった返し、それを拾う短パンマッチョ人力車のお兄さん達、そして外国人がウロウロとしていておもしろい街だなぁと眺めながら歩きます。そうしてこの日の二番目の目的、美味しんぼにつゆは日本一と紹介された蕎麦屋、「並木藪蕎麦」に着きました。夕食には早い時間だったので5人ほどが店の外で待っているだけでしたが、事前に並ぶ店と認識していて早めに行って良かったと思います。
まずはもりそばを。美味しんぼにもありましたが何しろ夏の蕎麦ゆえに蕎麦の香りは端から期待していないため、喉越しを味わい、そして天下一のつゆの旨さをそば湯で割って味わいました。思わず「うめぇなぁ」と声が漏れる程でした。そりゃ蕎麦のつゆなので衝撃的な味がするわけではありませんが、ダシがしっかりして 味も濃い目ながら角が立たずにバランスが良く、旨じょっぱさが心地よいのでいくらでも飲めるという感じのつゆでした。そんな感じでたっぷりと飲みまし たが蕎麦自体は少なめなので、もう少し食べたいという腹心地ゆえにかけそばもいただきました。こちらも夏なのに熱いつゆがたまらない旨さで、腹がたぽんたぽんになるまで飲みました。店員のおばちゃんも気持ちが良い対応で、また行きたいと思うお店です。焼き海苔(?)を多くの人が頼んでいたのが気になったので次があったら頼んでみたい。

この日はこの時期この場所なのに、カプセルホテルではなく1泊3500円のバストイレ付きという意味不明な安さの宿に泊まります。部屋を空けておくよりは回そうという値段だとは思いますが、泊まる側が心配になる安さ。浴衣もエアコンもテレビも付いていて普通に泊まれました。浅草すげぇ。

ツアーバス、100社超撤退 減便・値上げも
http://www.nikkei.com/article/DGXDASGF18048_Y2A710C1MM8000/
今回の移動に関して、昨今の高速バス事故の関係でバスが予約できるかなど心配しましたが、お安いバス会社も撤退せずにお安い料金のまま頑張ってくれていたので大変助かりました。実質2社しか運行していないルートなので安いほうが撤退したら本当に困っちゃう。
二日目に続きます。

2012年7月9日月曜日

今、もう一度Vガンダムを見る


もう一度見たいと思うガンダムは?という問いにファースト、V、∀と答えたい。
その中のVガンダムを10年ぶりくらいかな、最初は本放送を何もわからないキッズの気持ちで、次にCS放送で悲惨な話だなーという気持ちで。そして今回3回目を見まして、やっと面白さの入り口に立った気がします。
「昔見た事がある」という人に今一度見る価値があるアニメだから、一緒にもう一回見ようぜ!という趣旨です。
あらすじ ウィキペディアより:機動戦士Vガンダム
宇宙世紀0153年、地球圏を統治している地球連邦政府は形骸化し、宇宙に存在する各サイドは連邦政府の統制を離れた独自の道を歩み始め、各地で紛争が勃発する「宇宙戦国時代」に突入していた。
そのなかでもサイド2に存在するザンスカール帝国はギロチンによる恐怖政治と、救済と慰謝を基調とするマリア主義を掲げて急激に民衆の支持を獲得し、地球に向けてベスパと呼ばれる帝国軍を派遣した。ベスパはヨーロッパの都市 ラゲーンを制圧下に置いた後、地球侵攻のための拠点とする。また、ザンスカール帝国への抵抗活動を続けている組織 リガ・ミリティアの構成員たちも、それに対抗してヨーロッパで散発的な抵抗を始める。
こうした中、ヨーロッパの都市 ウーイッグ近くに存在するカサレリア近辺にてパラグライダーを操っていた主人公の少年 ウッソ・エヴィンベスパのMS(モビルスーツ) シャッコーとリガ・ミリティアに所属する小型戦闘機との戦闘に巻き込まれ、シャッコーに引っかかり取り付いた挙句、パイロットを引き摺り落としてMSを奪ってしまう。
これを発端に、その後ウッソはリガ・ミリティアと共に、数奇な運命をたどることになる。
宇宙世紀0153年とか作品の中では特に説明がなかったように思いますが、それ以外にも周辺の設定情報が後から入ることで作品の深みが増していく作り、悪く言えば説明不足(作品内の情報だけで十分話は見えますが)、よく言えば行間を読み取る事が出来るおもしろい作品でした。
以下ネタバレ全力で、心にズギャーンと来たエピソードを未視聴者置いてけぼりで書き散らします。


・6話 戦士のかがやき
所謂ランバ・ラル回、「戦場で敗れるということはこういう事だ」を思い知らされる訳ですが、撃墜されたMSを降りたワタリー・ギラ大尉は向かい合った敵パイロットが子供であった現実に涙する。「まだ遊びたいさかりの子供が、こんな所で、こんな事をしちゃ・・・いかん。子供が戦争をするものじゃない。こんな事をしていると皆おかしくなってしまう・・・そうなる前にMSをを降りた方が良い」
「やりたくてやってるんじゃないですよ!」
「現実がこんなに残酷とは・・・私から離れろ、早くいけ!」手榴弾にて自害。
理想でしかないと言いながらも騎士道を求めた軍人が、少年兵と戦わなければならない戦場の現実に絶望する。戦士として生きる厳しさを教えたランバ・ラルに対して、心ある人間らしい敵として現れたワタリー・ギラ。その出会いが戦い続ける事に迷いを生じさせるが、どうしようもなく巻き込まれた戦いと、両親に叩きこまれた知識と天性の才能がそれを許さない。
それでもなるべく被害が少ないように敵を撃破していく姿勢が物語終盤まで続いていくのは、そういった迷いや戦場においても毒されないウッソの心の強さが見えて好感が持てた。終盤は核爆発も躊躇わずにごりごりと殺戮しますが。

・36話 母よ大地にかえれ
どう考えても学校帰りの少年少女たちに見せるような内容じゃあない、狂った脚本を書きやがるぶっ飛んだ富野御大には頭が下がります。目の前で母親の生首をぶっ飛ばし、その母親の首を目の前にして13歳の少年パイロットを絶望させるという正気の沙汰とは思えない内容。
そしてその重要なお話なのに作画が70年代並の酷さ、連続で見ると35話の村瀬秀行氏&GAINAX回が良すぎて比較出来てしまう為に尚更酷い。アニメアール何やってんの。


・46話 幻覚に踊るウッソ
エンジェルハイロゥによる精神攻撃を受けながら、辛くも勝利したウッソ。それを出迎えるマーベットに抱かれ両手を握り祈りを捧げるような構図。これはマリア・ピァ・アーモニアの白いマリアに対する黒いマリア像という事でいいんでしょうか。そんな読み方をする人が今後現れる事を祈ってネット上のテキストの海に流しときますねー

・48話 消える命、咲く命
カガチは「穏やかな人類を地球に再生したい。戦争しか知らぬ奴らは全て消滅しろ」と、人類の歴史をやり直そうという。
時系列としてはエヴァンゲリオンがVガンダムっぽいと言うべきなのですが、逆に感じられてしまうのが視聴順序の問題か・・・と考えてしまう。クライマックスに近づく程に盛り上がる。絵が良くなる。時代を感じさせなくなる。むしろいま見ても新鮮な物語。意味不明で理解するのに解説が必要なほどに難解なエヴァとは違い、最低限の材料は与えている部分においてはストーリーテリングのパワーがあると思います。しかしながらその意味不明な物語だけぶん投げるという姿勢こそがエヴァの真骨頂であったのか・・・とも思い返す。
エヴァ後の時代においても、全然問題なく見ることが出来てしまう恐ろしい先進性をもった事を感じさせる。早すぎたのかそれ程に病んだ未来に追いついてきているのか。そんな事を感じさせ、そしてウッソとマーベットの会話を借りた、富野御大の説教が胸に沁みます。
「男って殺しあうだけの道具なんですかね?」「僕は嫌なんです、人殺しをしているところで成長するのは」「マニアは危険だから」
シュラク隊も
「戦争やるのが全てじゃないんだよ、楽しいことを思い出さなくっちゃ、なんのために戦うか忘れちゃうわよ。」 
「軍に入ってからそんなもの無かったよ」
「生きていればいくらでも作れるわ。でも、ああやって必死に作らないと作れないものかもね。」
次の命を産んでくれる、女性たちの為に。か・・・。
男は女の時代を支えろってことでしょうか?

・49話 天使の輪の上で
エンジェルハイロゥでのフォンセ・カガチとウッソとのやり取り。THEお説教の開始。
老人と少年は未来の人間社会に対する希望と絶望を圧縮した会話でやり取りするが、根本は保守か革新か?の問いに答えは出ないという結論か。しかし老人の経験から語る、人間社会への絶望を一挙に解決する手段に人生を捧げ、そしてその成就の瞬間を、カガチのように人間社会を憂い、このままでは駄目だと思い始めているウッソに破壊される。ウッソは言う「何か別の方法がある」と。人道的な解決方法が時には存在しない問題があるのかもしれない。そんな問題と、時間が限られている状態になっても、尚、尚、綺麗な解決方法があるはずで、全員を救う方法がある”かもしれない”とする希望を抱く天才。それは常に繰り返されてきた問題、それに嫌気がさし、「ザンスカール帝国の目指す未来を見てみたい」とウッソと峠本を頒ったカテジナの気持ちも分からないわけではなく思う。
しかし「信念を持った子供なんて気持ちが悪いんだよ」と一喝するカテジナは、ウッソの恋心を利用したゲスい作戦もついには破られ、自分が散々殺そうとしてきた人に殺されそうになって”意外だった”みたいな表情を見せ、少し悲しい素振りを見せる。「とうに狂っている」と言った本人も、実はまともだった時に繋がりのあったウッソとの細い糸を心の拠り所にしていたのかもしれない、そうして最後の砦であるクロノクルに全てを繋げたのかな・・・と思います。
そしてやはりシャクティ。名前といい、キールームで纏うその衣服は(元はインドだと思いますが)新興宗教を思い起こさせます。メディアに大きく取り扱われる時期に差し掛かった頃かなと思いますが、オウム真理教のようなものを想起せざるを得ないあの衣装。母のマリア・ピァ・アーモニアとは全く違った姿は、やはり何かしら含みがあるのではと考えてしまいます。

・50話 憎しみが呼ぶ対決
「そろそろ覚悟をする時かな」ジン・ジャハナム(真)閣下は言う。
名曲、いくつもの愛をかさねてをBGMにリーンホースJr.特攻。戦い続けてきたライバル、クロノクル達のアドラステアをビームラム(!?)にて貫き、お互いの母艦が消えてしまう。若い兵士は退艦させ、老人たちだけで敵陣に突っ込むその姿には、悲しみとは別に何故か希望を感じてしまう。これは命を犠牲にして次の世代に未来を託そうというその姿が”救い”に見えるからでしょうか。本当に主要キャラクターからサブキャラクター、敵も味方も恐ろしいペースで死んでいく物語の中で、未来への希望ある死と映る彼・彼女らの行動は、ひたすら涙が流れ、「ありがとうありがとう・・・」と嗚咽しながら見ました。
しかしそんな感動の余韻に浸る間もなく物語は進み、カテジナがカテ公などと言われる主因になるシーンへ。

・最終話 天使たちの昇天
何が失敗作だよ。名作だ。
この最終話を見るためにまた51話の物語を繰り返し見ることだろう。
最後の最後でオデロがカテジナにやられてしまう。「先輩の言うことは聞いてシャクティを助けに行け」と言ってカテジナに挑むその姿、年長者はかくあれとの事か。
最後までクロノクルにすがった、そして引き上げようとしたカテジナは、ウッソに対して最後の最後まで好意を利用して殺そうとする。
それに対して今まで散っていった仲間たちの魂とガンダムの力で、エンジェルハイロゥ共々カテジナを昇天させる。ウッソの「ガンダム!」の四文字の叫びに魂が乗る。ウッソと共に演者の阪口大助さんも成長していた。
カミーユ譲りの魂アタックを用いてもウッソに反動がなかったのは、相手のカテジナにまだ優しさが残っていたからでしょうか。
エンジェルハイロゥ基部にて待ち伏せるカテジナとのラストバトルは屈指の名シーン。ライバルであるはずのクロノクルとの戦いはそこそこに、カテジナが最後に立ち塞がるのはストーリー序盤の頃を考えると全くの予想外。ウッソの言葉を借りるならば「クロノクル、あなたの弱さが視聴者を迷わせた」

戦いは終わり、カサレリアに戻ったマーベット達。
冬の川で洗濯をするシャクティと、側で遊んでいるカルルのもとに、盲目になったカテジナが故郷に戻る途中通りかかる。ワッパのナビが壊れたので道を教えて欲しいと。シャクティは道を教えずにディスクを交換してあげる。
カテジナ「冬が来ると、訳もなく悲しくなりません?」・・・
過ぎ去っていくカテジナの後ろ姿を見たウォレン「誰だったの?」
シャクティ「道に迷った旅人よ」
涙を流すシャクティ。
涙で画面が歪む。嗚咽。

あの時カミオンを降りず、ウッソたちと行動を共にしていたら?一本の道を迷った為に、悲しすぎる結末に。「ザンスカールの作る未来」は見えなかったが、冬の冷たい川で凍えながら洗濯をして自然の中で暮らす人々の未来は守られた。役目を終えたV2ガンダムが森の中で佇む。
環境問題や争い続ける人類の問題は解決されなかった世界の、この平和(?)はいつまで続くのだろうか?「もっと良い方法」を求めて戦い、戦争に疲れきった人々は答えを探す辛い旅を続けられるのだろうか?それともまた同じ争いを続けるのか―
シャクティと数万のサイキッカー達の祈りによって、カガチの描いた未来を作るために利用されたエンジェルハイロゥは想像を超えた力を発揮した。人類を退化させるはずであった装置が、使う人間が変わる事で、カルルが立ち上がり、初めての言葉を戦場で話すという。もしかしたら進化をさせたのかもしれない?という可能性も見えたが、真実を知っていそうなマリアの幻影は微笑んで消えてしまった。

20年経った作品でありながらまだまだ考えさせる恐ろしいアニメ。他人の論考は見ず自分の考えだけで書こうと思いましたが、どうしても確認したかった「Vガンダム、エヴァンゲリオンプロトタイプ説」を検索したところ、やはり共有された事実なんだなぁと確信しました。そしてVガンダム研究会というガチな人々がいるという事も知ってしまってさらなる興味を持ちました。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が元になっているとは何も考えていないキッズにはわからなかったなぁ。
レジスタンスでありながら驚異的な兵站・開発能力、パーツ特攻攻撃を始めとするぶっ飛んだ作戦の有用性、老人と若者の物語、女の時代は来たのか、ファラ・グリフォン悲劇、中盤からのハロの役割、宮崎アニメに対する含みだとか、オデロやクロノクルの最後は人類補完計画的な幻想を見たのか、などまだまだ楽しめそうで、また何年か後に見ることになると思いますが今回はこれにて。


バンダイチャンネルで視聴がお得っぽい。
http://www.b-ch.com/ttl/index.php?ttl_c=249

2012年6月28日木曜日

アノニマス声明文の訳が良い感じ

恐らく多くの人が「ん?」と思ったのではないかと。
http://prochron.tumblr.com/day/2012/06/26
日出ずる国の皆さん、こんにちは。私たちはアノニマスです。
(中略)
私たちは名前を持たない
私たちは軍団
私たちは許さない
私たちは忘れない
私たちの行動を待て
という部分。
「私たちはアノニマスです。」←これに違和感を感じると思うのですが、日本語訳が鬼のようにRTされていたのですが、疑問に思って原文にあたるという人、人数としてはそれなりに居ながら、日本語訳だけ見た割合が多いと思います。
で、原文はこちら。
http://anonpr.net/opjapan-expect-us-512/#more-512
Greetings land of the rising sun, we are Anonymous.
(中略)
We Are Anonymous
We Are Legion
We Do Not Forgive
We Do Not Forget
Expect Us
つまり何が言いたいかというと「We Are Anonymous」の訳を挨拶とモットー部分で変えている、これが「なるほどなぁ」と思いました。「私たちはアノニマスです」って名乗っているけれど名乗っていないし、名乗っていないけれど名乗っている。それを表現している感がいいなぁなんて。

因みに「私たちは許さない」っていう部分、匿名と共に日本の2chと似ている部分ですね。「絶対に許さない」文化というか、一つのミスが命取りでそのミスが延々とネット空間を漂い続ける。
スローガン的な文面なので力強くする必要があるとは思いますが、達成目標というか「誤ったら許す」みたいな活動は無いんですかね・・・

2012年6月10日日曜日

ゲームから国家運営を学ぶ

結論から言うと「このゲームでは無理です」という話になるのですが。

トロピコという南の島の共産国を運営する箱庭系シミュレーションゲームがあります。XBOX360にてトロピコ3を遊び楽しかったこと+Steamの75%割引キャンペーンにまんまと釣られて、PC版トロピコ4を遊びました。

このゲームはキューバ的な南国の独裁者として、畑を作ったり住居を建てたり教会建てたり発電所建てたりとか、農産物を輸出したり材料輸入したりとか、外国に援助もらったり攻撃されたりしながら、選挙に勝ち続けて独裁を維持する国家運営をするゲームです。
基本的な流れは、未開発の地を道路で結び、
1.畑・漁港・牧場で食料を確保。
2.森林・鉱物・油田を開発して資源輸出でマネー確保。
3.工場を作り、加工貿易によって更なるマネーを確保。
4.観光客を呼び込んでサービス産業でマネーを確保。
という事をしながら病院や教会や学校、パブや映画館を建てて福利厚生を考え、ラジオ局や新聞社を使ってプロパガンダを垂れ流し、犯罪や反乱に備えて警察と軍事基地などを建設もします。
ミッションごとに島が変わるので、資源が豊富なMAPでは、地面を掘り返して森を伐採するだけでガッポガッポ儲かるという資源強国の現実を思い知らせてくれます。
また、移民政策でガンガン移民を入れて労働者を増やすと発展が早い、しかしながら国粋主義者達からの支持が急落する。そこで派閥のリーダーを買収して支持率維持する・・・なんてことや。
市民一人ひとりにフォーカスして所属派閥や今の思考や給料など詳細な情報も見ることができ、 「お、こいつは私に逆らう異分子だな」と気づいたら「反逆者を抹殺しろ!」と軍に司令を出す事で葬る事が出来たりとか、ドス黒い政治も楽しめます。

さて彼のちきりん氏はシムシティを政治家目指す人全員にやらせたらどうかと提案していました。
世界はロールプレイングゲーム http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20120210
シムシティよりも要素が少ないので、ゲーム入門用としてこのトロピコをやって頂くのも良いと思います。独裁入門としても優秀かもしれませんが。少しパラメータをいじると市民の反応が劇的に代わるというのが目に見えてわかるので、本当の意味での”シミュレーション”を政治家さんには考える機会になって良いのかもしれないと思います。「この法案を通したらどうなるのか?」という事とか。

ゲーム的な感想としては、残念ながら3→4への進化はあまり見られず、マップが広くなって少し要素が加わったという程度のマイナーバージョンアップにしか思えませんでした。シリーズを一度も遊んだ事がない場合は結構楽しいと思います。

2012年5月30日水曜日

0円の壁

RTで流れてきたのですがすみませんネタにさせて頂きます。
本社従業員を半減、ってどういう意味なのだろうか・・・もちろん工場・営業所等も削減するんだよね?この記事だけではリストラの全容がみえない。 / “時事ドットコム:パナソニック、本社社員半減へ=配置転換や希望退職を検討”
というツイートなんですが、投稿の性質上ただの晒しになりかねないのでリンク張りません。
"パナソニック"をニュース検索すると分かりますが詳しい記事は出てきます。有料記事でも日経などは無料会員ならば月に10本まで見ることが出来ますし、新聞本紙を見ればもちろん一面記事にあったり。また、疑問に思っている「工場・営業所も削減する?」という話ですが、「本社」と書いてあるのですよね・・・。

何が言いたいかというと、詳しい情報が欲しい人間には、有料で情報を発信していくべき時が来ているけれど、その仕組がまだ現状の便利過ぎる情報の取得方法についていけてないと改めて思いました。なので今回の場合はツイッターですが、ツイッター側がマイクロペイメントに対応して、PayPalなりGumroadなりカード会社なりと契約して、有料記事リンクをそのまま20円とか50円で配信して、簡単に決済出来るようにしたら広告収益モデルと有料記事収益モデルの両輪で稼げるようになるんじゃないかと・・・ってそんなことはもう考えたけれどやっていないんだと思いますけれど。

・0円と1円
・10円と100円
それぞれのハードルの高さは段違いって良く聞きますが、決済の単純化っつーのはそれほど大変なんでしょうかねぇ

2012年5月27日日曜日

やる気に関する驚きの科学を見て

一時期ビジネス雑誌を賑わしたダニエル・ピンクさんのTEDを今更ながら見ました。自分用まとめ。

成功報酬を与える、報酬を高額にする方法が機能するのは、「何かをすれば、結果こうなる」というゴールが見えている場合。単純作業にはプラスに働く。
しかしゴールが見えず、広い視野をもって答えを自分で見つけなければならないクリエイティビティを要する場合には、成功報酬は思考を狭めてしまってかえって邪魔になる。ということが科学的に証明されている。
 成功報酬に代わるものとして、「自主性、成長、目的」という3つの別の構成要素をつかって仕事を進める答えを出した。具体例として、MicrosoftのEncartaとWikipediaとの比較。専門家に盛大に報酬を払って、しっかりとマネジメントしたEncartaは消え、自主性に任せたWikipediaはますます伸びている。

http://www.ted.com/talks/dan_pink_on_motivation.html

動画最後のまとめ
科学が解明したこととビジネスで行われていることとの間には食い違いがある。
1.20世紀的な報酬、ビジネスで当然と思われている動機付けは機能はするが驚くほど狭い範囲の状況にしか合いません。
2.if Then式の報酬は時にクリエイティビティを損なってしまいます。
3.高いパフォーマンスの秘訣は報酬と罰ではなく見えない内的な意欲にあります。自分自身のためにやるという意欲。それが重要なことだからやるという意欲。

2012年5月21日月曜日

ごるもあ事件からニコ生コミュを考える

先週のニュースですが、ニコニコ生放送の構造に絡んだ問題と、勝手に妄想した機能が実現したらちょっと良さそうだなーと思いまして掘り下げます。内容は、ニコニコ生放送にて「創価大に突入して1人ずつ射殺する」という犯行予告をし、それが通報されて御用となった人が居たというお話。

ニュース動画。実際の犯行予告は動画ページにリンクがあります。



人物説明:ごるごるもあニコニコ大百科

そもそもこの人物が統合失調症で、過去に犯罪予告や皇居に入浴剤投棄とか、逮捕歴も何度かあるという人物ではあるのですが、こういった行為をする目的と成果意識を持たせてしまう構造が、今のニコニコ生放送にはあるように思えます。
ニコニコ生放送では放送をする為にコミュニティ参加(作成)している必要があります。そしてそのコミュニティに参加するユーザーの数でレベルが上がり、放送時間の延長が可能になったりと 様々な権利を獲得していく仕組みになっています。もちろん放送が面白ければ人数が増えるため、安易に人数を増やす為に犯罪スレスレのネタや、女性はちょいエロなどに走る人々が後を絶ちません。それは「面白い=楽しい」ではなく、カタルシスを感じる普通では見ることが出来ない映像、それも「生放送」が目の前で行われ、それに対して自分は安全圏からコメントという飛び道具で参加することが出来る為「おれたちにできない事を平然とやってのけるッそこにシビれる!あこがれるゥ!」いや、憧れるかどうかは分かりませんが、電波少年とかやっぱ面白かったじゃないですか。ああいった放送が人気になってしまう訳です。

そこでそのコミュニティ人数を増やすという行為自体が、単純に人数のみで計られている点。「応援する」と「反対する」(反対する人もコメントを打つためにコミュニティに参加する)の人数がすべて同等に評価されてしまっているという構造的問題があるため、
「評価する」(+2)、
「どちらでもない」(+1)、
「評価しない」(-2)
の3つの選択肢だけで良いので、その選択する権利を、コミュニティ参加するプレミアム会員だけに付与すれば多少は変わってくる気がします。(無料会員による工作を防ぐために有料会員限定機能)
何かしらの祭りに巻き込まれるor当事者になると、イナゴ的に集団低評価を食らう場合があるので、評価は一定期間過ぎると「どちらでもない」に変わり、変わった通知が表示されるとかいう機能もあっても良いかもしれない。

コミュニティ機能について考えていたら別の案も出てきたので、関係無いけれど妄想。ニコニコ生放送のコミュニティのバージョンアップ案としては、コミュニティごとのリレーション。コミュニティオーナーどうしの了解を得ることでのコミュニティの繋がり(現在はコミュニティ説明文や大百科記事で各々やっている物をシステム化)はもちろん、そのコミュニティに参加している人々の中で、他に参加しているコミュニティが重複している場合に、Amazonの「この商品を買った人はこんなものも買っています。」というリコメンデーションを行う機能のように「このコミュに参加している人は、こんなコミュニティに参加しています」という一覧を表示する。
コミュニティの規模によって巨大コミュは非表示機能も付ける。大手コミュは重複している人が多すぎるため、レベルによって制限あるいは参加人数によって一覧に表示しないようにする。
気に入った放送を探す助けになる事と、機械的に表示する事によって思わぬ繋がりや、放送のネタ、タコ壺化防止に役立つかもしれない。
 
また、同じコミュニティに参加しているユーザー同士(非配信者)の繋がりを強めるための、放送者以外での交流、つまりSNS機能を強化する。現在死に機能っぽいフレンドを活かす為に、参加コミュニティの重複度を数値化、一欄表示して似たユーザーを繋げる。SNS化を進めるのか分からないですけれど。

Recent機能で多少見えるようになったけれど、もっとコメントを活用できないかなーと。生放送のコメントのアクティブ・ネガティブコメントなどを解析して「楽しい放送」「叩かれている放送」なんてのがランキング見ただけでアイコンが付与されるとかそんなの。

まとめ

と言うことで悪い事をして人を集めようという人達も、集まった人がアンチなのかフォロワーなのかを判断する数字があったほうがいいじゃなーい?それで安易な人集めはマイナス評価されるので、多少は健全化するんじゃないかなーという考えです。

文字だけじゃ分かりづらいので後々画像を付けます。

2012年5月13日日曜日

ニコニコ超会議の記事まとめ


ニコニコ超会議
2012年4月28日・29日に幕張メッセで「ニコニコ動画のすべて(だいたい)を地上に再現する」をコンセプトに開催されるユーザー主体のニコニコイベント と銘打ったニコニコ超会議が終わり、イベント後に様々な記事が掲載されました。私は行けなかったので、ニコニコ生放送で行われた各イベントの中継と、ネット上の記事を読み漁りました。それらの記事と共にニコニコ超会議とは何だったのかを振り返ります。★付きはオススメ記事。


ニコニコ動画主催の大型イベント「ニコニコフェスタ」を考える
http://d.hatena.ne.jp/ronri/20081213/1229161275
まず、2008年12月の段階で、超会議っぽいイベントを提案していたブログ記事。しかし黒字化以前の投稿なので、ニコニコ動画のコンテンツをいかに収益化するか?リアルイベ ントで儲けよう! という話なので趣旨が全く違いますが、こういう事を考えた人がいた、そしてこういった儲け優先でもやれたかもしれないという点で。
実際には目的も異なり、結果も4~5億の赤字。

大手メディアでは朝日が一応記事を書き、日経が唯一特集記事を上げていました。(他にあったら教えて下さい)さらに日経は連載記事。
★「ニコ動」で進行するコンテンツ革命、熱狂の舞台裏 ネット上の才能を現実世界に解放~ドワンゴの挑戦(1) 

多様性と共感のメディア「ニコ動」、超会議の真意 ネット上の才能を現実世界に解放~ドワンゴの挑戦(2) 
”これは近未来を想像した話でも、ごく一部の“オタク”の世界に閉じた話でもない。大手メディアの多くはこのイベントを報道しなかったが、実は大人の知らないところでコンテンツの革命ともいえる事態が進行していた。 ”
”テレビ視聴率が低迷し、CDが売れない時代。だが若者たちはエンターテインメントを嫌いになったわけではない。じつはコンテンツを「自給自足」して楽しんでいたのだ。”
”CD音源を勝手に使用することは許諾範囲に含まれておらず、ユーザーは大人の締めつけに、次第と商業音楽から離れていった。代わりに最高の遊び道具として脚光を浴びたのが、バーチャルアイドルの初音ミクだった。 ”
” 「働かないニートがネットで大量にコンテンツを作ってる。そんなのは日本くらい。でも、それがニコ動の強さでもあるんですよね。確かに、まだニコ動は まったく日本のためになってない。でも、予感みたいなものは感じている。ユーザーを見てて、こいつらと一緒だったら世界で勝負できると思ってる。ニコ動が 日本に貢献できるんだったら、そこだなと」”
津田大介氏がNHKようこそ先輩の撮影で、中学生たちに対して「芸能人と話したことがある」というよりも、「歌い手と話したことがある」という方が反応が段違いに良かったと言っていた事が、これか!と理解できた。
また、カンブリア宮殿でも特集をするということでいよいよ日経との繋がりを強めている感と、枝野経産大臣や森喜朗元首相を呼び込んだり、政治が人気ジャンルとして確立しているニコニコでは、そういったロビー活動もこれからの発展には必要なのだなぁなどと勘ぐります。


「ニコ動」、リアルでも大盛況 若者つなぐ一体感
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201205020155.html  
朝日新聞も取材しているようですが薄い内容。

ニコニコ超会議の「超エンジニアミーティング」 を全部取材してみた 
http://hoshi.air-nifty.com/diary/2012/04/in-e9eb.html
エンジニア向け。

誰得? それとも世紀の大発明? 未来すぎるニコニコ学会β「研究100連発」
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1205/08/news119.html
ニコニコ学会βから研究100連発からピックアップ記事。

第2回ニコニコ学会β「研究してみたマッドネスメカの部」忙しい人向けまとめ
http://normahead.seesaa.net/article/267554781.html
タイトル通りニコニコ学会βのありがたいまとめ。翌日記事に続いています。

ニコニコ超会議について書いてみる
http://d.hatena.ne.jp/nagaimichiko/20120501/1335802253
”ようやくだけどこういう機会が持てて、ほぼ全社員がユーザーさんと間近に触れあって、  自社のサービスを愛していただいていることを肌で感じることができて、  しかもありがたいことに成功と呼んでよいレベルに達することができた。  本当に、よかったなーと思う。これを機にサービスの深みが一段も二段も増せたら、  それが今回のイベントの本当の成功だと思うのです。”
運営サイドからの感想。

“超会議”で燃え尽きた!? イベント後のニコニコ動画“中のひと”を直撃!
http://news.walkerplus.com/2012/0503/22/
中野運営長へのインタビュー。インタビュアーがうざい(悪意はないです)

超会議
http://d.hatena.ne.jp/tomosaku/20120504/1336119999
超会議の事務局長の記事。ユーザーと接した事で今後の成長に良い影響を与える可能性。



ニコニコ超会議に未来を感じた
http://blogos.com/article/38173/
超パーティー最後の普段表に出ないエンジニア登壇について。

ニコニコ超会議の意味するもの
http://d.hatena.ne.jp/monnalisasmile/20120430/1335765445
集金モデルのチャレンジについて。ニコニコ動画というプラットフォームの力をTVと比較して解説。


ニコニコ動画 ニコニコ超会議が終わった
http://d.hatena.ne.jp/tnakashi25/20120429/1335710674
ニコニコ運営に対して、普段お小言を仰る方がプラス評価をするという点。



ニコニコ超会議は何を起こしたか
http://blog.tsuwatch.com/2012/05/01/45/
一般参加者の視点。

【日記】 ニコニコ超会議戦記~超会議に行ってみた~
http://blog.livedoor.jp/haruharap/archives/1735943.html

同じく一般参加者の視点。会場の全体的な雰囲気が分かる。

ニコニコ超会議がなんだがんだで伝説になったわけだが
http://majikichi.com/archives/7041536.html
VIP住人がノリでやってるっぽいけど、中高生視点として。

★ニコニコ超会議とはなんだったのか
http://d.hatena.ne.jp/GiGir/20120430/1335752682
” このジャンルごった煮のカオスさというのはまさにニコニコ的なもので、それは横断的にいろんなジャンルを普段からつまみ食いしている人にとってはニコニコ 動画という場の前提認識なのですが、実のところ新しくニコニコ動画の視聴者になった人たちというのはこのジャンルごった煮感というのはあまり実感しておら ず、自分たちの興味のある範囲内にしか目が届いていなかったのかなと。  それがニコニコ超会議というリアルのイベントに参加した人は、自分がまったく興味のないジャンルにも膨大な人たちが群がり盛り上がっている様子を肌身に 沁みて感じることが出来たのではないか。もしそうだとしたら、それだけでもこの超会議というイベントは成功だったのではないかと思います。”
~中略~
” ともかく、ニコニコ超会議は、「みんながみんな違うニコニコ動画像をイメージしている」ということがハッキリと可視化されたことが一番良かったことかな、 と思っています。ニコニコ動画というプラットフォームはもはや広大すぎて、その全体像を把握しきれている人はもう誰もいない。ジャンル横断的に眺めている 人も、それぞれ重なる部分と重ならない部分があって、それで全体として緩やかに繋がってニコニコ動画という場、ニコ厨と いう「雰囲気」を作っている。それは外から見ると一見ひとかたまりのようにも見えるけど、こうして「地上に再現」してみると、実はてんでバラバラな人たち の集合だったんだということが誰の目にも明らかになる。先のインタビューでの川上会長の言葉を見ると、そういった効果を狙ったものだったのかな、と思いま すし、もしそうだとしたらやはりこのイベントは大成功だったのではないかと思います。”


★ネットとリアルの断絶の終わり――「ニコニコ超会議」が示したものを考えてみた
http://www.4gamer.net/games/140/G014059/20120503001/
ニコニコ動画に通ずる日本のインターネット史を含めて紹介。
”旧来のマスメディアの力なくして,あるいはマスメディアとの連携なくして,ネットのコンテンツがリアルで話題になることは原則としてなかった。  ……のだが,「ニコニコ超会議」では,「歌ってみた」や「踊ってみた」「ゲーム実況」,さらに「例のアレ」といった,絶対にテレビ……どころか,ほかのどんな媒体でも盛り上がりようのないコンテンツ――要するにネット/ニコニコ動画内だけで完結しているコンテンツ――で,10万人近くもの人が“集まってしまった”のだ。”
”世代別のカバー率で,20代の75%がニコニコ動画を利用しているという話である
~中略~
要するに,少なくともある特定の層(年代)に対してニコニコ動画は,ある種のクリティカルマスを超えた状態にあるということだ。”
”「ネットで話題=リアルで話題」になった事を宣言する儀式(イニシエーションだったのではないかと,僕は思う。)”

ネット通販大手ZOZOTOWNを運営するスタートトゥデイが、9月に同じ幕張メッセでリアルイベントを開催する。
http://www.morningstar.co.jp/portal/RncNewsDetailAction.do?rncNo=692565
ネットメインでやってきた企業がリアルイベントに進出という点、幕張メッセで開催という点でこれは比べるべきか?なんて考えましたが、様々な記事を読み漁る中で出た結論は、全く別世界のお話だから比べるのは無いなぁと。大きな視点では2012年のイベントで「こんなことがありました」という事で並べられるかと思いますが、これは自分の偏見が入っていますが「おしゃれな人種、おしゃれに見られたい人種」だけの閉じた世界との比較はありえないなと。

感想

ということで、きっと今はこういったまとめ記事を作るのであればNEVERまとめが良いのかなと思ったりしました。それはさて置き、惜しかったのは10万人に届かなかった点。あと8000人来ていたら10万人!という良い数字になったのですが残念でした。
ニコニコ動画を大体地上に再現というのは確かにできていたと思います。あまりに多くのジャンルと目移りする様々なイベント、人、物、音。オタクから鉄ちゃん、エンジニア、科学者、博士、棋士、ゲーマー、やくざ者からダンサーからアーティストから哲学者、政治家、自衛隊員、ホモ―― こんな多種多様の専門家やワナビーが触れ合えるイベントなんてまずありえない、多様性の祝祭空間。普通じゃない事が価値であるという事を魅せつけ、現実世界に宣言をした、ダイバーシティフェスティバルin幕張メッセ。それがニコニコ超会議だったんじゃーないかと思います。

以下蛇足
ニコ生で放送される超会議を視聴して参加したのですが、ネット上で超会議関連の番組表を見るだけでも多すぎる。興味のある放送をすぐに選択して見ることが出来たけれど、上から順に並べるタイプの番組表ではあまり見られない番組が出てきてしまうかなぁと。もちろん番組表ページや超会議の特設ページに行けばいいんですが、やはり生放送を開いた画面での当日の専用ページ(生ケットの時のような)物を用意した方が良かったのかなぁと思いました。そして、超会議開催から翌週の再放送ですが、せっかくの再放送なのにやはり同じように放送する事で、見たいものが多い場合に選択しなければならない点、あれだけのコンテンツを手に入れたのですから、もっと小出しでも良かったかなぁと思いました。(もちろん超会議を再現!というコンセプトと、タイムシフト視聴が出来るのですから良いというのも分かりますが。)

ニコニコ動画に関しては、2009年くらいまでは、組曲『ニコニコ動画』で有名なしもさんが作るニコ動で流行った物をまとめたメドレーで一体感を確認するみたいなことや、入っている曲は大体のニコ厨が知っているというような状況があったと思います。しかし一般化、巨大化が進むにつれ、それぞれのクラスタ化がきっちりとまとまっていく中で、総合ランキングからの流入や別クラスタに輸出・輸入・マッシュアップ・動画ネタ化による作品同士の繋がりが無いと、中々別の文化が入ってこない、ニコニコ全体の一体感というのが失われていたし、これからどんどん進んでいくという空気を感じていました。しかしそんな最中に行われたこのニコニコ超会議。
ニコニコ大会議では歌い手、踊り手などの見栄えする、分かりやすい集客力がある人々が餌(失礼)にされることでイベントを成功させるというような、外の人たちから見ると、「奴らは優遇されている、俺達は冷遇されている、だから否定する。」こんな誰も特しない敵対心が溢れ、結果として全員が求め、間違いなく一体になれる「運営」という敵に対して攻撃を仕掛けることになっていたと思います。
運営自体がなければニコニコで遊べない。ニコ厨がいなければコンテンツは生まれない。
相互依存・・・違うなウィンウィン・・・?いや共生関係にある?何かいい言葉が出ませんが、そういう仲間になってお互いを認め合う事で本当はきっと、もっとニコニコ出来るはずだった場所、それがこの超会議で「運営GJ」という空気が復活し、そして昔の一体感を取り戻す、本当の原点回帰のスタート地点になったのではないか、そんなふうにも思えます。
そして、それは、これからのニコニコ動画、ニコニコ生放送のZeroWatchと呼ばれる新しいインターフェースが、ユーザーに受け入れられるモノになることが絶対条件になるかもしれないなぁなんて思った次第です。

2012年5月11日金曜日

オタク第一世代の片鱗を見た。もっと見たいという話

これは視聴期限本日中なので、庵野さん・特撮に興味がる方はぜひ見たほうが良いです。
バーチャル観客8,000人の​記者会見 館長 庵野秀明 特​撮博物館 in ニコファーレ ※タイムシフト試聴期限5/11 23:09まで
http://live.nicovideo.jp/watch/lv90679561

今年の夏に東京都現代美術館にて開催される”館長 庵野秀明 特撮博物館  ミニチュアで見る昭和平成の技” の記者会見イベント放送。説明の途中、同展覧会にて展示される万能戦艦マイティ号の再現模型を紹介する場面で庵野秀明氏と、司会のフリーアナウンサー伊藤綾子氏とのやり取り。

司会「庵野館長これはどういったものでしょうか?」
庵野氏「僕の夢です。これを再現するのが夢です。」
司会「どういったところが好きですか?」
庵野氏「フォルムですよね、成田亨さんのフォルムが大変素晴らしい、あとこの大きさ、存在感が良い。」「某宇宙戦艦ヤマトにも似てますが」
司会「このメカとかはどうなんでしょうか?メカがお好きと聞いたのですが」
庵野氏「メカ? 万能戦艦という響きもいいですね。古く感じるかもしれないけれど、この”万能”ってのが良いですよね。水の中もいけるし、水の上も、空も飛べるという・・・・・」
「・・・分かんないと思うから突っ込まないほうが良いよ。これの良さ君には難しいと思うから・・・台本は無視して、次行ったほうが良いよ。見たら凄いからってことで~」とにこやかに突っぱねてしまう。

司会の女性に対して説明してほしいという台本があるにも関わらず。伊藤綾子さんもかなり準備をしてきたようなのですが、残念ながらATフィールドに拒絶されてしまったようで・・・
しかしその後、司会の女性は轟天号について説明して欲しいと食い下がる事で、恥ずかしながらも庵野氏の素晴らしい愛を語らせることに成功させるのはニヤリとしました。 ニコ生のコメントにありましたが「庵野も丸くなったなぁ」と流れてニヤニヤしました。

カッコイイ!これがオタク第一世代。女子供にゃこの世界はわからないし分かってほしくないという感じが良い。本物のオタクってのはこれかというのを見ることが出来たので、前日の平野耕太氏のネタツイートから始まる米坂さんのオタクとは?の一連のツイートを思い出し、勝手ながらTogetterにまとめさせて頂きました。

米坂学氏、オタクを語る
http://togetter.com/li/301504

私がTwitterのプロフィール欄に似非オタクと書いているのは、本物のオタクへの尊敬と憧れ、そしてオタクになりきれなかった自虐をほんのり入れて似非をつけています。

2012年5月7日月曜日

東浩​紀 川上量生対談を振り返る6(終)

質問コーナーとまとめです。
ニコ生思想地図「『おもしろい​』をセカイに広めるには」東浩​紀×川上量生
    http://www.nicovideo.jp/watch/sm15580519
公式まとめはこちら
    http://news.nicovideo.jp/watch/nw112807

質問:「仮に、文化を計量化出来たとして誰が特をするか?得たものはどう還元されるか?」

東浩紀氏:
文化を計量化できたらクリエイターは得すると思う。 それぞれの個人の中で職人芸的に2,30年かけてようやく培われてきた知が共有化されるという事なのでショートカット出来ると思う。ライトノベルと純文学の話で言うと、漢字かなの比率、単語の頻出度が数値化されただけでジャンルを横断出来ると思う。自動的に出来るかもしれない。例えば”ライトノベルに変換したったー”みたいなが出てきて、ラノベっぽくなるみたいな。

川上会長:
僕は理論で文化を作っちゃうと面白くないものが増えると思う、でも最初に僕がそれを作ったら僕が得すると思う(笑い)
似た話で、映画事業をやっているとある会社の社長と、映画の作り方について話した。「今までうちの会社の映画事業はとにかく駄目だ。10億円で映画を作った、10億円費用がかかったから20億円稼ごう!というビジネスをやってきた。しかし順番が逆だ、こういう作品を作るのだったら5億円くらい売上が上がる作品だから、2億円くらいしか製作コストはかけられないという作り方をするべき」という話を聞いて、鈴木敏夫さんにその話を話した。すると大笑いして「僕は古い映画人なので、前者だね」と言われた。ジブリ映画の場合は、かけたお金よりも稼ぐという発想で経営している会社なんですね。
経済原理と離れた活動をしている会社が多いというのがコンテンツ業界。電機や家電業界だとかは1位、2位、3位の会社は大体似ている。ところが音楽やゲームなどになると、カプコン・セガ・任天堂・コーエーとか個性がありすぎですよね?普通は同じ業界でこんなに個性は出ない。
ジブリは企業は本当に酷い経営をしているが、それが勝ってしまうというのがコンテンツの世界。ある意味で理屈に合っていない経営をしているのが良いと思う。文化が計量化されると面白いものが減るというのはそういう理由。

東浩紀氏:
それはクリエイションについてよく言われることなんだけれど、(評論家を20年近くやっているからそう思うのかもしれないが と前置いて)実際には文章を書く能力というのは、技をいくつ持っているかという事で、人々が思っているよりも職人芸に近い。自分の中に引き出しが沢山あって、このパターンならこうするという事を組み合わせる能力。定形にはまらないクリエイションは稀にしか起こらない、大抵の人は技を持っていないために疲弊していく。作品が構造化されて解ると、そこがショートカットできてクリエイターを自由にするはず。
野球を例に出し、何も知らない人間に「とにかくあのキャッチャーミットに向かって投げろ」と言われて投げ方を自分で編み出すよりも、有名投手のビデオを見てショートカットするような事。クリエイションの世界にはあまりそれが無い。

川上会長:
それについて思うのは、分業化してクリエイターがプラットホームと同率で存在する為には、ルールは決まっていたほうが良い。コミックや本とかがそうだけれど、フォーマットが決まっていて印刷技術を全く知る必要がない、ただモノを書けば良い。
しかし、ゲームとかネットはプラットホームの作り方を知っている人間がコンテンツも作る。そういう人間のほうが有利だから。スーパーファミコンでもプレイステーションでも新しいハードが出た後、ハードウェアの性能を活かしきったコンテンツは2,3年出なくて、だんだんとノウハウが溜まってきて技術力が平準化されて、そのあとは続編しか出なくなる、それで新しいハードが出る。という歴史を繰り返している。逆に漫画や小説はプラットホームが全然変わっていない世界である。
どちらが良いのか?
お金がかかるコンテンツを作るのであれば、プラットホームが変わっていくほうが良い。 そのほうがプレイヤー(製作者)が少なくなり、一つのコンテンツに対して上がる収益が大きくなるので大きな投資ができるようになる。
完全にオープンなプラットホームであるコミックや書籍だが、一つのコンテンツにかけるコストが小さくなる。誰でも参加できるから裾野が広がるけれど。そのどちらが良いのかという話。

東浩紀氏:
僕は書籍についてしか責任持って言えないけれど、 クリエイションは参入障壁は凄い低いので「なんとなく作りたい」で始められるが続かない。一発屋の小説家なんていくらでもいるが、それが2,30年持続することが大事で大変なこと。日本に欠けているのはその部分。昔は編集との人間関係や文壇という村社会があって守られていたが、今は崩壊してしまっているので、多少のマニュアル化があったほうが持続可能性が高まると思う。



質問:「ネットオタク文化が消えるという話があったが実感が湧かない、代表されるものにニコニコ動画があると思いますが、テレビ文化は衰退しniconico文化は目に見えて大きくなっている。10年後にテレビや新聞が消えたところで、さらにネット文化が消えてしまった時に日本はどうなっているのでしょうか。日本の地平線上に何が残ると考えますか?」

川上会長:
ネット文化は消えるのではなく、変わると思う。ニコニコは既に2回くらい死んでいると思っている。一番最初にYoutubeに切断された時に一回死んでいる。MADを削除した時に一回死んでいる。生放送を始めた時も生まれ変わっている。そういう新陳代謝を繰り返していくことで、物事は残っていくと思う。常に新しいことをやり続けるのはしんどいので、いつかループにしたいと思っている(笑い)忘れられた時にYoutubeにまたつなげたり(笑い)
そういうループしながら進化していく螺旋を作れないかを考えている。
はやくねぇ、もう一回動画を盛り上げたいんだよね。最初のニコ動を再現したい。

東浩紀氏:
新聞やテレビもそう簡単に無くならないと思う。5年で伸びたものは5年で無くなる可能性はあるけれど、100年続いたものは中々無くならない。

川上会長:
代わりになるものがそう簡単に出てこないと思う。

質問は終了。その後の思想地図β2を絡めた雑談での話。
東浩紀氏:
情報の価値はどこにあるかというと、情報量ではなく、複雑さ情報量の縮減ですよね。ババババーっと集めてドンっ「はい、あなたの方で料理してください」というのは商品価値は低い。

感想

ということで、途中にも書きましたが、テーマ「面白いを世界に広めるには」の回答は
「ローコンテクストだと広まりやすい、ハイコンテクストだと広まり難い」
だったのですが、結局それでは写楽のようにコンテクストから切断されて形だけが残り、その時代での文脈を含めた楽しみ方が残らない。残らなくて良いのかもしれませんがもしハイコンテクストな作品を残すのだとしたら、内輪の楽しみにせずに、新規参入を受け入れ続けて外の世界に発信して続く歴史にするという方法だと思います。一部では散々叩かれた村上隆氏が、海外に向けてオタク文化を翻訳して現代アートにしているみたいな活動をしていますが、これもハイコンテクストな文化を広げる行動の一つなのでしょうね。ただし、それを買う層・見る層に届いたからといって、果たしてその層にオタク文化が広がるかというと、あまりにハイソサエティな人々のために広がりが狭いとは思います。(ビッグマネーが動いて一気に流れを作ることが出来るという可能性は作るとは思いますが。)

ドワンゴ会長の川上氏の「もう一度動画を盛り上げたい」という発言、これが2011年9月。そして2011年12月のニコ動5周年に原点回帰を発表、そして現在2012年5月ニコニコ動画クラスタを賑わせているZEROwatchというプレイヤー実装に至る訳です。経営トップの思想が開発末端に行き渡っていないのか、時間が足りなかったのか分かりませんが、古くからのユーザーほど大変不評で、このまとめの中で出てきた、ネット上での発言力が大きい「怒る人々」が烈火の如く反発、その流れが出来た為に大きな反発になったのかなーというとそうでもなく、大多数が気に入っていないという反応。もちろん一部機能として良い物もあるのですが。
原点回帰の中で発表されたものの一つとしてクリエイター奨励プログラムがありますが、色々と問題が指摘されています。しかしこれには動画を盛り上げたいという意思が明確に表れており、これはシステム側から評価するためのマネーという実弾を突っ込んできた訳で、ここから動画投稿長者の先例が出てきて「動画投稿クリエイターが稼げる場所」という環境が認知される事で、新しいクリエイターの流入と、見る専門ユーザーだった人の動画作成チャレンジが増えるんじゃないかなんて安易に期待しています。
>新しいことをやり続けるのはしんどいので、ループしながら進化していく螺旋を作りたい
これはニコニコが成功モデルで参入障壁が高いという事からの考えかと思いますが、そうなるとYoutubeから動画取り込み(別サービスへの接続)、一部サービスの切り捨て(取捨選択)、周辺サービス機能の取り込み(ごっつぁん)、という流れがもう一度来ると考えて、さらに健全化の方向からすると、M&Aか提携が次の手のように思えてきます。具体的にあまり出てこないですがPixiv、ピアプロ、こえ部とか?競合する部分が多く、双方が既にコミュニティを築いていると思うので、統合ではなくサービスを横断して双方のユーザが移動しやすくなるようなパイプ作りのような提携でしょうか。でもそういう方向で考えると、やっぱり海外サービスとパイプ作りたいと思っちゃう気がしますね。

一つ浮かんだお風呂で思いつく妄想レベルアイディアとしては、「海外に出ていくのではなく来てもらう」という点が1つ、そして最近行われたニコニコ超会議にて枝野経産大臣の発言「官の押し付けではクールジャパンは広がらない」みたいな事を仰っていた点が2つ目。(この部分はネットニュースではあまり無い)
この2点から、クールジャパンの予算を引っ張ってもらって、オタク文化の聖地的空間、権威を与えるイベントを創造する仕組みに出資してもらうというお話はどうかなぁと。
具体的には、映画祭のようにマンガ、アニメ、コスプレ、小説などなどをエントリーしてもらって、それぞれの国でまず代表を決め、そして日本にて最終決戦、各国勝利と優勝者はアキバに用意するショップで作品を商品として販売する権利を獲る(グランプリ作品は各国翻訳して販売する)
経産省には口出しせず金だけ出してもらって裏方に回ってもらって、メンツのためにパンフの最後に名前入れて、議決権無い株式だけ持たせておくみたいな。
という事を行うことで、日本で認められる事が世界で認められることに空気としてではなく、しっかりとした仕組みとして作ってしまう。そうすれば確実に追い上げてくる中韓も一緒に切磋琢磨する仲間でありながら、イニシアチブを抑えた状態で世界戦略を進められるという妄想です。
イベント名前には日本アカデミー賞みたいにジャパンという国名は付けない、そうしないと各国でやられてしまうので、「もうこれは世界的にここしか無いんです。もしあったとしても国名がつくのは二流なんです」というアピール。例えばOtaku Grand Prix 2012みたいな。

普通は売れる物があるのだから、その販路を開拓しようというのが基本戦略だとは思いますが、そうではなくて圧倒的優位にいるうちに標準規格を抑えて足場・場所を抑えてしまおうという呑気な考えでひとつどうでしょうか。

さて、これで一区切りです。もたついているうちにニコニコ超会議の話題もネタに加えてしまいましたが、次はニコニコ超会議での音源を確認しながら思ったことを追って行きたいとおもいます。

2012年5月2日水曜日

東浩​紀 川上量生対談を振り返る5

本編ラスト、区切りを入れられないので長めです。

ニコ生思想地図「『おもしろい​』をセカイに広めるには」東浩​紀×川上量生
    http://www.nicovideo.jp/watch/sm15580519
公式まとめはこちら
    http://news.nicovideo.jp/watch/nw112807


川上会長:
明治になり、開国をしたが日本国土を守ろうとした。今はアメリカの圧力が強いから放っておいても開国はせざるを得ない。だからどうやって鎖国をするかを考えたほうが良い。インターネットはフラットに世界とつながるのは一見理想主義に見えるが、大多数の人々にとっては不幸せになる。だから中国のグレートウォールなどを見習ってネット上に国境を作ることを考えるべき。世界がみんな同じになったらつまらない。

東浩紀氏:
世界が一緒になったらつまらないのは確かにそう、日本でガラパゴス的サブカルチャーが生まれているのは日本語という複雑な言語が障壁になっている為。しかし・・・これから鎖国を長期的に?

川上会長:
鎖国という表現は大げさだが、ネットの国境は作るべき、なぜか?
外国企業は日本の法律を守らずに日本でサービスをしている。(例としてニコ動は権利侵害している動画を自主的にパトロールして削除する必要があるが、Youtubeは言われたら消すというだけでよい。)ルールが違う戦いをしている。
国という形を意地したいのなら、ネット上のルールも国ごとに分けるべき。

東浩紀氏:
ネット上に国を作るのは難しい、国は各人の身体の安全と所有権を守るためにある。物理的なもの。しかし、ネットの情報として形がなくなった時に、地理的に紐付けられている境界(国境)は存在意義が無くなると思う。

川上会長:
ネットにおいて国という概念が成立しにくいのはその通りかもしれない、しかし経済活動で見ると、Amazonは分野によっては既に小売トップ。これからも比率はあがる。国の物流の大半部分を外国ネット企業が支配する、国の経済活動のかなりを日本の法律が及びにくいところにコントロールされる、それは国家が崩壊するのと同じではないか?その大変な事をみんな理解して受け入れているのか。

東浩紀氏:
考えずに受け入れている人が大半であると思う。
例えば自国の文化保護の為に、国産番組に一定の時間を割り当てるだとかやっている国もあるが、それも国が放送免許を割り当てていたから出来ていた事で、インター ネットがつながればハリウッド映画を見てしまうだろうし、それをコントロールするのは難しい。
保護を考えるなら、自分たちの国で作っているものは質が低くても受け入れろという事?

川上会長:
そうではなく、ネット上のルールについて、日本ではクーリングオフであるとか日本独自のネット通販ルールを作ろうとしても現実問題難しい。これからのネットルールは国ではなくてAmazonやGoogleが決めるようになる。青少年育成条例についても、Googleがアダルトを検索エンジンから排除するほうがよっぽどクリーンになる。それだけネット企業の影響力がある。

東浩紀氏:
それはこれからの政治がどういうものになるかという話だと思うけれど、国民国家単位の政治は縮小している。僕たちは多国籍企業にかなり支配されているが、それら企業の方針が世界の人々に影響を与えていて、表現さえも変えてしまう現実がある。多国籍企業をコントロールする事を考えると、もともと企業は政治的に選ばれたものではないので、米国企業でも米国市民が支配するのにも非常に遠回りになる。どの国に企業があるのかという問題ではなく、ここで厄介なのは、国家はある意味ではトータルパッケージサービスという一人の人間の生活の全部を面倒見るものだった。
多国籍企業はこの人のパソコン部門を支配、ファーストフード部門を支配 などのように全体の面倒はみないので権力の仕組みが違う。
世界中に散らばった市民のそれぞれの生活の一部を国境を超えて支配している多国籍企業に対して、グローバルな市民がどういうふうに影響力を行使していくか? という別の問題がある、これは国民国家の問題と切り離したほうが良い。

>何故切り離したほうが良いか?
本質的に関係がない。例えばAmazon米国にあったからといって、米国市民がAmazonをコントロールし、それによって日本市民をコントロールしているわけではない。

川上会長:
でも政府はやっていますよね?例えば米国でGmailの内容をCIAは全部見ても構わないというような法律があったりする。日本は出来ない。
様々な国があるが、多国籍企業、特にネット企業に対してどういう影響力を行使しうるのかという事は、少なくとも国民国家としてのテーマになるので日本も考えなくてはいけない。
ネットをコントロールすることを積極的にやれと言っているわけではなく、僕はゲーマーなので日本という国家を運営するゲームとして考えると、ネットを支配するのはゲーマーとしては正しい。米国や中国はこのネット時代にどのようにゲームをすれば良いのかはわかっている、日本はわかっていない。正しいかどうかは別にして。

東浩紀氏:
Googleのようなものを世界の市民がどのようにコントロールするかは、国民国家ではなく別のルートを考えなきゃいけないのかなと考えてしまう。Googleに支配されて良いとは思ってはいないが。 今までの仕組みとは別種に現れた公共機関みたいなものなので。

川上会長:
しかし、「国民を支配する国家」vs「消費者を支配する多国籍企業」という視点ではライバル。

東浩紀氏:
僕は範囲を分ければ良いだけだと思う。究極的には国家というのは国民生活の最低限ラインを守る、元々の国家のあり方に戻るべきだと思う。昔は夜警国家というか人が殺し合うトラブルを抑止する暴力装置でしかなかったが、19世紀~20世紀に国家のあり方がやたらと広がって、健康増進したり産業育成したり・・・それに必要だから国民調査とかやるとか、国家が人々をコントロールする領域が巨大になっていった。
>でも徴税権は最後まで守ろうとしましたよね。(Googleが世界で稼ぐマネーをアメリカ一国で徴税している兼ね合いでのツッコミ)
なぜ徴税権を守るかというと暴力装置の意地にカネがかかるから。

第一次大戦以前はパスポートが必要なかったという話を聞いたことがあるけれど、昔の国というのは結構いい加減なもので、ある地理的範囲に住んでいる人のトラブルを治める為に、金をまきあげる、みかじめ料をとっていた。住みたくなければ出てって良いけど住んでいる間は金を払えよという仕組み。その原則に戻ったほうが良い気がする。そうすればみかじめ料さえ払えば、どこで金を稼ごうが、国家にとっては関係ないという話になる。

川上会長:
ネットのみかじめ料はどうします?ネットの経済における国ごとの徴税権の配分も大事な問題ですよね。GoogleやAmazonがどこに税金を払うか?単純に大きな政府・小さな政府でとらえられる話じゃなくて、東日本はGoogleにあげるみたいな領土の問題、国の領土をどこにもってくるか。

東浩紀氏:
Googleに集まった巨大な富をどうするかという問題設定に変えるべきで、ダレが徴税するかではなく。もし日本にGoogleがあったら日本に税金を払っていると思うけれど、それは日本という土地で暴力的な関係を安定させるために払っているお金。それとは別に巨大な富は貯まっている。
その巨大な富を社会に還元させるかという仕組みを考えなきゃいけない。

川上会長:
そうであれば、日本に住んでいる人のネット圏内は日本の領土であると主張しなければいけない。領海領空とあるけれど、日本の領土を覆っているネット網内も日本の法律に従わなければいけないと主張するのは当然。

東浩紀氏:
現実的には、日本人のGoogle社員をもっと増やそう問題じゃないの? Googleの方針に影響力を及ぼす日本人を増やしていく方が直接だし、それ自体が一種の政治参加になっていくような捉え方をしたほうが良いのではないか。Googleに支配されるのが良いと言ってるわけではなく、地理的境界を持っている国民国家という装置を使ってコントロールをするのはカテゴリーが違う感じがする。
だから話に違和感を感じるのかもしれない。

川上会長:
すごく分かるんだけれど、僕はいま日本という国に感情移入しながら話をしているので。日本という国を経営するゲームと考えると、ネットも領土と考えるのが正しい。それを超えて、これから世界をどういったアーキテクチャで治めていくかを考えていくと東さんみたいな考え方もあると思う。しかし、そこまで考える前提まで世の中の人はなっていないと思う。

東浩紀氏:
なっていないと思う。これは一般意志2.0の最終章で書いている内容なので喋った。政治って何かという意味を変えるべきだと思う。一方で国家というのは水道局みたいなものになるべきで、水道は僕達の生活に絶対に必要なもので無くなったら困る。しかし普段は水道のことを意識しない。それはなぜかというと大前提であるから。
国家というのは生活の大前提の所を面倒見るものになるべきであると。その外側で文化活動やったりクリエイティビティをやったりお金を稼いだりしている。その外側で発生した富の分配システムというのはこれからは全く別の原理で考えなければいけなくなる。つまり情報もお金も物も国境を超えてしまうし、作品がどこで作られているかというのが地理的に紐つける事が難しくなってしまう訳だから。
>そんな事は無くGoogleの~ (話を遮られる)
今はそうです、今はそうですけれど。僕は原理を考えたいと言っているだけです。僕の考えでは原理的にはGoogleはどこの政府にも税金を納めるべきではないです。国境を超えたネット企業はどこの国にも税金を納めずに別の決定原理を考えるべきと長期的に考えている。今、現実にGoogleという国境を超える世界的なある種の公共企業がある時に、アメリカにだけ投下されているというのは全くその通りだと思う。
地理的にどこかのポジションにぜんぜん違う2つの原理をショートカットすることによって、お金流れや権力集中に歪みができているのが現状。その現状を前提にしてゲームをするのであれば、その歪みを利用して日本も戦略的に鎖国をするのは理解できます。
しかし、長期的に50年とかのレベルで考えるとそれは違うと思う。これからGoogleに似たようなものがどんどん出てくるときに、グローバルに流通するクリエイティビティとか、元々国境に関係無く動いているお金とかをコントロールする国境が無いシステムを編み出さないと・・・世界政府とか世界共和国というわけではないが―
例えばニコニコ動画にコメントを書いている人が、何人だとかどこの国から書いているかという事を関係無く一つのコミュニティを出現させる。そういうアドホックなコミュニティみたいなものが、政治的決定を持てるような仕組みを作って・・・というような事を考えているが全体的に夢想的な話で―

ここでタイムアップ。そして質問コーナーへ(質問内容は次の記事で。)


ここまでの内容で、理系と文系、経営者と作家、近未来と遠未来、当事者と傍観者(部分的に)。立脚地がそれぞれ違い、ポジショントーク的部分もあるかもしれませんが、「おもしろい」をセカイに広げるにはというテーマのおかげでしょうか、基本的に未来の話なので、聞いていてワクワクします。
まず、川上会長のYoutubeとのルールの違う戦いを強いられているという話について、そこからルールの抜け穴を探すのではなく直球勝負で権利者との折衝をして、JASRACやそれぞれのレコード会社と契約して使えるようにするとかしてサイト全体を健全化してきた訳ですが、その為にニコニコ動画の一つの特徴であったMAD文化という体の一部を切り落とすいう凄まじい決断をした事も、それが良いか悪いかはまた別の話ですが、強いられたルールを守りながらグローバル企業と戦う為の戦術だったと俯瞰できました。

その後のネット空間の国境について、多国籍企業とその企業が存在する国が持つ徴税権や、国境を超えたルールの違いについては、私は日本の法についてさえ疎いので感情的な話をさせて頂きますと、川上会長の言っていることには賛同できるのですが東浩紀氏がどうしてもオープンにいこうとする点が考えが理解できなかったのですが、最後に説明する「これは長期的に考えること、現時点では夢想的な話。」という意味合いでの補足があったことで、二度三度聞くことでなんとなく分かりました。しかし現状の米国最強企業が全世界のネット環境を実質支配している状況では、現状を変えていこうという提案自体が中々・・・対談の中で冗談めかして言う「Google社員になって中から変えよう」方式が一番現実的に考えられる策に思えてしまうのは悲しい。
どこに税金を納めるかはまだしも、日本から飛び出して多国籍企業と戦うときに、足かせになる法律があることで内向きとか言われるのはなんともやるせないのではないでしょうか。そうなると、話の中でも登場した、こちらから出ていくのではなく”来てもらう”方法、若しくは比較優位のあるオタクの歴史を持って戦える場を用意して勝負をすることが、ひとつの勝利の道に見えてきます。別に結果としては勝たなくても良いのですが、日本発のものとしてイニシアチブを握って世界に空間が広がる事が理想の拡大方法だと思います。
その空間はネット上においては既にニコニコ動画が存在するわけですが、「来てもらう」というリアルな場の提供、そしてそこに行ったことが、大袈裟に言うとアカデミー賞をとったような世界的価値であると世界にしらしめることが出来る― そんな場所を作るというのはちょっと面白くない?なんて夢想的な思いを私も巡らせます。
次回の質問コーナーのまとめに続き、このリアルな場と価値の創造について妄想を走らせます。

2012年4月27日金曜日

ニコニコ動画→niconicoへ

ニコニコ動画は5月1日に「niconico」に進化
-BRAVIA/VIERA対応予定。iTunesに音楽DLも可能に
http://av.watch.impress.co.jp/docs/news/20120426_529573.html


サービス自体の名称も変更、「ニコニコ動画」、「ニコニコ生放送」など、様々なサービスを総称して「niconico」となり、その中のサービスとして「ニコニコ動画:Zero」、「ニコニコ生放送:Zero」などが位置する。
全体名称がniconicoに変わったことに大変落胆した人がいるようで、これをきっかけにニコ動アカウントを削除したり、コミュニティを削除したりなんて話がTL上でチラホラと見えたりしたので、今までの東・川上対談で語られていた一般化によるコアユーザー離れが顕著になっているように思えました。
私自身は記事の内容を見る限りは、名前の変更以外は基本的に大いに喜んでいます。具体的な内容は元記事を見ていただくとして、見出しだけを抜き出しますと、
ニコニコ動画:zero:高解像度化・タグのリアルタイム更新・UI一新
ニコニコ生放送:zero:一覧でリアルタイムコメント表示
テレビにも対応:BRAVIAやVIERAでコメント付き動画
NicoSound:簡単に動画から音楽をDL & iTunes登録
「ニコる」、「Nsen」、iPadアプリも
という新機能・機能強化が目立ち、普通に楽しみなパージョンアップです。にこ☆さうんどというWEBサイトがありますが、それを丸々公式でやっちゃう感じなNicosoundの名称はともかく、普通に便利っぽい。また権利者への利用料還元もされるようで色々と足場固めしっかりしてるなぁと。
あと特に「ニコる」ボタン。これはどういう影響を与えていくか詳しくは書いていないけれど、ランキングや上位表示に影響なんかされるのかな?「この動画良い!」みたいな単純気持ちを伝えるものとしてコメントやマイリスト機能が果たせない部分を、補足と強化がされるようなボタンだと思うので、がんがんに使っていこうと思います。

発表会が生中継されていたら間違いなく見たのですが、残念ながら記者発表会という事なのでネットメディアの記事しかなく、記事のコメントを見るしか無いですが、川上会長と夏野取締役それぞれのコメントが
サービスの全体名称が「ニコニコ動画」から「niconico」に変わった事について、川上氏は「動画以外のサービスも増えてきたため、わかりやすくし た」と説明。アルファベットになった事について、夏野氏は「日本文化が好きな海外の人、アメリカやヨーロッパにおいて、ニコニコ動画が情報源として非常に プレゼンスが大きくなっており、その点も意識している」という
ニコニコ動画という人を喰ったような名前が凄い好きでしたが、名前が変わってしまう。この名称変更から動画サイトではなくなるという事を受け取ってしまうと確かになんとも言えない寂しさはあると思いますが、「動画以外のサービスも」という表現の通り、動画がメインコンテンツでありコアコンピタンスであることは変わっていないと思います。しかしながらユーザーの創りだすコンテンツに頼って成長してきたニコニコ動画が、そのユーザーの気持ち(既に巨大化しすぎて一つの意思ではないと思いますが)を意識しないサービス名称変更というのは、一番の売りである「普通じゃない創造力」のコア部分にある、昔からのユーザーを突き放す行為にも受け取れてしまい、言ってることとやっている事違うよね?感も無くはないかなぁという複雑な感想。
「動画をもう一度盛り上げたい」という気持ちは間違いなく川上会長の中にあると、さんざんあの対談動画を見返してわかったのですが、果たして
ハードコアでコンテンツ供給力がある少数ユーザー と、
ミーハーで供給されるコンテンツを消費する大量のユーザー と、
どちらに体重をかけるか大変難しい問題ながら、恐らくはまずはマネー。そしてそのマネーをコアユーザーに還元するという方向に舵を切ったのかなぁなんて思ったりします。

いやしかし、儲からなくても良いというような発言も別記事でされているのでそうでは無いのかもしれません。
ドワンゴ川上会長と夏野取締役が語る「ニコニコ超会議」 10万人を「ごった煮」の渦へ (3/5)
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1204/24/news021_3.html
ニコニコ大会議は有料化の後、人気が上がるにつれ、黒字化できた回もあったが、今回のニコニコ超会議の収支は赤字になる見込みだ。川上会長は「収益のためにやってるわけじゃない。ユーザーが楽しめれば良い」と気にしてない様子を見せる。
上場企業の会長がこんなこと言える会社だから好きというだけで勝手な好感を感じている訳ですが、 一緒にインタビューを受けている夏野氏は間違いなく収益目標を明確に持ち、それに向けた経営努力を進めている。悪役を引き受けている夏野氏というキャラがいて面白い体制だなぁとも思います。
まとまりありませんが、今日の記事なのでどうしても反応しておきたかった。
今日はこのへんで失礼します。

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