2012年5月30日水曜日

0円の壁

RTで流れてきたのですがすみませんネタにさせて頂きます。
本社従業員を半減、ってどういう意味なのだろうか・・・もちろん工場・営業所等も削減するんだよね?この記事だけではリストラの全容がみえない。 / “時事ドットコム:パナソニック、本社社員半減へ=配置転換や希望退職を検討”
というツイートなんですが、投稿の性質上ただの晒しになりかねないのでリンク張りません。
"パナソニック"をニュース検索すると分かりますが詳しい記事は出てきます。有料記事でも日経などは無料会員ならば月に10本まで見ることが出来ますし、新聞本紙を見ればもちろん一面記事にあったり。また、疑問に思っている「工場・営業所も削減する?」という話ですが、「本社」と書いてあるのですよね・・・。

何が言いたいかというと、詳しい情報が欲しい人間には、有料で情報を発信していくべき時が来ているけれど、その仕組がまだ現状の便利過ぎる情報の取得方法についていけてないと改めて思いました。なので今回の場合はツイッターですが、ツイッター側がマイクロペイメントに対応して、PayPalなりGumroadなりカード会社なりと契約して、有料記事リンクをそのまま20円とか50円で配信して、簡単に決済出来るようにしたら広告収益モデルと有料記事収益モデルの両輪で稼げるようになるんじゃないかと・・・ってそんなことはもう考えたけれどやっていないんだと思いますけれど。

・0円と1円
・10円と100円
それぞれのハードルの高さは段違いって良く聞きますが、決済の単純化っつーのはそれほど大変なんでしょうかねぇ

2012年5月27日日曜日

やる気に関する驚きの科学を見て

一時期ビジネス雑誌を賑わしたダニエル・ピンクさんのTEDを今更ながら見ました。自分用まとめ。

成功報酬を与える、報酬を高額にする方法が機能するのは、「何かをすれば、結果こうなる」というゴールが見えている場合。単純作業にはプラスに働く。
しかしゴールが見えず、広い視野をもって答えを自分で見つけなければならないクリエイティビティを要する場合には、成功報酬は思考を狭めてしまってかえって邪魔になる。ということが科学的に証明されている。
 成功報酬に代わるものとして、「自主性、成長、目的」という3つの別の構成要素をつかって仕事を進める答えを出した。具体例として、MicrosoftのEncartaとWikipediaとの比較。専門家に盛大に報酬を払って、しっかりとマネジメントしたEncartaは消え、自主性に任せたWikipediaはますます伸びている。

http://www.ted.com/talks/dan_pink_on_motivation.html

動画最後のまとめ
科学が解明したこととビジネスで行われていることとの間には食い違いがある。
1.20世紀的な報酬、ビジネスで当然と思われている動機付けは機能はするが驚くほど狭い範囲の状況にしか合いません。
2.if Then式の報酬は時にクリエイティビティを損なってしまいます。
3.高いパフォーマンスの秘訣は報酬と罰ではなく見えない内的な意欲にあります。自分自身のためにやるという意欲。それが重要なことだからやるという意欲。

2012年5月21日月曜日

ごるもあ事件からニコ生コミュを考える

先週のニュースですが、ニコニコ生放送の構造に絡んだ問題と、勝手に妄想した機能が実現したらちょっと良さそうだなーと思いまして掘り下げます。内容は、ニコニコ生放送にて「創価大に突入して1人ずつ射殺する」という犯行予告をし、それが通報されて御用となった人が居たというお話。

ニュース動画。実際の犯行予告は動画ページにリンクがあります。



人物説明:ごるごるもあニコニコ大百科

そもそもこの人物が統合失調症で、過去に犯罪予告や皇居に入浴剤投棄とか、逮捕歴も何度かあるという人物ではあるのですが、こういった行為をする目的と成果意識を持たせてしまう構造が、今のニコニコ生放送にはあるように思えます。
ニコニコ生放送では放送をする為にコミュニティ参加(作成)している必要があります。そしてそのコミュニティに参加するユーザーの数でレベルが上がり、放送時間の延長が可能になったりと 様々な権利を獲得していく仕組みになっています。もちろん放送が面白ければ人数が増えるため、安易に人数を増やす為に犯罪スレスレのネタや、女性はちょいエロなどに走る人々が後を絶ちません。それは「面白い=楽しい」ではなく、カタルシスを感じる普通では見ることが出来ない映像、それも「生放送」が目の前で行われ、それに対して自分は安全圏からコメントという飛び道具で参加することが出来る為「おれたちにできない事を平然とやってのけるッそこにシビれる!あこがれるゥ!」いや、憧れるかどうかは分かりませんが、電波少年とかやっぱ面白かったじゃないですか。ああいった放送が人気になってしまう訳です。

そこでそのコミュニティ人数を増やすという行為自体が、単純に人数のみで計られている点。「応援する」と「反対する」(反対する人もコメントを打つためにコミュニティに参加する)の人数がすべて同等に評価されてしまっているという構造的問題があるため、
「評価する」(+2)、
「どちらでもない」(+1)、
「評価しない」(-2)
の3つの選択肢だけで良いので、その選択する権利を、コミュニティ参加するプレミアム会員だけに付与すれば多少は変わってくる気がします。(無料会員による工作を防ぐために有料会員限定機能)
何かしらの祭りに巻き込まれるor当事者になると、イナゴ的に集団低評価を食らう場合があるので、評価は一定期間過ぎると「どちらでもない」に変わり、変わった通知が表示されるとかいう機能もあっても良いかもしれない。

コミュニティ機能について考えていたら別の案も出てきたので、関係無いけれど妄想。ニコニコ生放送のコミュニティのバージョンアップ案としては、コミュニティごとのリレーション。コミュニティオーナーどうしの了解を得ることでのコミュニティの繋がり(現在はコミュニティ説明文や大百科記事で各々やっている物をシステム化)はもちろん、そのコミュニティに参加している人々の中で、他に参加しているコミュニティが重複している場合に、Amazonの「この商品を買った人はこんなものも買っています。」というリコメンデーションを行う機能のように「このコミュに参加している人は、こんなコミュニティに参加しています」という一覧を表示する。
コミュニティの規模によって巨大コミュは非表示機能も付ける。大手コミュは重複している人が多すぎるため、レベルによって制限あるいは参加人数によって一覧に表示しないようにする。
気に入った放送を探す助けになる事と、機械的に表示する事によって思わぬ繋がりや、放送のネタ、タコ壺化防止に役立つかもしれない。
 
また、同じコミュニティに参加しているユーザー同士(非配信者)の繋がりを強めるための、放送者以外での交流、つまりSNS機能を強化する。現在死に機能っぽいフレンドを活かす為に、参加コミュニティの重複度を数値化、一欄表示して似たユーザーを繋げる。SNS化を進めるのか分からないですけれど。

Recent機能で多少見えるようになったけれど、もっとコメントを活用できないかなーと。生放送のコメントのアクティブ・ネガティブコメントなどを解析して「楽しい放送」「叩かれている放送」なんてのがランキング見ただけでアイコンが付与されるとかそんなの。

まとめ

と言うことで悪い事をして人を集めようという人達も、集まった人がアンチなのかフォロワーなのかを判断する数字があったほうがいいじゃなーい?それで安易な人集めはマイナス評価されるので、多少は健全化するんじゃないかなーという考えです。

文字だけじゃ分かりづらいので後々画像を付けます。

2012年5月13日日曜日

ニコニコ超会議の記事まとめ


ニコニコ超会議
2012年4月28日・29日に幕張メッセで「ニコニコ動画のすべて(だいたい)を地上に再現する」をコンセプトに開催されるユーザー主体のニコニコイベント と銘打ったニコニコ超会議が終わり、イベント後に様々な記事が掲載されました。私は行けなかったので、ニコニコ生放送で行われた各イベントの中継と、ネット上の記事を読み漁りました。それらの記事と共にニコニコ超会議とは何だったのかを振り返ります。★付きはオススメ記事。


ニコニコ動画主催の大型イベント「ニコニコフェスタ」を考える
http://d.hatena.ne.jp/ronri/20081213/1229161275
まず、2008年12月の段階で、超会議っぽいイベントを提案していたブログ記事。しかし黒字化以前の投稿なので、ニコニコ動画のコンテンツをいかに収益化するか?リアルイベ ントで儲けよう! という話なので趣旨が全く違いますが、こういう事を考えた人がいた、そしてこういった儲け優先でもやれたかもしれないという点で。
実際には目的も異なり、結果も4~5億の赤字。

大手メディアでは朝日が一応記事を書き、日経が唯一特集記事を上げていました。(他にあったら教えて下さい)さらに日経は連載記事。
★「ニコ動」で進行するコンテンツ革命、熱狂の舞台裏 ネット上の才能を現実世界に解放~ドワンゴの挑戦(1) 

多様性と共感のメディア「ニコ動」、超会議の真意 ネット上の才能を現実世界に解放~ドワンゴの挑戦(2) 
”これは近未来を想像した話でも、ごく一部の“オタク”の世界に閉じた話でもない。大手メディアの多くはこのイベントを報道しなかったが、実は大人の知らないところでコンテンツの革命ともいえる事態が進行していた。 ”
”テレビ視聴率が低迷し、CDが売れない時代。だが若者たちはエンターテインメントを嫌いになったわけではない。じつはコンテンツを「自給自足」して楽しんでいたのだ。”
”CD音源を勝手に使用することは許諾範囲に含まれておらず、ユーザーは大人の締めつけに、次第と商業音楽から離れていった。代わりに最高の遊び道具として脚光を浴びたのが、バーチャルアイドルの初音ミクだった。 ”
” 「働かないニートがネットで大量にコンテンツを作ってる。そんなのは日本くらい。でも、それがニコ動の強さでもあるんですよね。確かに、まだニコ動は まったく日本のためになってない。でも、予感みたいなものは感じている。ユーザーを見てて、こいつらと一緒だったら世界で勝負できると思ってる。ニコ動が 日本に貢献できるんだったら、そこだなと」”
津田大介氏がNHKようこそ先輩の撮影で、中学生たちに対して「芸能人と話したことがある」というよりも、「歌い手と話したことがある」という方が反応が段違いに良かったと言っていた事が、これか!と理解できた。
また、カンブリア宮殿でも特集をするということでいよいよ日経との繋がりを強めている感と、枝野経産大臣や森喜朗元首相を呼び込んだり、政治が人気ジャンルとして確立しているニコニコでは、そういったロビー活動もこれからの発展には必要なのだなぁなどと勘ぐります。


「ニコ動」、リアルでも大盛況 若者つなぐ一体感
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201205020155.html  
朝日新聞も取材しているようですが薄い内容。

ニコニコ超会議の「超エンジニアミーティング」 を全部取材してみた 
http://hoshi.air-nifty.com/diary/2012/04/in-e9eb.html
エンジニア向け。

誰得? それとも世紀の大発明? 未来すぎるニコニコ学会β「研究100連発」
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1205/08/news119.html
ニコニコ学会βから研究100連発からピックアップ記事。

第2回ニコニコ学会β「研究してみたマッドネスメカの部」忙しい人向けまとめ
http://normahead.seesaa.net/article/267554781.html
タイトル通りニコニコ学会βのありがたいまとめ。翌日記事に続いています。

ニコニコ超会議について書いてみる
http://d.hatena.ne.jp/nagaimichiko/20120501/1335802253
”ようやくだけどこういう機会が持てて、ほぼ全社員がユーザーさんと間近に触れあって、  自社のサービスを愛していただいていることを肌で感じることができて、  しかもありがたいことに成功と呼んでよいレベルに達することができた。  本当に、よかったなーと思う。これを機にサービスの深みが一段も二段も増せたら、  それが今回のイベントの本当の成功だと思うのです。”
運営サイドからの感想。

“超会議”で燃え尽きた!? イベント後のニコニコ動画“中のひと”を直撃!
http://news.walkerplus.com/2012/0503/22/
中野運営長へのインタビュー。インタビュアーがうざい(悪意はないです)

超会議
http://d.hatena.ne.jp/tomosaku/20120504/1336119999
超会議の事務局長の記事。ユーザーと接した事で今後の成長に良い影響を与える可能性。



ニコニコ超会議に未来を感じた
http://blogos.com/article/38173/
超パーティー最後の普段表に出ないエンジニア登壇について。

ニコニコ超会議の意味するもの
http://d.hatena.ne.jp/monnalisasmile/20120430/1335765445
集金モデルのチャレンジについて。ニコニコ動画というプラットフォームの力をTVと比較して解説。


ニコニコ動画 ニコニコ超会議が終わった
http://d.hatena.ne.jp/tnakashi25/20120429/1335710674
ニコニコ運営に対して、普段お小言を仰る方がプラス評価をするという点。



ニコニコ超会議は何を起こしたか
http://blog.tsuwatch.com/2012/05/01/45/
一般参加者の視点。

【日記】 ニコニコ超会議戦記~超会議に行ってみた~
http://blog.livedoor.jp/haruharap/archives/1735943.html

同じく一般参加者の視点。会場の全体的な雰囲気が分かる。

ニコニコ超会議がなんだがんだで伝説になったわけだが
http://majikichi.com/archives/7041536.html
VIP住人がノリでやってるっぽいけど、中高生視点として。

★ニコニコ超会議とはなんだったのか
http://d.hatena.ne.jp/GiGir/20120430/1335752682
” このジャンルごった煮のカオスさというのはまさにニコニコ的なもので、それは横断的にいろんなジャンルを普段からつまみ食いしている人にとってはニコニコ 動画という場の前提認識なのですが、実のところ新しくニコニコ動画の視聴者になった人たちというのはこのジャンルごった煮感というのはあまり実感しておら ず、自分たちの興味のある範囲内にしか目が届いていなかったのかなと。  それがニコニコ超会議というリアルのイベントに参加した人は、自分がまったく興味のないジャンルにも膨大な人たちが群がり盛り上がっている様子を肌身に 沁みて感じることが出来たのではないか。もしそうだとしたら、それだけでもこの超会議というイベントは成功だったのではないかと思います。”
~中略~
” ともかく、ニコニコ超会議は、「みんながみんな違うニコニコ動画像をイメージしている」ということがハッキリと可視化されたことが一番良かったことかな、 と思っています。ニコニコ動画というプラットフォームはもはや広大すぎて、その全体像を把握しきれている人はもう誰もいない。ジャンル横断的に眺めている 人も、それぞれ重なる部分と重ならない部分があって、それで全体として緩やかに繋がってニコニコ動画という場、ニコ厨と いう「雰囲気」を作っている。それは外から見ると一見ひとかたまりのようにも見えるけど、こうして「地上に再現」してみると、実はてんでバラバラな人たち の集合だったんだということが誰の目にも明らかになる。先のインタビューでの川上会長の言葉を見ると、そういった効果を狙ったものだったのかな、と思いま すし、もしそうだとしたらやはりこのイベントは大成功だったのではないかと思います。”


★ネットとリアルの断絶の終わり――「ニコニコ超会議」が示したものを考えてみた
http://www.4gamer.net/games/140/G014059/20120503001/
ニコニコ動画に通ずる日本のインターネット史を含めて紹介。
”旧来のマスメディアの力なくして,あるいはマスメディアとの連携なくして,ネットのコンテンツがリアルで話題になることは原則としてなかった。  ……のだが,「ニコニコ超会議」では,「歌ってみた」や「踊ってみた」「ゲーム実況」,さらに「例のアレ」といった,絶対にテレビ……どころか,ほかのどんな媒体でも盛り上がりようのないコンテンツ――要するにネット/ニコニコ動画内だけで完結しているコンテンツ――で,10万人近くもの人が“集まってしまった”のだ。”
”世代別のカバー率で,20代の75%がニコニコ動画を利用しているという話である
~中略~
要するに,少なくともある特定の層(年代)に対してニコニコ動画は,ある種のクリティカルマスを超えた状態にあるということだ。”
”「ネットで話題=リアルで話題」になった事を宣言する儀式(イニシエーションだったのではないかと,僕は思う。)”

ネット通販大手ZOZOTOWNを運営するスタートトゥデイが、9月に同じ幕張メッセでリアルイベントを開催する。
http://www.morningstar.co.jp/portal/RncNewsDetailAction.do?rncNo=692565
ネットメインでやってきた企業がリアルイベントに進出という点、幕張メッセで開催という点でこれは比べるべきか?なんて考えましたが、様々な記事を読み漁る中で出た結論は、全く別世界のお話だから比べるのは無いなぁと。大きな視点では2012年のイベントで「こんなことがありました」という事で並べられるかと思いますが、これは自分の偏見が入っていますが「おしゃれな人種、おしゃれに見られたい人種」だけの閉じた世界との比較はありえないなと。

感想

ということで、きっと今はこういったまとめ記事を作るのであればNEVERまとめが良いのかなと思ったりしました。それはさて置き、惜しかったのは10万人に届かなかった点。あと8000人来ていたら10万人!という良い数字になったのですが残念でした。
ニコニコ動画を大体地上に再現というのは確かにできていたと思います。あまりに多くのジャンルと目移りする様々なイベント、人、物、音。オタクから鉄ちゃん、エンジニア、科学者、博士、棋士、ゲーマー、やくざ者からダンサーからアーティストから哲学者、政治家、自衛隊員、ホモ―― こんな多種多様の専門家やワナビーが触れ合えるイベントなんてまずありえない、多様性の祝祭空間。普通じゃない事が価値であるという事を魅せつけ、現実世界に宣言をした、ダイバーシティフェスティバルin幕張メッセ。それがニコニコ超会議だったんじゃーないかと思います。

以下蛇足
ニコ生で放送される超会議を視聴して参加したのですが、ネット上で超会議関連の番組表を見るだけでも多すぎる。興味のある放送をすぐに選択して見ることが出来たけれど、上から順に並べるタイプの番組表ではあまり見られない番組が出てきてしまうかなぁと。もちろん番組表ページや超会議の特設ページに行けばいいんですが、やはり生放送を開いた画面での当日の専用ページ(生ケットの時のような)物を用意した方が良かったのかなぁと思いました。そして、超会議開催から翌週の再放送ですが、せっかくの再放送なのにやはり同じように放送する事で、見たいものが多い場合に選択しなければならない点、あれだけのコンテンツを手に入れたのですから、もっと小出しでも良かったかなぁと思いました。(もちろん超会議を再現!というコンセプトと、タイムシフト視聴が出来るのですから良いというのも分かりますが。)

ニコニコ動画に関しては、2009年くらいまでは、組曲『ニコニコ動画』で有名なしもさんが作るニコ動で流行った物をまとめたメドレーで一体感を確認するみたいなことや、入っている曲は大体のニコ厨が知っているというような状況があったと思います。しかし一般化、巨大化が進むにつれ、それぞれのクラスタ化がきっちりとまとまっていく中で、総合ランキングからの流入や別クラスタに輸出・輸入・マッシュアップ・動画ネタ化による作品同士の繋がりが無いと、中々別の文化が入ってこない、ニコニコ全体の一体感というのが失われていたし、これからどんどん進んでいくという空気を感じていました。しかしそんな最中に行われたこのニコニコ超会議。
ニコニコ大会議では歌い手、踊り手などの見栄えする、分かりやすい集客力がある人々が餌(失礼)にされることでイベントを成功させるというような、外の人たちから見ると、「奴らは優遇されている、俺達は冷遇されている、だから否定する。」こんな誰も特しない敵対心が溢れ、結果として全員が求め、間違いなく一体になれる「運営」という敵に対して攻撃を仕掛けることになっていたと思います。
運営自体がなければニコニコで遊べない。ニコ厨がいなければコンテンツは生まれない。
相互依存・・・違うなウィンウィン・・・?いや共生関係にある?何かいい言葉が出ませんが、そういう仲間になってお互いを認め合う事で本当はきっと、もっとニコニコ出来るはずだった場所、それがこの超会議で「運営GJ」という空気が復活し、そして昔の一体感を取り戻す、本当の原点回帰のスタート地点になったのではないか、そんなふうにも思えます。
そして、それは、これからのニコニコ動画、ニコニコ生放送のZeroWatchと呼ばれる新しいインターフェースが、ユーザーに受け入れられるモノになることが絶対条件になるかもしれないなぁなんて思った次第です。

2012年5月11日金曜日

オタク第一世代の片鱗を見た。もっと見たいという話

これは視聴期限本日中なので、庵野さん・特撮に興味がる方はぜひ見たほうが良いです。
バーチャル観客8,000人の​記者会見 館長 庵野秀明 特​撮博物館 in ニコファーレ ※タイムシフト試聴期限5/11 23:09まで
http://live.nicovideo.jp/watch/lv90679561

今年の夏に東京都現代美術館にて開催される”館長 庵野秀明 特撮博物館  ミニチュアで見る昭和平成の技” の記者会見イベント放送。説明の途中、同展覧会にて展示される万能戦艦マイティ号の再現模型を紹介する場面で庵野秀明氏と、司会のフリーアナウンサー伊藤綾子氏とのやり取り。

司会「庵野館長これはどういったものでしょうか?」
庵野氏「僕の夢です。これを再現するのが夢です。」
司会「どういったところが好きですか?」
庵野氏「フォルムですよね、成田亨さんのフォルムが大変素晴らしい、あとこの大きさ、存在感が良い。」「某宇宙戦艦ヤマトにも似てますが」
司会「このメカとかはどうなんでしょうか?メカがお好きと聞いたのですが」
庵野氏「メカ? 万能戦艦という響きもいいですね。古く感じるかもしれないけれど、この”万能”ってのが良いですよね。水の中もいけるし、水の上も、空も飛べるという・・・・・」
「・・・分かんないと思うから突っ込まないほうが良いよ。これの良さ君には難しいと思うから・・・台本は無視して、次行ったほうが良いよ。見たら凄いからってことで~」とにこやかに突っぱねてしまう。

司会の女性に対して説明してほしいという台本があるにも関わらず。伊藤綾子さんもかなり準備をしてきたようなのですが、残念ながらATフィールドに拒絶されてしまったようで・・・
しかしその後、司会の女性は轟天号について説明して欲しいと食い下がる事で、恥ずかしながらも庵野氏の素晴らしい愛を語らせることに成功させるのはニヤリとしました。 ニコ生のコメントにありましたが「庵野も丸くなったなぁ」と流れてニヤニヤしました。

カッコイイ!これがオタク第一世代。女子供にゃこの世界はわからないし分かってほしくないという感じが良い。本物のオタクってのはこれかというのを見ることが出来たので、前日の平野耕太氏のネタツイートから始まる米坂さんのオタクとは?の一連のツイートを思い出し、勝手ながらTogetterにまとめさせて頂きました。

米坂学氏、オタクを語る
http://togetter.com/li/301504

私がTwitterのプロフィール欄に似非オタクと書いているのは、本物のオタクへの尊敬と憧れ、そしてオタクになりきれなかった自虐をほんのり入れて似非をつけています。

2012年5月7日月曜日

東浩​紀 川上量生対談を振り返る6(終)

質問コーナーとまとめです。
ニコ生思想地図「『おもしろい​』をセカイに広めるには」東浩​紀×川上量生
    http://www.nicovideo.jp/watch/sm15580519
公式まとめはこちら
    http://news.nicovideo.jp/watch/nw112807

質問:「仮に、文化を計量化出来たとして誰が特をするか?得たものはどう還元されるか?」

東浩紀氏:
文化を計量化できたらクリエイターは得すると思う。 それぞれの個人の中で職人芸的に2,30年かけてようやく培われてきた知が共有化されるという事なのでショートカット出来ると思う。ライトノベルと純文学の話で言うと、漢字かなの比率、単語の頻出度が数値化されただけでジャンルを横断出来ると思う。自動的に出来るかもしれない。例えば”ライトノベルに変換したったー”みたいなが出てきて、ラノベっぽくなるみたいな。

川上会長:
僕は理論で文化を作っちゃうと面白くないものが増えると思う、でも最初に僕がそれを作ったら僕が得すると思う(笑い)
似た話で、映画事業をやっているとある会社の社長と、映画の作り方について話した。「今までうちの会社の映画事業はとにかく駄目だ。10億円で映画を作った、10億円費用がかかったから20億円稼ごう!というビジネスをやってきた。しかし順番が逆だ、こういう作品を作るのだったら5億円くらい売上が上がる作品だから、2億円くらいしか製作コストはかけられないという作り方をするべき」という話を聞いて、鈴木敏夫さんにその話を話した。すると大笑いして「僕は古い映画人なので、前者だね」と言われた。ジブリ映画の場合は、かけたお金よりも稼ぐという発想で経営している会社なんですね。
経済原理と離れた活動をしている会社が多いというのがコンテンツ業界。電機や家電業界だとかは1位、2位、3位の会社は大体似ている。ところが音楽やゲームなどになると、カプコン・セガ・任天堂・コーエーとか個性がありすぎですよね?普通は同じ業界でこんなに個性は出ない。
ジブリは企業は本当に酷い経営をしているが、それが勝ってしまうというのがコンテンツの世界。ある意味で理屈に合っていない経営をしているのが良いと思う。文化が計量化されると面白いものが減るというのはそういう理由。

東浩紀氏:
それはクリエイションについてよく言われることなんだけれど、(評論家を20年近くやっているからそう思うのかもしれないが と前置いて)実際には文章を書く能力というのは、技をいくつ持っているかという事で、人々が思っているよりも職人芸に近い。自分の中に引き出しが沢山あって、このパターンならこうするという事を組み合わせる能力。定形にはまらないクリエイションは稀にしか起こらない、大抵の人は技を持っていないために疲弊していく。作品が構造化されて解ると、そこがショートカットできてクリエイターを自由にするはず。
野球を例に出し、何も知らない人間に「とにかくあのキャッチャーミットに向かって投げろ」と言われて投げ方を自分で編み出すよりも、有名投手のビデオを見てショートカットするような事。クリエイションの世界にはあまりそれが無い。

川上会長:
それについて思うのは、分業化してクリエイターがプラットホームと同率で存在する為には、ルールは決まっていたほうが良い。コミックや本とかがそうだけれど、フォーマットが決まっていて印刷技術を全く知る必要がない、ただモノを書けば良い。
しかし、ゲームとかネットはプラットホームの作り方を知っている人間がコンテンツも作る。そういう人間のほうが有利だから。スーパーファミコンでもプレイステーションでも新しいハードが出た後、ハードウェアの性能を活かしきったコンテンツは2,3年出なくて、だんだんとノウハウが溜まってきて技術力が平準化されて、そのあとは続編しか出なくなる、それで新しいハードが出る。という歴史を繰り返している。逆に漫画や小説はプラットホームが全然変わっていない世界である。
どちらが良いのか?
お金がかかるコンテンツを作るのであれば、プラットホームが変わっていくほうが良い。 そのほうがプレイヤー(製作者)が少なくなり、一つのコンテンツに対して上がる収益が大きくなるので大きな投資ができるようになる。
完全にオープンなプラットホームであるコミックや書籍だが、一つのコンテンツにかけるコストが小さくなる。誰でも参加できるから裾野が広がるけれど。そのどちらが良いのかという話。

東浩紀氏:
僕は書籍についてしか責任持って言えないけれど、 クリエイションは参入障壁は凄い低いので「なんとなく作りたい」で始められるが続かない。一発屋の小説家なんていくらでもいるが、それが2,30年持続することが大事で大変なこと。日本に欠けているのはその部分。昔は編集との人間関係や文壇という村社会があって守られていたが、今は崩壊してしまっているので、多少のマニュアル化があったほうが持続可能性が高まると思う。



質問:「ネットオタク文化が消えるという話があったが実感が湧かない、代表されるものにニコニコ動画があると思いますが、テレビ文化は衰退しniconico文化は目に見えて大きくなっている。10年後にテレビや新聞が消えたところで、さらにネット文化が消えてしまった時に日本はどうなっているのでしょうか。日本の地平線上に何が残ると考えますか?」

川上会長:
ネット文化は消えるのではなく、変わると思う。ニコニコは既に2回くらい死んでいると思っている。一番最初にYoutubeに切断された時に一回死んでいる。MADを削除した時に一回死んでいる。生放送を始めた時も生まれ変わっている。そういう新陳代謝を繰り返していくことで、物事は残っていくと思う。常に新しいことをやり続けるのはしんどいので、いつかループにしたいと思っている(笑い)忘れられた時にYoutubeにまたつなげたり(笑い)
そういうループしながら進化していく螺旋を作れないかを考えている。
はやくねぇ、もう一回動画を盛り上げたいんだよね。最初のニコ動を再現したい。

東浩紀氏:
新聞やテレビもそう簡単に無くならないと思う。5年で伸びたものは5年で無くなる可能性はあるけれど、100年続いたものは中々無くならない。

川上会長:
代わりになるものがそう簡単に出てこないと思う。

質問は終了。その後の思想地図β2を絡めた雑談での話。
東浩紀氏:
情報の価値はどこにあるかというと、情報量ではなく、複雑さ情報量の縮減ですよね。ババババーっと集めてドンっ「はい、あなたの方で料理してください」というのは商品価値は低い。

感想

ということで、途中にも書きましたが、テーマ「面白いを世界に広めるには」の回答は
「ローコンテクストだと広まりやすい、ハイコンテクストだと広まり難い」
だったのですが、結局それでは写楽のようにコンテクストから切断されて形だけが残り、その時代での文脈を含めた楽しみ方が残らない。残らなくて良いのかもしれませんがもしハイコンテクストな作品を残すのだとしたら、内輪の楽しみにせずに、新規参入を受け入れ続けて外の世界に発信して続く歴史にするという方法だと思います。一部では散々叩かれた村上隆氏が、海外に向けてオタク文化を翻訳して現代アートにしているみたいな活動をしていますが、これもハイコンテクストな文化を広げる行動の一つなのでしょうね。ただし、それを買う層・見る層に届いたからといって、果たしてその層にオタク文化が広がるかというと、あまりにハイソサエティな人々のために広がりが狭いとは思います。(ビッグマネーが動いて一気に流れを作ることが出来るという可能性は作るとは思いますが。)

ドワンゴ会長の川上氏の「もう一度動画を盛り上げたい」という発言、これが2011年9月。そして2011年12月のニコ動5周年に原点回帰を発表、そして現在2012年5月ニコニコ動画クラスタを賑わせているZEROwatchというプレイヤー実装に至る訳です。経営トップの思想が開発末端に行き渡っていないのか、時間が足りなかったのか分かりませんが、古くからのユーザーほど大変不評で、このまとめの中で出てきた、ネット上での発言力が大きい「怒る人々」が烈火の如く反発、その流れが出来た為に大きな反発になったのかなーというとそうでもなく、大多数が気に入っていないという反応。もちろん一部機能として良い物もあるのですが。
原点回帰の中で発表されたものの一つとしてクリエイター奨励プログラムがありますが、色々と問題が指摘されています。しかしこれには動画を盛り上げたいという意思が明確に表れており、これはシステム側から評価するためのマネーという実弾を突っ込んできた訳で、ここから動画投稿長者の先例が出てきて「動画投稿クリエイターが稼げる場所」という環境が認知される事で、新しいクリエイターの流入と、見る専門ユーザーだった人の動画作成チャレンジが増えるんじゃないかなんて安易に期待しています。
>新しいことをやり続けるのはしんどいので、ループしながら進化していく螺旋を作りたい
これはニコニコが成功モデルで参入障壁が高いという事からの考えかと思いますが、そうなるとYoutubeから動画取り込み(別サービスへの接続)、一部サービスの切り捨て(取捨選択)、周辺サービス機能の取り込み(ごっつぁん)、という流れがもう一度来ると考えて、さらに健全化の方向からすると、M&Aか提携が次の手のように思えてきます。具体的にあまり出てこないですがPixiv、ピアプロ、こえ部とか?競合する部分が多く、双方が既にコミュニティを築いていると思うので、統合ではなくサービスを横断して双方のユーザが移動しやすくなるようなパイプ作りのような提携でしょうか。でもそういう方向で考えると、やっぱり海外サービスとパイプ作りたいと思っちゃう気がしますね。

一つ浮かんだお風呂で思いつく妄想レベルアイディアとしては、「海外に出ていくのではなく来てもらう」という点が1つ、そして最近行われたニコニコ超会議にて枝野経産大臣の発言「官の押し付けではクールジャパンは広がらない」みたいな事を仰っていた点が2つ目。(この部分はネットニュースではあまり無い)
この2点から、クールジャパンの予算を引っ張ってもらって、オタク文化の聖地的空間、権威を与えるイベントを創造する仕組みに出資してもらうというお話はどうかなぁと。
具体的には、映画祭のようにマンガ、アニメ、コスプレ、小説などなどをエントリーしてもらって、それぞれの国でまず代表を決め、そして日本にて最終決戦、各国勝利と優勝者はアキバに用意するショップで作品を商品として販売する権利を獲る(グランプリ作品は各国翻訳して販売する)
経産省には口出しせず金だけ出してもらって裏方に回ってもらって、メンツのためにパンフの最後に名前入れて、議決権無い株式だけ持たせておくみたいな。
という事を行うことで、日本で認められる事が世界で認められることに空気としてではなく、しっかりとした仕組みとして作ってしまう。そうすれば確実に追い上げてくる中韓も一緒に切磋琢磨する仲間でありながら、イニシアチブを抑えた状態で世界戦略を進められるという妄想です。
イベント名前には日本アカデミー賞みたいにジャパンという国名は付けない、そうしないと各国でやられてしまうので、「もうこれは世界的にここしか無いんです。もしあったとしても国名がつくのは二流なんです」というアピール。例えばOtaku Grand Prix 2012みたいな。

普通は売れる物があるのだから、その販路を開拓しようというのが基本戦略だとは思いますが、そうではなくて圧倒的優位にいるうちに標準規格を抑えて足場・場所を抑えてしまおうという呑気な考えでひとつどうでしょうか。

さて、これで一区切りです。もたついているうちにニコニコ超会議の話題もネタに加えてしまいましたが、次はニコニコ超会議での音源を確認しながら思ったことを追って行きたいとおもいます。

2012年5月2日水曜日

東浩​紀 川上量生対談を振り返る5

本編ラスト、区切りを入れられないので長めです。

ニコ生思想地図「『おもしろい​』をセカイに広めるには」東浩​紀×川上量生
    http://www.nicovideo.jp/watch/sm15580519
公式まとめはこちら
    http://news.nicovideo.jp/watch/nw112807


川上会長:
明治になり、開国をしたが日本国土を守ろうとした。今はアメリカの圧力が強いから放っておいても開国はせざるを得ない。だからどうやって鎖国をするかを考えたほうが良い。インターネットはフラットに世界とつながるのは一見理想主義に見えるが、大多数の人々にとっては不幸せになる。だから中国のグレートウォールなどを見習ってネット上に国境を作ることを考えるべき。世界がみんな同じになったらつまらない。

東浩紀氏:
世界が一緒になったらつまらないのは確かにそう、日本でガラパゴス的サブカルチャーが生まれているのは日本語という複雑な言語が障壁になっている為。しかし・・・これから鎖国を長期的に?

川上会長:
鎖国という表現は大げさだが、ネットの国境は作るべき、なぜか?
外国企業は日本の法律を守らずに日本でサービスをしている。(例としてニコ動は権利侵害している動画を自主的にパトロールして削除する必要があるが、Youtubeは言われたら消すというだけでよい。)ルールが違う戦いをしている。
国という形を意地したいのなら、ネット上のルールも国ごとに分けるべき。

東浩紀氏:
ネット上に国を作るのは難しい、国は各人の身体の安全と所有権を守るためにある。物理的なもの。しかし、ネットの情報として形がなくなった時に、地理的に紐付けられている境界(国境)は存在意義が無くなると思う。

川上会長:
ネットにおいて国という概念が成立しにくいのはその通りかもしれない、しかし経済活動で見ると、Amazonは分野によっては既に小売トップ。これからも比率はあがる。国の物流の大半部分を外国ネット企業が支配する、国の経済活動のかなりを日本の法律が及びにくいところにコントロールされる、それは国家が崩壊するのと同じではないか?その大変な事をみんな理解して受け入れているのか。

東浩紀氏:
考えずに受け入れている人が大半であると思う。
例えば自国の文化保護の為に、国産番組に一定の時間を割り当てるだとかやっている国もあるが、それも国が放送免許を割り当てていたから出来ていた事で、インター ネットがつながればハリウッド映画を見てしまうだろうし、それをコントロールするのは難しい。
保護を考えるなら、自分たちの国で作っているものは質が低くても受け入れろという事?

川上会長:
そうではなく、ネット上のルールについて、日本ではクーリングオフであるとか日本独自のネット通販ルールを作ろうとしても現実問題難しい。これからのネットルールは国ではなくてAmazonやGoogleが決めるようになる。青少年育成条例についても、Googleがアダルトを検索エンジンから排除するほうがよっぽどクリーンになる。それだけネット企業の影響力がある。

東浩紀氏:
それはこれからの政治がどういうものになるかという話だと思うけれど、国民国家単位の政治は縮小している。僕たちは多国籍企業にかなり支配されているが、それら企業の方針が世界の人々に影響を与えていて、表現さえも変えてしまう現実がある。多国籍企業をコントロールする事を考えると、もともと企業は政治的に選ばれたものではないので、米国企業でも米国市民が支配するのにも非常に遠回りになる。どの国に企業があるのかという問題ではなく、ここで厄介なのは、国家はある意味ではトータルパッケージサービスという一人の人間の生活の全部を面倒見るものだった。
多国籍企業はこの人のパソコン部門を支配、ファーストフード部門を支配 などのように全体の面倒はみないので権力の仕組みが違う。
世界中に散らばった市民のそれぞれの生活の一部を国境を超えて支配している多国籍企業に対して、グローバルな市民がどういうふうに影響力を行使していくか? という別の問題がある、これは国民国家の問題と切り離したほうが良い。

>何故切り離したほうが良いか?
本質的に関係がない。例えばAmazon米国にあったからといって、米国市民がAmazonをコントロールし、それによって日本市民をコントロールしているわけではない。

川上会長:
でも政府はやっていますよね?例えば米国でGmailの内容をCIAは全部見ても構わないというような法律があったりする。日本は出来ない。
様々な国があるが、多国籍企業、特にネット企業に対してどういう影響力を行使しうるのかという事は、少なくとも国民国家としてのテーマになるので日本も考えなくてはいけない。
ネットをコントロールすることを積極的にやれと言っているわけではなく、僕はゲーマーなので日本という国家を運営するゲームとして考えると、ネットを支配するのはゲーマーとしては正しい。米国や中国はこのネット時代にどのようにゲームをすれば良いのかはわかっている、日本はわかっていない。正しいかどうかは別にして。

東浩紀氏:
Googleのようなものを世界の市民がどのようにコントロールするかは、国民国家ではなく別のルートを考えなきゃいけないのかなと考えてしまう。Googleに支配されて良いとは思ってはいないが。 今までの仕組みとは別種に現れた公共機関みたいなものなので。

川上会長:
しかし、「国民を支配する国家」vs「消費者を支配する多国籍企業」という視点ではライバル。

東浩紀氏:
僕は範囲を分ければ良いだけだと思う。究極的には国家というのは国民生活の最低限ラインを守る、元々の国家のあり方に戻るべきだと思う。昔は夜警国家というか人が殺し合うトラブルを抑止する暴力装置でしかなかったが、19世紀~20世紀に国家のあり方がやたらと広がって、健康増進したり産業育成したり・・・それに必要だから国民調査とかやるとか、国家が人々をコントロールする領域が巨大になっていった。
>でも徴税権は最後まで守ろうとしましたよね。(Googleが世界で稼ぐマネーをアメリカ一国で徴税している兼ね合いでのツッコミ)
なぜ徴税権を守るかというと暴力装置の意地にカネがかかるから。

第一次大戦以前はパスポートが必要なかったという話を聞いたことがあるけれど、昔の国というのは結構いい加減なもので、ある地理的範囲に住んでいる人のトラブルを治める為に、金をまきあげる、みかじめ料をとっていた。住みたくなければ出てって良いけど住んでいる間は金を払えよという仕組み。その原則に戻ったほうが良い気がする。そうすればみかじめ料さえ払えば、どこで金を稼ごうが、国家にとっては関係ないという話になる。

川上会長:
ネットのみかじめ料はどうします?ネットの経済における国ごとの徴税権の配分も大事な問題ですよね。GoogleやAmazonがどこに税金を払うか?単純に大きな政府・小さな政府でとらえられる話じゃなくて、東日本はGoogleにあげるみたいな領土の問題、国の領土をどこにもってくるか。

東浩紀氏:
Googleに集まった巨大な富をどうするかという問題設定に変えるべきで、ダレが徴税するかではなく。もし日本にGoogleがあったら日本に税金を払っていると思うけれど、それは日本という土地で暴力的な関係を安定させるために払っているお金。それとは別に巨大な富は貯まっている。
その巨大な富を社会に還元させるかという仕組みを考えなきゃいけない。

川上会長:
そうであれば、日本に住んでいる人のネット圏内は日本の領土であると主張しなければいけない。領海領空とあるけれど、日本の領土を覆っているネット網内も日本の法律に従わなければいけないと主張するのは当然。

東浩紀氏:
現実的には、日本人のGoogle社員をもっと増やそう問題じゃないの? Googleの方針に影響力を及ぼす日本人を増やしていく方が直接だし、それ自体が一種の政治参加になっていくような捉え方をしたほうが良いのではないか。Googleに支配されるのが良いと言ってるわけではなく、地理的境界を持っている国民国家という装置を使ってコントロールをするのはカテゴリーが違う感じがする。
だから話に違和感を感じるのかもしれない。

川上会長:
すごく分かるんだけれど、僕はいま日本という国に感情移入しながら話をしているので。日本という国を経営するゲームと考えると、ネットも領土と考えるのが正しい。それを超えて、これから世界をどういったアーキテクチャで治めていくかを考えていくと東さんみたいな考え方もあると思う。しかし、そこまで考える前提まで世の中の人はなっていないと思う。

東浩紀氏:
なっていないと思う。これは一般意志2.0の最終章で書いている内容なので喋った。政治って何かという意味を変えるべきだと思う。一方で国家というのは水道局みたいなものになるべきで、水道は僕達の生活に絶対に必要なもので無くなったら困る。しかし普段は水道のことを意識しない。それはなぜかというと大前提であるから。
国家というのは生活の大前提の所を面倒見るものになるべきであると。その外側で文化活動やったりクリエイティビティをやったりお金を稼いだりしている。その外側で発生した富の分配システムというのはこれからは全く別の原理で考えなければいけなくなる。つまり情報もお金も物も国境を超えてしまうし、作品がどこで作られているかというのが地理的に紐つける事が難しくなってしまう訳だから。
>そんな事は無くGoogleの~ (話を遮られる)
今はそうです、今はそうですけれど。僕は原理を考えたいと言っているだけです。僕の考えでは原理的にはGoogleはどこの政府にも税金を納めるべきではないです。国境を超えたネット企業はどこの国にも税金を納めずに別の決定原理を考えるべきと長期的に考えている。今、現実にGoogleという国境を超える世界的なある種の公共企業がある時に、アメリカにだけ投下されているというのは全くその通りだと思う。
地理的にどこかのポジションにぜんぜん違う2つの原理をショートカットすることによって、お金流れや権力集中に歪みができているのが現状。その現状を前提にしてゲームをするのであれば、その歪みを利用して日本も戦略的に鎖国をするのは理解できます。
しかし、長期的に50年とかのレベルで考えるとそれは違うと思う。これからGoogleに似たようなものがどんどん出てくるときに、グローバルに流通するクリエイティビティとか、元々国境に関係無く動いているお金とかをコントロールする国境が無いシステムを編み出さないと・・・世界政府とか世界共和国というわけではないが―
例えばニコニコ動画にコメントを書いている人が、何人だとかどこの国から書いているかという事を関係無く一つのコミュニティを出現させる。そういうアドホックなコミュニティみたいなものが、政治的決定を持てるような仕組みを作って・・・というような事を考えているが全体的に夢想的な話で―

ここでタイムアップ。そして質問コーナーへ(質問内容は次の記事で。)


ここまでの内容で、理系と文系、経営者と作家、近未来と遠未来、当事者と傍観者(部分的に)。立脚地がそれぞれ違い、ポジショントーク的部分もあるかもしれませんが、「おもしろい」をセカイに広げるにはというテーマのおかげでしょうか、基本的に未来の話なので、聞いていてワクワクします。
まず、川上会長のYoutubeとのルールの違う戦いを強いられているという話について、そこからルールの抜け穴を探すのではなく直球勝負で権利者との折衝をして、JASRACやそれぞれのレコード会社と契約して使えるようにするとかしてサイト全体を健全化してきた訳ですが、その為にニコニコ動画の一つの特徴であったMAD文化という体の一部を切り落とすいう凄まじい決断をした事も、それが良いか悪いかはまた別の話ですが、強いられたルールを守りながらグローバル企業と戦う為の戦術だったと俯瞰できました。

その後のネット空間の国境について、多国籍企業とその企業が存在する国が持つ徴税権や、国境を超えたルールの違いについては、私は日本の法についてさえ疎いので感情的な話をさせて頂きますと、川上会長の言っていることには賛同できるのですが東浩紀氏がどうしてもオープンにいこうとする点が考えが理解できなかったのですが、最後に説明する「これは長期的に考えること、現時点では夢想的な話。」という意味合いでの補足があったことで、二度三度聞くことでなんとなく分かりました。しかし現状の米国最強企業が全世界のネット環境を実質支配している状況では、現状を変えていこうという提案自体が中々・・・対談の中で冗談めかして言う「Google社員になって中から変えよう」方式が一番現実的に考えられる策に思えてしまうのは悲しい。
どこに税金を納めるかはまだしも、日本から飛び出して多国籍企業と戦うときに、足かせになる法律があることで内向きとか言われるのはなんともやるせないのではないでしょうか。そうなると、話の中でも登場した、こちらから出ていくのではなく”来てもらう”方法、若しくは比較優位のあるオタクの歴史を持って戦える場を用意して勝負をすることが、ひとつの勝利の道に見えてきます。別に結果としては勝たなくても良いのですが、日本発のものとしてイニシアチブを握って世界に空間が広がる事が理想の拡大方法だと思います。
その空間はネット上においては既にニコニコ動画が存在するわけですが、「来てもらう」というリアルな場の提供、そしてそこに行ったことが、大袈裟に言うとアカデミー賞をとったような世界的価値であると世界にしらしめることが出来る― そんな場所を作るというのはちょっと面白くない?なんて夢想的な思いを私も巡らせます。
次回の質問コーナーのまとめに続き、このリアルな場と価値の創造について妄想を走らせます。

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