2012年4月27日金曜日

ニコニコ動画→niconicoへ

ニコニコ動画は5月1日に「niconico」に進化
-BRAVIA/VIERA対応予定。iTunesに音楽DLも可能に
http://av.watch.impress.co.jp/docs/news/20120426_529573.html


サービス自体の名称も変更、「ニコニコ動画」、「ニコニコ生放送」など、様々なサービスを総称して「niconico」となり、その中のサービスとして「ニコニコ動画:Zero」、「ニコニコ生放送:Zero」などが位置する。
全体名称がniconicoに変わったことに大変落胆した人がいるようで、これをきっかけにニコ動アカウントを削除したり、コミュニティを削除したりなんて話がTL上でチラホラと見えたりしたので、今までの東・川上対談で語られていた一般化によるコアユーザー離れが顕著になっているように思えました。
私自身は記事の内容を見る限りは、名前の変更以外は基本的に大いに喜んでいます。具体的な内容は元記事を見ていただくとして、見出しだけを抜き出しますと、
ニコニコ動画:zero:高解像度化・タグのリアルタイム更新・UI一新
ニコニコ生放送:zero:一覧でリアルタイムコメント表示
テレビにも対応:BRAVIAやVIERAでコメント付き動画
NicoSound:簡単に動画から音楽をDL & iTunes登録
「ニコる」、「Nsen」、iPadアプリも
という新機能・機能強化が目立ち、普通に楽しみなパージョンアップです。にこ☆さうんどというWEBサイトがありますが、それを丸々公式でやっちゃう感じなNicosoundの名称はともかく、普通に便利っぽい。また権利者への利用料還元もされるようで色々と足場固めしっかりしてるなぁと。
あと特に「ニコる」ボタン。これはどういう影響を与えていくか詳しくは書いていないけれど、ランキングや上位表示に影響なんかされるのかな?「この動画良い!」みたいな単純気持ちを伝えるものとしてコメントやマイリスト機能が果たせない部分を、補足と強化がされるようなボタンだと思うので、がんがんに使っていこうと思います。

発表会が生中継されていたら間違いなく見たのですが、残念ながら記者発表会という事なのでネットメディアの記事しかなく、記事のコメントを見るしか無いですが、川上会長と夏野取締役それぞれのコメントが
サービスの全体名称が「ニコニコ動画」から「niconico」に変わった事について、川上氏は「動画以外のサービスも増えてきたため、わかりやすくし た」と説明。アルファベットになった事について、夏野氏は「日本文化が好きな海外の人、アメリカやヨーロッパにおいて、ニコニコ動画が情報源として非常に プレゼンスが大きくなっており、その点も意識している」という
ニコニコ動画という人を喰ったような名前が凄い好きでしたが、名前が変わってしまう。この名称変更から動画サイトではなくなるという事を受け取ってしまうと確かになんとも言えない寂しさはあると思いますが、「動画以外のサービスも」という表現の通り、動画がメインコンテンツでありコアコンピタンスであることは変わっていないと思います。しかしながらユーザーの創りだすコンテンツに頼って成長してきたニコニコ動画が、そのユーザーの気持ち(既に巨大化しすぎて一つの意思ではないと思いますが)を意識しないサービス名称変更というのは、一番の売りである「普通じゃない創造力」のコア部分にある、昔からのユーザーを突き放す行為にも受け取れてしまい、言ってることとやっている事違うよね?感も無くはないかなぁという複雑な感想。
「動画をもう一度盛り上げたい」という気持ちは間違いなく川上会長の中にあると、さんざんあの対談動画を見返してわかったのですが、果たして
ハードコアでコンテンツ供給力がある少数ユーザー と、
ミーハーで供給されるコンテンツを消費する大量のユーザー と、
どちらに体重をかけるか大変難しい問題ながら、恐らくはまずはマネー。そしてそのマネーをコアユーザーに還元するという方向に舵を切ったのかなぁなんて思ったりします。

いやしかし、儲からなくても良いというような発言も別記事でされているのでそうでは無いのかもしれません。
ドワンゴ川上会長と夏野取締役が語る「ニコニコ超会議」 10万人を「ごった煮」の渦へ (3/5)
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1204/24/news021_3.html
ニコニコ大会議は有料化の後、人気が上がるにつれ、黒字化できた回もあったが、今回のニコニコ超会議の収支は赤字になる見込みだ。川上会長は「収益のためにやってるわけじゃない。ユーザーが楽しめれば良い」と気にしてない様子を見せる。
上場企業の会長がこんなこと言える会社だから好きというだけで勝手な好感を感じている訳ですが、 一緒にインタビューを受けている夏野氏は間違いなく収益目標を明確に持ち、それに向けた経営努力を進めている。悪役を引き受けている夏野氏というキャラがいて面白い体制だなぁとも思います。
まとまりありませんが、今日の記事なのでどうしても反応しておきたかった。
今日はこのへんで失礼します。

2012年4月26日木曜日

狂った面白さ、尽きない欲。

テレビに「公平」「中立」は無い! 当事者の真ん中に立たないと真実は見えないのだ
http://blogos.com/article/37387/
40年前、僕はテレビ東京の社員だった。 当時は東京12チャンネルといった。
僕はディレクターとして、たくさんのドキュメンタリーを撮った。
その作品を、五箇さんはテレビ東京の倉庫から発掘してくれたのだ。
僕自身、この世にはもうないと思っていた作品もたくさんみつかった。
なかには、いまではとても撮影が許されないであろうという内容の 作品もあった。
たとえば、当時大人気のジャズピニスト山下洋輔さんが 「ピアノを弾きながら死ねればいい」と言った。
それを聞いた僕は、 「それならピアノを弾きながら死ねる状況を作ろうじゃないか」 と考えた。
当時は全共闘全盛の時代だった。 早稲田大学もやはり中核派や革マル派、民青などに占拠されていた。 そのなかに反戦連合という組織があった。 中核派から分裂した組織で、民青のいちばんの敵だった。
バリケード封鎖されていた大隈講堂から反戦連合のメンバーに ピアノを盗み出させて、民青が占拠している地下ホールに運び込み、 山下さんに弾かせたのだ。
それをすべて撮影した。
演奏中に中核派や民青が殴りこんでくる、そうすれば山下さんは ピアノを弾きながら死ねると考えたのだ。

山下さんもすごいが、その話を実行して、撮った僕も頭がおかしい としか言えない。
もし、山下さんがそこで死んだら僕も殺人の共犯で捕まっていただろう。
いやー、ほんと頭おかしいです。でも頭のおかしさが人を集める番組になるというのは、今のテレビ番組の企画としては中々通らないのか、いやもしかしてやっているのかもしれないですが・・・最近はめっきりとテレビを観る時間が減ってしまって、ネット上で流行った番組を見てみるという人の判断の後追いをするという状態になっています。
そういう事をしていて見る番組というのはプリキュアであったり、白熱教室であったり、ニッポンのジレンマであったり、スーパープレゼンテーションであったり。田原さんの朝ナマであったり―。なんというNHK率だろうと考えると、田原総一朗氏が良く口に出すコンプライアンスがテレビを駄目にしたというような話と、法令遵守をはなからやっていたNHKにとっては周りが同じ土台に立った為に、自分のフィールドに敵が降りてきてくれた状態であり、戦いやすくなったのかなぁなんて思い、結果としてNHKが頑張っているように見えるのかもしれません。

「ネットとの融合に力を入れ、これから伸びるのはNHKとフジテレビ」と2010年末の津田大介氏のトークショーで聞きましたが、残念ながらフジテレビは韓流ゴリ押し問題から、ネットに嫌われてしまうことで、NHKの一人勝ち状態になったと私には見えております。平日24時からのNEWS WEB 24なんてのはネットで頑張っている人々をネットナビゲーターとして日替わりで呼び込み、ツイッターの反応を番組上でリアルタイムで紹介しながら進めるなんていう、ニコニコ生放送並の双方向性をもった番組になりかけていたりと、大変面白いことをやっています。

さて引用した記事の後半に進め!電波少年のプロデューサー土屋氏が
面白いテレビ番組を作るには、 狂っていないとダメなのだろう。
 と仰っております。その狂った部分。恐らくテレビから消えた(であろう)部分は素人がインターネット放送が出来る、ニコニコ生放送などのインターネット配信サイトが引き継いでいると思います。その狂った面白さは、前例があるとパクリと言われてしまうが為に、ある方向性に向けた放送を続けると「狂う」という基準が上がり続ける恐ろしくも見えてしまう事も最近、いや2年ほど前から思っております。いずれ規制が入るのではないかと思い続けていますが、大きな事件が起きない限り法の手は入らないと思います。もちろん事件も規制も入らない事を願いますが、
もっと面白さをという人間の欲も、
もっと視聴者をという人間の欲も、
限界は無いと思います。いずれ膨らみすぎた風船が耐えられなくなったように、破裂するのではないかと、限りない面白さを求める愚者の一人として思います。

2012年4月25日水曜日

失ったキュレーションの価値と初体験。そしてアクティブなフォロワーとして。

皆様のインターネットの情報源はなんでしょうか。
Yahooトピックス、2chニュース系の板、2chまとめサイト、各マスメディアのサイト、Twitter、Mixiニュース― 等々。人それぞれで色々あると思います。私も様々な情報源を混合でニュースをつまみ食いをしていますが、朝8時から始まる佐々木俊尚氏のTwitterアカウントによる、朝のキュレーションという時間がここ最近では一番の情報源になっていました。それが一度佐々木氏が入院されてしまうと、同じレベルのニュースを自分で探すとなるとどえらい大変で、ここ数日はキュレーターの力を思い知りました。



こんなニュースとか。RSSリーダーを捨てた自分にはまたその登録とその更新データを追う作業が大変。退院されて無事で何よりです。

さて、このキュレーションをちょっと関係なさそうな話を絡めながら掘り下げますと、朝のキュレーションがいつから始まったかは覚えてはいませんが、それ以前の体験として。
ニコニコ生放送サービスが始まって1年か2年した辺りで、色々なユーザー生放送を見てはコメントを打って、反応を喜ぶのがまだ新鮮だった時期でしたが、その中に羽田恭一郎というユーザーが居ました(過去形なのは既に引退してこのハンドルネームは封印されている為。)
その彼が朝のニュースを自分なりにまとめて、ニュースキャスターになった体で放送するという事をやったことがありました。その時がまさに最初のキュレーション体験だったと思います。まず思ったのが自分の興味が有る人間がまとめるその日一日のニュース、それは関心をもつレベルが最初から数段上の状態で自分の中に入ってくるわけで、ただ漫然と新聞の見出しをザーッと流しているような状態とは格段に情報の染み込みパワーが違います。残念ながら一つのネタとして消化されてしまい、あまり長くは続かなかった事と、私自身がすべての放送が追えない状態だったので、いつの間にか終わっていました。

そしてその終わった段階で思ったのは、そのキュレーションは完全に無料であった事と、自分の自己満足か使命感か自分が楽しいか自分の為になるか役に立つか・・・つまりそのキュレーター気持ち次第で簡単に始まり簡単に終わってしまう。それを続けてもらうためには、ユーザーがそれを支える仕組みが強固にあるべきなんじゃないかと。(ニコニコ生放送ではコメントによる支援、あったとしても広告という視聴者を増やす補助的な仕組みであるのでコレでは弱いかなぁと。)
そうして思ったのは投げ銭的な応援資金をプレゼントする事でモチベーションを上げるような仕組みがつながれば、キュレーターをエンパワーメントでき、質が向上し、ユーザーが増え・・・。という +の螺旋階段を登るのではないかなぁみたいな無想をしました。

しかし現実はそう甘くはなく、あの佐々木氏のキュレーションでさえも直接のマネタイズには繋げず、フォロワーを増やし交流し、そこから本の読者に繋げるという間接的な方法をとられているようです。
しかしお金だけじゃないな、やっていることによる反応が数値として増えていくという仕組み自体は既にある訳だから、良いと思ったら囲わずに自分も乗っかっていくアクティブなフォロワーになっていけるように心がけようかなぁなんて思いました。
あ、これはまさにこの動画じゃん。つながった。

2012年4月24日火曜日

東浩​紀 川上量生対談を振り返る4

続きです。この部分はあっち方面の人からかなり異論が出そうなので要約せずほぼ書き起こしです。気になる方は元動画にコメントガンガン打って、どうぞ。
ニコ生思想地図「『おもしろい​』をセカイに広めるには」東浩​紀×川上量生
    http://www.nicovideo.jp/watch/sm15580519
公式まとめはこちら
    http://news.nicovideo.jp/watch/nw112807

震災から半年の段階で台風が来てまた100人くらいの犠牲が出た、日本という場所が人間が安心して暮らすためにはものすごいコストがかかる、震度7とかの地震を耐えるような建設コストをかけなければいけなかったり、世界的に見ると物凄いハンデを負っているのではないかという話題。

川上会長: でもヨーロッパ半島は痩せた土地で、ローマ時代に森林を焼き払われて資源が乏しくて、小さな国がたくさん争っていて、そんな国でも栄えたのはどうしてか?

東浩紀氏: 梅棹忠夫氏の「文明の生態史観」のなかでの、ユーラシア大陸の西の辺境と東の辺境だけが結局勝ったという説。次に「文明としてのイエ社会」で語られる、東日本と西日本は基本的に別の国で、
・東日本   と   西日本
・西ヨーロッパと東ヨーロッパ  の対立が重なっている。
西日本と東ヨーロッパの農業形態や社会の構造がある程度似ている。そのさらに辺境として出てきた西ヨーロッパ=東日本は資本主義に対して最も適合性が高かったという説がある。しかしグローバル化が進むと辺境は結局辺境にすぎない問題が出てきた。例えば成田空港はハブ空港には絶対になり得ないといった話など。


一旦話を区切り、日本はこれからどうなっていくのか?
川上会長:
日本語って変じゃないですか、論理的じゃないし。その非論理的言語で非論理的な事を喋っている大量の人たちが、(世界と)違うモノが出てくると思う。その違うモノの生み出す競争力というその一点に賭けるしかないかもしれない。
東浩紀氏:
それって神風みたいなものじゃない?こいつギリギリまで来てる感あるよね。地震とか来るけどイケルーッ!みたいな。こんな時こそクルッ!みたいな。
―― 日本の建国のところまで遡ると、日本て地理的に辺境にあって、黒潮や半島からのルートで人がよく流れこんでくる場所で、色々な人種と混血を繰り返した結果日本人になったとよく言われる話で、日本は危機が何度かあって大化の改新とか天地天武朝の頃と、明治維新の頃で、両方共外国からある種破廉恥なまでに制度などを受け入れて、外国人を大量に入れて国の形をガラッとかえて凌いでいる。
この国の最も強い伝統は破廉恥に身を開くことだと思う。自分たちの伝統を大切にしないという伝統を持っている国だと思う。生き残るためにはそうしなければならなかったし、それによってダイナミズムを確保してきた。今回の地震がどのくらいの危機かわからないけれど、身を開くということを考えてみても良いかと思う。日本という国をコントロールしている部分を緩めるということ。
新羅と唐が連合軍を組んで百済を滅ぼした時に王族とかが逃げこんでくる、日本はそういう逃げこんでくる土地、難民とかが来る国。日本でなぜオタク文化が栄えるかというと、日本て凄く脱落している奴にやさしい国で、日本という国そのものが脱落しているというか脱落国家なわけで、二流の脱落した外国人がやってきて文化を生み出していくというような事が歴史的に繰り返されてきた国なんじゃないかなと。

川上会長:
そのダメな人達がいっぱいいるネットが日本を変える唯一の可能性だと思う。

東浩紀氏:
しかし、そのダメな人達が自分たちだけのダメな王国を作りました。以上誰も入らないでください。 とこれじゃダメ。

川上会長:
しかし、日本のリアルな世界では外に出て行かないとか言っているが、ネットのMMOや2ちゃんねるとかでは韓国人とやりあったりとか4chanと交流したりだとかしている。実はクローズなネットの深部で交流をしている。

東浩紀氏:
しかし、ネットの別の閉鎖的な一派が居るわけで、そっちの方向に行ってしまってはいけない。
サブカルチャーの交流をしている韓国や中国がボーカロイドなどを作ったり当然してきて、日本のオタク文化にキャッチアップしてきた時に閉鎖的になってしまう事が考えられる。日本のオタク文化はアキバやコミケなどあるから比較優位を持っていて、そこで評価されたいという外国人は多いと思う。そういう人達に対して「みんなおいでよ」と言えれば良いが、こっちから攻めて行くのは、こっちに来られたら困るみたいなのはいけない。

川上会長:
でもニコニコ動画もネットの文化の海外発信とかしていかなければならないのではないかという世界的な指名を感じているが、台湾ニコニコ動画を作ったが、台湾人は日本ニコニコ動画に来てしまう。だれも台湾ニコ動にアクセスしない。だから、僕らはそのまま受け入れればいいんじゃないかと感じている。

東浩紀氏:
今この国を規定しているのは、開国か攘夷かというイデオロギーの対立だと思う。原発の対応なども見ても外交がとても弱い。この国はいつの間にか国民の感情だけでなく、国全体が内向きになっていて。攘夷、外国人出て行けという感情も出てきている感じがするが、こっちに振れてしまうと良くない。
江戸から明示の時に良かったのは、明治維新の時、倒幕派は最初は攘夷であった。既存政権は開国しようとか言っていたところを、そんな事言ってたら駄目だ攘夷だよ攘夷!とポピュリズムを共にしてぶっ潰したけれど、その後に「いや開国ですから」と開き直った。そういう事をやっていくしか無いと思う。

というお話からネットの国境、GoogleやAmazonなどグローバル企業のルールについての話に繋がります。
今回のオタク文化に中韓がキャッチアップしてきた時に受け入れられるか問題については、韓国人漫画家が日本で活躍していたりとか、ネトゲのキャラデザイナーの画集が売れまくったりと、単純に興味の段階でやっていれば良いんだけれど、なぜだかその人の漫画もキャラも知らない人たちがニュースを見て、外から叩き始めると荒れるのは、最初のほうで書いた「怒る人々」と呼ばれる閉鎖的でありながらネットでの存在感が強い人々が出てきた時じゃないかと思います。
彼らは今回語られた「攘夷」という感情そのもののように思えますが、原動力は一体何なんでしょうかね・・・韓国ドラマのゴリ押しがどうのってのは確かに納得できる情報が出ているからわからないでも無いですが、ただ別の国の作家というだけで拒否反応を起こすのはなんとも理解に苦しみます。

2012年4月23日月曜日

IBMがなんか凄いの作ってたらしいけど1年後に気づいた問題

読めていない新聞を週末に読みなおすというふざけたことをやるようになっていますが、20日の日経10面にIBMのハードウェア事業からソフト・サービス事業への改革についてのヨイショ記事がありました。最近話題のビッグデータと、もう一つは質問応答システム「ワトソン」について。
昨日のアイデアで上げた似ている文章検索サービスみたいな物は個人でも実現可能のように思えますが、100万冊のデータから検索システムのようにキーワードから探すのではなく、人間の質問へ自然な応答をするという凄まじいものを、天下のIBM様が4年の歳月をかけて作っていたとの記事がありましたがこりゃマネーが無いとできない。実際話題になったのは昨年だったらしいですが全然気づきませんでした。
いわゆる人工知能に近いと思いますが、100万冊のデータを持っているシステムと言うことは、英語ではありますがこの中に文章合成システムをぶっこめば、感動的なポエムや小説など色々と創作(というか分かりませんが)出来てしまいそうに思えますがどうなんでしょう。
 質問応答システム“ワトソン”がクイズ番組に挑戦! http://www-06.ibm.com/ibm/jp/lead/ideasfromibm/watson/ 



もう一つのビッグデータについては最近大流行なのですが、実際日本での例ってのがあまり庶民生活には降りてきていない様に思えますが、裏側ではガンガンにやってたりするんですかね?
昔思ったのはTポイントって山ほど登録店舗があるけれど、横の連動ってあるのかなぁという事で、どの店のデータもCCCで全て管理されているとしたら、購買履歴から景気が良くなったユーザに旅行や上級カメラ買ってくださいDMを投げつけるというような事がされるように思うのですが、もしや私が下層市民だから届かないだけですかね・・・

2012年4月22日日曜日

東浩​紀 川上量生対談を振り返る3

続きです。
ニコ生思想地図「『おもしろい​』をセカイに広めるには」東浩​紀×川上量生
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15580519

公式まとめはこちら
http://news.nicovideo.jp/watch/nw112807
東浩紀氏:
文化的なものを軽量化するようなフレームワークをまだ人類は持っていない。マーケティング分析はあるんだけれど、質をもっと軽量化出来ると思う。例えば純文学とライトノベルの違いというのは、今のところレーベル・出版社が違うというだけ。内容というと直感的に見て判断しているだけ。
しかし文章レベルですべてデータとして読み込んで形態素解析をかけてどういう形容詞と副詞のバリエーション、1センテンスの長さなどをデータとして比較する事で、実はどちらも漢字と平仮名の比率は同じだったりとかがわかったりするのではないか。批評家はそれを頭の中で感覚的にやっている。

それを受けて川上会長:
コンテンツの中身の分類でなく、流通経路で判断できると思う。広告の出稿にTVのどの時間帯にいくつ出す、新聞に出す、雑誌に出すといったところで、特定のクラスタに対して認知度を100%にしようとしている。その後は作品の質でヒットするかが決まる。良いコンテンツでありながらヒットしないのは認知度が足りない場合。

東浩紀氏:
流通経路の分析もできると思うが、最終的にはコンテンツの中身の分析と組合わさる必要がある。こういった作品はこういった流通経路でヒットしやすいというのは相関関係がある。高校生にライトノベルが受けているのは、たまたま彼らにそれが与えられているだけで、コミュニケーションの性質が、コンテンツの中身の性質を規定しているはず。今までなんとなく分かる という状況だったものが、それがわかった時に文化分析は飛躍するはず。

川上会長:
その分析に参考になるのはソーシャルゲームのマーケティング。あるキャラクターを使ってソーシャルゲームを作るときに、怪盗ロワイヤル型だとか牧場型だとかある程度決まった方に当てはめて設計すると、売上高・ARPUはどれくらい・どのくらいの期間稼げるだとか全部計算できると言ってマーケティングしている。
それと同じ事を昔アーケードゲームでやっていた。一つヒットが生まれたら類似製品でロケテストをやってどのくらい稼ぐかを予想していた。それをやったことでジャンル自体が衰退してしまった。 純文学とライトノベルも飽和してコアユーザーだけが残るという同じ状況。おそらくソーシャルゲームもこの2,3年くらいで飽和してしまう。
しかしソーシャルゲームはそういったマーケティングのデータが豊富にあるので定量的に分析をするのであれば良い対象になるのではないか。

東浩紀氏:
しかし、なぜテキストに僕がこだわるかというと、1次元のデータだから計量化しやすいはず。ベストセラーのひらがなと漢字の比率を調べるだけでも面白いことが分かるはず。なぜやらないんだろう。ゲームのほうが複雑に思えるのだけれど。

川上会長:
それはゲームはバリエーションが少ない。テキストは自由度が高すぎる。囲碁と将棋を比べるとわかりやすいが、将棋は王将とか金で分類ができているが、囲碁はものすごく自由度が高い。

東浩紀氏:
「テーマの面白いを世界に広めるには」の答えを簡単に言うと、ローコンテクストだと広まりやすい、ハイコンテクストだと広まり難いということに落ち着きそう。



お二人の考えの違いが明確に出る話で大変面白く見ました。
そこで思い出したのですが、おそらくこの放送を聞いていただから思いついたけれどすっかり忘れていたアイデアで。いや、もうひとつ小池一夫さんのニコ生の番組の発想もあるかもしれないですが。
何か物語を作るときに、今まで読んだ物語が頭の中で再構成、発展させる事での創作という事をされている事が多いと思いますが、それをシステム的に補助するようなWEBサービスがあると素晴らしいのではないかと思いました。
例えばこんな。
















こんなので、作品のタグ付が大変だと思うのでそれはCGM的にユーザーの手を借りてタグ付をしてもらってガンガン登録してもらう。登録する人々は無料で使えるなり、登録した量に応じて評価されるとか、マネーが還元されるといった仕組みをつけて促進させる。若しくは読書メーターとかブクログとかと提携して、感想と一緒にタグ付けしたデータをもらえる契約をするとか。
タグ登録をしていれば無料で使えるけれど、検索システムだけ使う場合は有料にする。プレミアム会員ユーザは作品の表示だけでなくて作品の概略と、ストーリーの肝部分まで見えたりとか。
しかし川上会長が言うように、こんなものから生まれたものはつまらない作品になるという懸念はありますね。

多分半分は終わりました。まだ続きます。

2012年4月21日土曜日

東浩​紀 川上量生対談を振り返る2

 昨日から引き続き、お二人の対談を振り返ります。
ニコ生思想地図「『おもしろい​』をセカイに広めるには」東浩​紀×川上量生
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15580519

公式まとめはこちら
http://news.nicovideo.jp/watch/nw112807

昨日の投稿の後で再度聞き直したのですが、勝手に自分の投稿に都合の良いように記憶を改変している部分があったので、昨日の記事を修正しました。そして聞きなおしている中で、重要な発言が漏れていました。

川上会長:
ニコニコ動画を作った事は日本にとって悪い方向になっているのではないかと不安であった、インターネットに何時間も滞在していて日本のGDPに貢献していない日本人を作ってしまっているのではないかという事で。
しかしそもそもインターネットに何時間も居るユーザは今までもそうだった。そういったユーザのエネルギーがクリエイティビティに向かい、世界にニコ動文化のファンを増やす力になっているかもしれない、良かったと思うようにしている。
そのエネルギーの誘導路が色々あって選択肢が多ければよいが、少ないために花王の不買運動やデモに行ってしまうのが良くない。

Youtube以降、雨後の筍のようにポンポコと動画共有サイトが生まれ、Youtube一人勝ちだろうなと思ったところで、ニコ動はユーザ登録が順番待ちになるほどに流行っていたので参加したわけですが、それがまさかここまで大きくなるとは思いませんでした。私のような、ほぼ見る専門のクリエティブな方向にエネルギーを使うことをしなかったユーザさえも、「コメント」という方法で参加させた仕組みは本当に凄いと改めて思いました。


コクリコ坂からからの話題が続き
東浩紀氏:
カルチェラタン保存運動問題は運動部の人々はまったく関心がなかったけれど、全校の数%の文化部の人たちだけが騒いでいただけだった。それと同じように、東大の駒場寮が文化の象徴ということになっていて取り壊しの問題の時には大問題になったという話だったが、ほとんどの東大生は関心が無くて実際に在学中だったのに後で新聞で知ったという事がある。

ここでハイコンテクストな小さな世界での大きな問題が、すごく近くに居る人々にさえ届いていなくて、わざわざメディアを通して伝わるという狭さを説明しているのかな。


東浩紀氏:
ハイコンテクストなものに関心が持てなくなっている、それができるのはインフラを作っている人がいるから。問題として複雑な文脈を持ったものが出てくるインフラを作る方法である。そしてそれを持続可能な物にするにはどうすればよいか?またニコ動はどのくらい続くと思うか?

この疑問に大して川上会長が「それは知りたいと思っているし、研究したい。データがあるので、もし研究をしてくれるならデータは出す。ドワンゴにはアカデミックな社員がいないので」という事を言っている。あーこれがニコニコ学会βの誕生に繋がっている考えなのかなぁと思った。タイミング的にニコニコ学会第一回シンポジウムが2011年12月6日なので。

ヴぉー記事の修正していると進みませんね。まだ続きます。

2012年4月20日金曜日

東浩​紀 川上量生対談を振り返る1


移動する予定が多かったので、道路脇に咲く花々に見とれて事故りそうになる季節ですがいかがお過ごしでしょうか。長野県も広いですけれど、やっと平地では桜が見頃になりました。山の上の方ではまだ雪が残っていてお花が咲くどころではありませんが。
今まで溜めにためてきたニコニコ生放送関係の録画をiTunesにぶっこんで移動中に聞いて消化しているのですが、なんとも深い話ばかりでいっぺんに聞き切る事と、頭の中で自分の解釈をするという事ができない放送ばかりです。 ということで話題ごとに幾つかに分割します。
しかし、それでもまとまらないので、本当に読みづらくなります。と先に予防線を張らせていただきます。
ニコ生思想地図「『おもしろい​』をセカイに広めるには」東浩​紀×川上量生
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15580519

公式まとめはこちら
http://news.nicovideo.jp/watch/nw112807
(なんと2011年9月の放送・・・参りますね。自虐はせずにスルー。)

もうDVD/BDが今年6月に出るのですが、放送当時は劇場公開直後の「コクリコ坂から」の感想から始まります。
抗議や社会運動のような行動を結果あるものにするためには、女性のパワーを取り込むと爆発するor成功しやすい。(メルちゃんと呼ばれる女性主人公が、古くなった高校の寮の保存運動に加わる事で活動が劇的に進むことから)
そこから派生して、ドワンゴ会長であらせられる所の川上会長が「ニコニコ動画もターゲットは女性、でも女性を入れると男は怒る。」とぼやく。ネット上では発言力はもの凄いあるけれど、リアルな人数としては100万人いないくらいの人々を「ネット原住民」という言葉を使って表現していた かわんご氏の言動と重なりますが、その怒る人々は東浩紀さんの言う「ハイコンテクスト過ぎるネタを使った遊び」をしている場に、女が入ってくることでその場が壊されてしまう事を嫌う。という。

一般化するとそういう考えに至るのかもしれませんが、おそらく女性が入ることでそのハイコンテクスト化が、やおいであるとかBL、擬人化、カップリングにより加速する場面もあるのでは?と思いました。もちろんそれは多くの怒れる男性が楽しめないネタに変換される事により、異次元のネタへと料理されてしまうので、同じハイコンテクスト空間に居ながら分かり合えないという断絶を生んでいるのだと思います。

 そこでそのネットカルチャーの最先端にあるニコニコ動画がこれからどうなっていくのかを川上会長に聞くと、むしろそれは東さんに教えてほしいと逆に質問を投げ返す。

川上会長の「同じハイコンテクストの講談速記本の文化が潰えてしまったのはなぜか?」という問に対して、
「ハイコンテクスト化が行き過ぎると、内輪での遊びになってしまい、複雑になったものを理解できない新規さんがいなくなる。そしてその文化は崩壊する。オタク文化も同じ道を辿るのではないか?」という答え。
とは言っても東浩紀氏はオタク文化自体は滅びても問題無いけれど、話の流れで後世に伝えるにはどうしたら良いかといった立場に立って話してくれる。

東さんは宇野さん主張として「コンテクストを豊かにすることでつまらないものを面白くする事ができる。そのことによってつまらない日常を乗り切るんだ」と言っている と説明。
しかしそれだと何も残らない。 何かを残そうとするとコンテクストを剥奪しても残る物でなければならないことを考えると、 複雑な文脈で消費する事が豊かであると信じるその空間から、外に出た時にも単純に評価される物になってしまう。

講談速記本については資料があまりないので詳しく語れないが、江戸時代では「この作家がこの役者の演じるこのキャラクターの絵」というものすごい複雑な楽しみ方を浮世絵でしていたと例にして話をすすめる。庶民の中では歌川豊国が一番(うろ覚えらしい)だったが現在浮世絵で出てくる名前は写楽。写楽は外国人が発掘してナンバーワンのようになったが、外国人たちは江戸時代の庶民のような楽しみ方はせず、単純にその大首絵の画面の使い方と色合いを評価した。
「作品や文化が残るということは、コンテクストから切断されて物だけが残るということ。コンテクストというのは時代の空気や社会に支配されている。」

しかし複雑化しすぎた事による崩壊はもう始まっているのかもしれない。しかもなぜか内部から。
 アニメオタクの教養とか知識とか経験とか http://togetter.com/li/175173

んでハイコンテクスト、つまり複雑な要素・ネタがからみ合って実はこの作品のあのシーンのあのキャラのセリフをパロっていてとか、あのキャラの造形はあの小説から来ていてとか、別の作品の声優さんのネタからきていて・・・みたいな物は普通に楽しんできたのですが、それが通用しなかったことがちょっと心に引っかかっているので吐き出させて頂きますと、コードギアスというロボットアニメがありまして、そこで紅蓮弐式という機体から紅蓮可翔式という機体に乗り換えるシーンがあるのですが、そのシーンがどう見てもダンバインという同じロボットアニメのダンバインという機体からビルバインという機体に乗り換える、リアルロボット系アニメにおける主人公機体の乗り換えという歴史的シーン(ボトムズの話置いておいて)そのまんまなんですよ。
そしてコードギアスを見ていた時期にはTwitterなんてものはやっていなかったので、実況板の該当のスレッドを見て「これダンバインじゃーん」と書き込むわけですが一切反応がない。アレ?誰もわからないのかな・・・若しくは記憶違いなのかな・・・みたいな不安に陥っていよいよアニメ板まで行って専用スレで書き込むと、3分後くらいに「>>おっさんかよ」という レスが付きまして凄く喜びました。「分かるよねお前もおっさんだよね」と返す喜び。(といっても再放送世代なのですが)

つまり何が言いたいかと言いますと、複雑であれば複雑であるほど、それが分かる仲間意識というのが芽生えて快感を感じてしまう。そしてその快感を味わっている集団の中に女性が現れてドヤドヤと踏み荒らすことそれを「怒っている」と表現していたんだなぁと、そう理解できたんです。

と言うことで全然話が進んでいませんがお時間です。次回は「もう一度動画を盛り上げたい」という川上会長の発言から、クリエイター奨励プログラム、超会議、超パーティーに話が行けたらいいなぁ。

2012年4月19日木曜日

良い物をアーカイブする人、広める人、繋げる人。

さよなら、青い鳥。 http://www.nicovideo.jp/watch/sm3291944
元スレアーカイブ http://tear.maxs.jp/log_aotori.html  (↑動画投稿コメントにある元スレは見られないので)
ダウナー系のツイートが来たので、ツイッターで水木しげるさんのWikiに載っている自殺に関するコメントを引用してリプライしようとしたのですが、思いとどまって考えているうちに機を逸してしまった。全然関係ないように思えますがそこから派生して思い出したのが上記のFlash。 最初に見たときは元スレのレスを借りると「みぞおちの所の黒い穴」にズッポリとはまり込み、涙ってこんなに出るんだと自分で驚くほど泣いた。嗚咽ってこの事かと思うほど泣いた。 でも久しぶりに見るとその時の記憶と、今の感情の綯い交ぜになった複雑で清々しくも悲しい変な気分になりました。


以下蛇足です。
そして何よりもこれまでのログがちゃんと残っている、アーカイブの大切さ、他の人にも感動を伝えたいって人が居るんだってことに感動した。震災の記憶をどう残す?といったことから、歴史的な背景やこれまでの良い物、教育、人生の流れを引き継ぐということが日本人は下手なような気がする。
探さなければいけないし、信頼を得た人に教えを請うことでやっと学べる。これだけ無料で素晴らしいアクセス環境を提供するインターネットというインフラができてもまだ。そのあたりはアメリカ人が大変上手であるとちきりんが言っていた気がする。(http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20120410
 このFlashに関しては、何度も見ていた時期があったし、周期としては凄く開いたけれどまた見たという時期もある。それでも何度見ても泣けたし、今回何年ぶりだろう、3,4年は経っているんだけれど、今回は涙は出ていない。そのへんはきっと「耳をすませば」を見て死にたくなるという現象を「アレを見て死にたくなるのは、まだ自分にはあーいったドラマの可能性があるけれど、踏み出せないとか思い切れない とかいった一つの行動できないだけだと信じているから死にたくなる。完全に可能性も切り離して見るようになると死にたい感情はなくなる」みたいなことをTwitterで言っている人がいた(本当にうろ覚えで検索にかからないのでアカウントは明示できません。すみません)。これが青い鳥との別れなんだろうと想い出す。
 当初Flashの保管庫で何度も見ていたけれど、今回はニコニコ動画の転載された動画で見ました。本当に良い物はインターネット上でグルグルと回る。Tumblrのリブログのように。今日は蟹の殻をかぶった猫の画像が回ってきた。最初に見たのはいつだろう?2ヶ月くらい前にも見た気がする。

 『傘をひらいて、空を』 というブログがあるんだけれど、一時期これを毎日のように見ていた。見ていた時期は仕事が1時間早く終わるはずなのにWEB巡回(懐かしい)をしているために、そもそもが帰りが遅いのに+1時間されていた。そんな巡回サイトにライフハック系のサイトが出てきた頃にタイムマネジメントとかに感化されて、ブラウザを変えるのと併せてブックマークを引き継がなかったために完全に忘れていたサイト。それが最近Tumblrでリブログされてきて、なんつーいい文章を書くんや・・・と思った所、元サイトを見てみたらこちらのブログだった。

作文が終わらない

七つの女の子と話をしていたら、作文が終わらなくて困っているという。彼女は小さい子にしては要領よくしゃべるんだけれども、なにしろ七歳は 七歳なので、話がくどい。しかもしょっちゅう脱線する。最後まで聞いて推測するに、どうやら何を書いて何を省くかがわからないので作文が長くなっている、 ということらしかった。
http://d.hatena.ne.jp/kasawo/20100420/p1  続きはこちら

良い物は回る環境はある、けれどそれをレコメンドというかインフラの高速道につなぐ取り付け道路というか、こ↑こ↓だよって案内するガイド役というか、そういう人やサービスが・・・あるんだけれどなんというか
こう・・・
ネット初心者はこれを見るべき→SNSで個人情報リスクはこれこれこう
面白い人はこの人→ツイッターアカウントのフォロー!これを”著名人”じゃなくて本当に面白いツイートする人
医療関係の最新情報はこの人がすごい、
保守派でこういう考えならこの政治家を応援しよう、
このプロバイダのこのプランが安い、
すき家の朝定が激安で食える、
この法案が通りそうだけどやばいよ、
―・・・とか、探さないと辿り着かない有用な情報にアクセスできる人だけが得られる状況を、もっと繋がるチャンスを増やして欲しいと思う。 本気で求める人にしかそのチャンスは与えられないとか、俺たちが苦労してたどり着いた情報だからお前も苦労しろとか、苦労して手に入れたから価値があるとか・・・そういうのもすごい分かるんだけれど、有用でフリーで手に入る(つまり広げたい)情報ってのは、もっとアクセシビリティを高くすればオールピーポーがハッピーハッピーになるんじゃないかなぁ。

2012年4月18日水曜日

誰かに作って欲しいツイッターWEBサービス


”● Twitterが3.11で学んだ3つの教訓とは

自然災害のような不測の事態にもTwitterは力を発揮すると語るコステロ氏は、東日本大震災からTwitterにとって3つの教訓を 得たという。1つ目は「人々をつなげる力があること」、2つ目は「ライフラインとしての役割になること」、3つ目は「ハッシュタグを使うことで必要な情報 を得られること」だ。” 引用ここまで
人々をつなげる力 例として表示されていたラピュタのTV放映時のバルス祭り2万5000ツイート/秒を例に挙げていました。私自身も参加していたのでこの祭りの雰囲気でインターネット上でつながっている感はありました。そしてそれは2ちゃんねるで遊んでいた時代の、実況板の雰囲気に気軽にアクセスできるという感覚を思い起こしました。もちろん実況というのはツイッターの一つの面でしかないですけど、ちょっと掘り下げます。

2ちゃんねるの匿名ユーザー達がTV画面を見ながら思い思いに投稿するレスポンス、それらに対するレス。ネタ。煽り。喧嘩・・・レギュラー番組におけるお決まりのパターン化した流れ、様式美。ただ漫然と眺める、若しくは内容そのものが大して楽しくない番組が、沢山の人たちと一緒に見るだけで何倍にも楽しさが膨らむ。
そんなおもしろい事を手軽に、更に機能が改良されたツイッターの空間は、大変な革新をもたらしてくれたなぁとその面からでも感じました。
そこから感じるのは、原始的な掲示板のやり取りで楽しかったものを更に楽しく という方向で改良したツイッターでの実況。それをバージョンアップすることはできないかと・・・そんな事が思いついたらそりゃすごい事だと思いますが、やっぱり思いつきませんね。

ただ、派生して思いついたのは、
「日本語ハッシュタグが大喜利状態」
「ネタツイートがパクられる問題」
上記二点からツイッター関連のWEBサービスとして、 盛り上がったハッシュタグのまとめと、その中の人気ツイートが自動的にランク化され、それを更に人間があとから「高く評価」「低く評価」をつけることによって整えられるというもの。併せて類似ツイートが「ぱくったー」のように機械的に表示されることにより、ネタの発信者を明確にする。こんなのどうだろう。
これにより、匿名アカウントであるがために際どいネタを言えるツイッターの良い所が、逆に簡単にパクられてしまう悪い所になってしまっている。それがネタ師のモチベーションを下げている問題を解決。おもしろツイートアカウントを埋没させず、さらなる競争を即すというものなのです。さあ誰か作って。

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