2012年11月28日水曜日
立てこもり事件とネット中継問題
信金立てこもり:ニコニコ動画が中継継続 自粛要請遅れで
立てこもり事件があって、その様子をリアルタイムでネット上に流されると、突入タイミングとかを犯人に見られてしまう可能性がある。というような事で問題があるらしいですが、逆に犯人がネット中継をするような時代でもあるんですよね。
今回の犯人は拡声器を要求したりマスコミを呼べと言ったり、要求は野田首相の退陣だとか、果ては食事を要求したりとお粗末な方だったので、ネット中継して要求を流すなんてことにはなりませんでしたが。
これからはそういった事件も出てくる可能性があるわけで、その場合は犯人の中継をやめさせるように配信会社に中止要請がいくのでしょうか?言論の自由との兼ね合いは?外国の配信サービスだった場合は中止要請出来るのか?
良くも悪くもテクノロジーの進化は個人に力を与えてくれますよねぇ。
そんな事件から思い出したのは、未来を舞台にした物語でのこういった個人の発信力強化の扱いについてです。例えばガンダム00にて、テロリストが軌道エレベーターを占拠する際に、政府の横暴なやりとりが行われているという事をテレビカメラを通じて伝えようとしたら、マスコミが放送中止してしまい、全く世界にアピールできなくなってしまう。インターネットが政府に支配されているというような裏設定があればまた別なのですが、別段そういった話もないので、いやーUstreamで配信しろよテロリストさーんとか思ってしまうわけです。
そういった未来の話で「そんなに未来なのにそれはないでしょー」という事があると、一気に白けてしまう問題がありまして。
最近「なりひらばし電機商店街」というイブニングで月一連載されている漫画を読みました。40年後の東京業平橋にて、電気屋を営む婆ちゃん宅に下宿にきたお孫さんの物語。まさに「そんな未来なのに?」という状況が大量にあるので閉じてしまいそうになるのですが、何故か読ませる魅力があるのです。物凄い面白いわけではないし、未来の話じゃなくて普通に現代商店街物として書いても行けるんじゃないかと思いましたが、いや40年後というエッセンスがあるから書ける話なのかなとも思うのです。
物語の芯の部分に人間ドラマを置いているから些細なしらけも我慢出来るのかもしれません。さてこの40年後の世界でネット配信はどう描かれるかなーと気になったりします。
なりひらばし電機商店街試し読み
2012年11月26日月曜日
のぼうの城見てきた
「戦場にて相まみえると申した!」
という事で、見てきました。のぼうの城。
各所で絶賛されているので良かった所をずらっと。ネタバレも何もない映画かとは思いますが一応見た人用。
・城攻めがたまらない
水攻めの特撮はそりゃ凄いです。しかしそれよりも攻城戦の戦術の描き方が良い。農民達の鬼気迫る戦いっぷり、FPSよろしくカメラ・レンズへの返り血、時代劇らしからぬアングルやカメラワークもまるで戦場にいるようで「うぉ」と思わず声が出そうになる。見せ場を作るためだと思いますが、原作からのちょっとした変更(酒巻靱負と柴崎和泉守との共闘)もいい味を出している。
・騎馬アクションがとんでもない
別に騎馬隊がメインの映画では無いですが、ところどころにあるアクション凄い。冒頭の酒巻靱負の馬上からの飛び降り襲撃アクション、そして終盤の伝令兵というか使番が転がり落ちるように画面に入って来る所がしびれた。騎馬鉄砲、佐藤浩市さんの一騎打ちもカッコイイ。
・西村雅彦さんがたまらない
小田原城のあのシーン。狼狽っぷりは天才的。
・農民
戦の前の訓示(?)の場面で、農民視点で見上げるカメラアングルがあるんですけど、あれは良かった。情けないけれど、こんな人間的な殿様は支えたいみたいな気持ちが分かる気がした。
・雑賀衆のスナイパー種子島が長くてカッコイイ。
オノ・ナツメさんの原作本表紙を意識したと思われる横顔のアップが結構印象的に使われていましたが、成田長親も石田治部少輔もどちらも左向きだったのが気になり申したなぁ。
それと、一番上に書いた台詞の部分で君子豹変的な流れになるはずが、野村萬斎さんの芯の強さが出ている為か分かりませんが、”こいつはいざとなったら出来る男”見たいな空気がもう最初からにじみ出ていて、台詞の強さが霞んでしまう。いえ些細なことなんで映画としては全然もう大変に良かったんです。
邦画を見たのは2年ぶり?前回のノルウェイの森、十三人の刺客から2011年~2012年前半は一切見ていないので久しぶりでしたが、いやぁ日本映画も面白いなぁと見るたびに思いますね。でもアレなのが沢山ある事も分かっているので、見に行く邦画は絞ってしまう。やっぱり信頼出来る評価を下す人の情報を頼りにして見に行く作品を限定するというのは色々と助かります。そういう点では「桐島、部活やめるってよ」は見たかったのですが、いつの間にか終わっていた。
という事で、見てきました。のぼうの城。
各所で絶賛されているので良かった所をずらっと。ネタバレも何もない映画かとは思いますが一応見た人用。
・城攻めがたまらない
水攻めの特撮はそりゃ凄いです。しかしそれよりも攻城戦の戦術の描き方が良い。農民達の鬼気迫る戦いっぷり、FPSよろしくカメラ・レンズへの返り血、時代劇らしからぬアングルやカメラワークもまるで戦場にいるようで「うぉ」と思わず声が出そうになる。見せ場を作るためだと思いますが、原作からのちょっとした変更(酒巻靱負と柴崎和泉守との共闘)もいい味を出している。
・騎馬アクションがとんでもない
別に騎馬隊がメインの映画では無いですが、ところどころにあるアクション凄い。冒頭の酒巻靱負の馬上からの飛び降り襲撃アクション、そして終盤の伝令兵というか使番が転がり落ちるように画面に入って来る所がしびれた。騎馬鉄砲、佐藤浩市さんの一騎打ちもカッコイイ。
・西村雅彦さんがたまらない
小田原城のあのシーン。狼狽っぷりは天才的。
・農民
戦の前の訓示(?)の場面で、農民視点で見上げるカメラアングルがあるんですけど、あれは良かった。情けないけれど、こんな人間的な殿様は支えたいみたいな気持ちが分かる気がした。
・雑賀衆のスナイパー種子島が長くてカッコイイ。
オノ・ナツメさんの原作本表紙を意識したと思われる横顔のアップが結構印象的に使われていましたが、成田長親も石田治部少輔もどちらも左向きだったのが気になり申したなぁ。
それと、一番上に書いた台詞の部分で君子豹変的な流れになるはずが、野村萬斎さんの芯の強さが出ている為か分かりませんが、”こいつはいざとなったら出来る男”見たいな空気がもう最初からにじみ出ていて、台詞の強さが霞んでしまう。いえ些細なことなんで映画としては全然もう大変に良かったんです。
邦画を見たのは2年ぶり?前回のノルウェイの森、十三人の刺客から2011年~2012年前半は一切見ていないので久しぶりでしたが、いやぁ日本映画も面白いなぁと見るたびに思いますね。でもアレなのが沢山ある事も分かっているので、見に行く邦画は絞ってしまう。やっぱり信頼出来る評価を下す人の情報を頼りにして見に行く作品を限定するというのは色々と助かります。そういう点では「桐島、部活やめるってよ」は見たかったのですが、いつの間にか終わっていた。
2012年11月22日木曜日
自分ランキング問題
「謙虚ライオン!」今回の結論です。
めしばな刑事タチバナという漫画に、カレー大好きな早川という脇役の男が登場する。
雑食であらゆるB級グルメを評論的に食べる主人公タチバナは、物語内の登場人物達(&読者)にわかりやすく説明するために自分ランキングを交えて食べ物を語る。俺の一番好きな牛丼は~~~の~~~だ!なぜならこれこれこうだからだ!というように。
しかしカレー好きの早川はランク付けをしないため、なぜランク付けをしないのかを主人公に問われると「世の中にまずいカレーは存在しなくて、カレーをまずいって言う人がいるだけだ」と根本として比較の問題には踏み込まない。
ここまでは前置き。
盛大にRTされているこんなツイートが目に入った。
別にアニオタを名乗ることが悪いわけじゃないですし、これもネタだと思いますが、実際有り得そうな話で。このツイートで特に面白いのが、アニオタなのに「ヲタというほどではないですが」という所。じゃあ彼はどこまでいけばオタクだと思うのか?それはオタク第一世代の知識に追いつき、対等に語れるようになるという知識面?若しくは稼いだカネ全て趣味に捧げる覚悟or趣味を生涯の仕事とする覚悟を持った時。かな?と思います。
安易にアニオタを名乗っちゃう人は何が違うのかと考えると、オタクの定義が違うとか断じてしまえば簡単ですが、オタク is dead・・・ではなく、本物のエリートが近くにいなかったり、観測範囲が狭すぎるという話でもあったりだと思います。もし趣味に命を捧げる本物のオタクを知っているのであれば「それと比べたら自分なんかはとてもとても」という謙虚さが。知らないのであれば”上”を知るという視点を広げる術が足りないのかなーなんて不思議に思いました。
不思議。だってデジタルネイティブとか言われて、物心ついた頃からインターネットが存在しているボーイズエンガール達が狭い世界で生きているだなんて、なんとも不思議じゃないですか。そもそもアニオタってなんだ?とかてへぺろってどこから来た言葉なんだ?みたいな、語源を辿ろうと思わないのかな。これは偉そうに政治や経済にツッコむ己に自戒を込めて、ですが。
さて、冒頭のカレー好きの人がランク付けをしない話と繋げ、そして私怨のような事ですが、「アトムから始まって今現在の深夜アニメまでほとんどチェックして評論している」ような人がいて、「アニメ好きすぎて自分で作っちゃった」みたいな魔物がウジャウジャといる世界で、自称アニメ沢山見ていますボーイが『僕の好きなアニメランキング』というハリボテの城をぶち建てちゃうなんて恐れ多い。並ぶ作品は全部2000年以降の作品(そういう人が最近居た)
ましてや全くもって基準や前提を示さずに只々作品名と順位だけのランク付けをしてしまうという。嗚呼、なんという恐怖。(ゼロ年代アニメランキングとか明示してれば全然いいんですが。その場合はもちろんその年代のアニメをほとんどを見ている前提で)
「何が恐怖なの?」という思いもありますが、個別の作品を批判したり褒めたりは全然問題ありませんが、それぞれの作品を比べてランク付けをしてしまう事を、たかだか10年そこらの作品の範囲内で若造がやってしまうのです。エンディングにクレジットされている人達の名前を見て、何人の人が関わって命注いでいる作品なのか気にしないのかな。どういう基準で選んだのか何が劣っていたのか示さないと納得いかんですよ。なんと恐れ多い。恐れながら申し上げて欲しい。
その点前述のマンガにおいては、主人公タチバナは前提や基準や理由がしっかりと描かれているので好きです。
また話は脱線しますが、そういった昨今の、”一般人「あ、俺アニオタっすよw」”という人々の出現は、日本のマンガやアニメなどが世界各国で認められ、文学や映画のようにひとつの趣味として市民権を得た事、そしてYoutubeやニコニコ動画に代表される動画共有サイトの巨大化に伴って勢力を増し、さらに深夜アニメの大量生産大量消費と相まって、「沢山の作品を見ている俺アニオタ」という自負にも繋がり、ゼロ年代以前の作品に触れていない歴史の連続性を無視した自称アニオタが蔓延る原因になっていると思います。なんつーことはそこら中で書かれているとは思いますが書かずにはいられなかった。更に突っ込むと、上のツイートではワンピースですが、分かりやすくする為に作品名を上げさせて頂きますが、涼宮ハルヒの憂鬱、とらドラ!、化物語が入り口の人達じゃないかな(それぞれ素晴らしい作品だと思いますが)。
いえ、逆にこのインターネット環境&DVDレンタル50円~100円のお陰様で過去作品を振り返る手段が安易になり、ウルトラQからのウルトラマンシリーズ全話見ていたりする小学生がいる時代でもあり、前世代の人の知識に(ある程度)追いつく方法は簡単になりました。しかしねぇ、それをやっていないゼロ年代以降の作品のみを基準に偉そうに『俺様ランキング』を語りってしまう人々がねぇ、たまらなく恥ずかしいんですよぉぉぉぉ~・・・
とか偉そうに言ってしまっている事も、さらに自分が似非オタクとか名乗っている事も恥ずかしいんですよぉぉぉぉ~
ひたすら批判をしましたが、それで私が溜飲を下げるのはこのブログが私のものだからです。でも本当はね、自分ランキング良いよ!私もランキングが好きだ!あなたの好きなもの、どういった理由で好きなの?それとそれを比べてどういった理由でその順位なの?なぜその作品の方が上なの?是非とも語って欲しい。知りたい。自分の”好き”をもっと「理由を付けて」ぶっ放して欲しい。
その自称アニオタさん達のおかげでアニメ作品という共通言語を持って若い世代と交流出来る事や、アニメやマンガを担う世代が続々と成長していること、そしてソーシャルビューイング的な多くの人々と一緒に作品を楽しむような、新しい作品の消費の仕方が生まれてきたのは嬉しい限りです。なので。せっかく、なので。さあ過去の作品も見てみましょう、一緒に。
めしばな刑事タチバナという漫画に、カレー大好きな早川という脇役の男が登場する。
雑食であらゆるB級グルメを評論的に食べる主人公タチバナは、物語内の登場人物達(&読者)にわかりやすく説明するために自分ランキングを交えて食べ物を語る。俺の一番好きな牛丼は~~~の~~~だ!なぜならこれこれこうだからだ!というように。
しかしカレー好きの早川はランク付けをしないため、なぜランク付けをしないのかを主人公に問われると「世の中にまずいカレーは存在しなくて、カレーをまずいって言う人がいるだけだ」と根本として比較の問題には踏み込まない。
ここまでは前置き。
盛大にRTされているこんなツイートが目に入った。
「アニヲタですか?」 腐女子「(今期3タイトルしか追えてないし)いいえ」 アニヲタ「(ここ10年くらいのアニメは全部見てるけど、それより前のわかんないし…)まぁ、人並みに見ますね…ヲタというほどではないですが…」 一般人「(ワンピース見てるし)アニヲタっすよ(笑)」
— ダンジョンモォォンスタァアァアアアアアさん (@spn_ahk) 11月 19, 2012
別にアニオタを名乗ることが悪いわけじゃないですし、これもネタだと思いますが、実際有り得そうな話で。このツイートで特に面白いのが、アニオタなのに「ヲタというほどではないですが」という所。じゃあ彼はどこまでいけばオタクだと思うのか?それはオタク第一世代の知識に追いつき、対等に語れるようになるという知識面?若しくは稼いだカネ全て趣味に捧げる覚悟or趣味を生涯の仕事とする覚悟を持った時。かな?と思います。
安易にアニオタを名乗っちゃう人は何が違うのかと考えると、オタクの定義が違うとか断じてしまえば簡単ですが、オタク is dead・・・ではなく、本物のエリートが近くにいなかったり、観測範囲が狭すぎるという話でもあったりだと思います。もし趣味に命を捧げる本物のオタクを知っているのであれば「それと比べたら自分なんかはとてもとても」という謙虚さが。知らないのであれば”上”を知るという視点を広げる術が足りないのかなーなんて不思議に思いました。
不思議。だってデジタルネイティブとか言われて、物心ついた頃からインターネットが存在しているボーイズエンガール達が狭い世界で生きているだなんて、なんとも不思議じゃないですか。そもそもアニオタってなんだ?とかてへぺろってどこから来た言葉なんだ?みたいな、語源を辿ろうと思わないのかな。これは偉そうに政治や経済にツッコむ己に自戒を込めて、ですが。
さて、冒頭のカレー好きの人がランク付けをしない話と繋げ、そして私怨のような事ですが、「アトムから始まって今現在の深夜アニメまでほとんどチェックして評論している」ような人がいて、「アニメ好きすぎて自分で作っちゃった」みたいな魔物がウジャウジャといる世界で、自称アニメ沢山見ていますボーイが『僕の好きなアニメランキング』というハリボテの城をぶち建てちゃうなんて恐れ多い。並ぶ作品は全部2000年以降の作品(そういう人が最近居た)
ましてや全くもって基準や前提を示さずに只々作品名と順位だけのランク付けをしてしまうという。嗚呼、なんという恐怖。(ゼロ年代アニメランキングとか明示してれば全然いいんですが。その場合はもちろんその年代のアニメをほとんどを見ている前提で)
「何が恐怖なの?」という思いもありますが、個別の作品を批判したり褒めたりは全然問題ありませんが、それぞれの作品を比べてランク付けをしてしまう事を、たかだか10年そこらの作品の範囲内で若造がやってしまうのです。エンディングにクレジットされている人達の名前を見て、何人の人が関わって命注いでいる作品なのか気にしないのかな。どういう基準で選んだのか何が劣っていたのか示さないと納得いかんですよ。なんと恐れ多い。恐れながら申し上げて欲しい。
その点前述のマンガにおいては、主人公タチバナは前提や基準や理由がしっかりと描かれているので好きです。
また話は脱線しますが、そういった昨今の、”一般人「あ、俺アニオタっすよw」”という人々の出現は、日本のマンガやアニメなどが世界各国で認められ、文学や映画のようにひとつの趣味として市民権を得た事、そしてYoutubeやニコニコ動画に代表される動画共有サイトの巨大化に伴って勢力を増し、さらに深夜アニメの大量生産大量消費と相まって、「沢山の作品を見ている俺アニオタ」という自負にも繋がり、ゼロ年代以前の作品に触れていない歴史の連続性を無視した自称アニオタが蔓延る原因になっていると思います。なんつーことはそこら中で書かれているとは思いますが書かずにはいられなかった。更に突っ込むと、上のツイートではワンピースですが、分かりやすくする為に作品名を上げさせて頂きますが、涼宮ハルヒの憂鬱、とらドラ!、化物語が入り口の人達じゃないかな(それぞれ素晴らしい作品だと思いますが)。
いえ、逆にこのインターネット環境&DVDレンタル50円~100円のお陰様で過去作品を振り返る手段が安易になり、ウルトラQからのウルトラマンシリーズ全話見ていたりする小学生がいる時代でもあり、前世代の人の知識に(ある程度)追いつく方法は簡単になりました。しかしねぇ、それをやっていないゼロ年代以降の作品のみを基準に偉そうに『俺様ランキング』を語りってしまう人々がねぇ、たまらなく恥ずかしいんですよぉぉぉぉ~・・・
とか偉そうに言ってしまっている事も、さらに自分が似非オタクとか名乗っている事も恥ずかしいんですよぉぉぉぉ~
ひたすら批判をしましたが、それで私が溜飲を下げるのはこのブログが私のものだからです。でも本当はね、自分ランキング良いよ!私もランキングが好きだ!あなたの好きなもの、どういった理由で好きなの?それとそれを比べてどういった理由でその順位なの?なぜその作品の方が上なの?是非とも語って欲しい。知りたい。自分の”好き”をもっと「理由を付けて」ぶっ放して欲しい。
その自称アニオタさん達のおかげでアニメ作品という共通言語を持って若い世代と交流出来る事や、アニメやマンガを担う世代が続々と成長していること、そしてソーシャルビューイング的な多くの人々と一緒に作品を楽しむような、新しい作品の消費の仕方が生まれてきたのは嬉しい限りです。なので。せっかく、なので。さあ過去の作品も見てみましょう、一緒に。
2012年11月16日金曜日
隣人を愛しながら注意もしよう
緒方恵美「本当に好きでいてくれるなら」
上記内容の発端の話はデマだったらしいですが、内容には考えされられるものがありました。自分がすぐに思いついたのはコンサートのオタ芸ではなく、今年8月15日の靖国神社でした。
終戦の日の靖国神社。それはもうどえらい人が来る。老若男女様々な人々が集まりますが、基本的には戦争で亡くなられた方々の追悼と鎮魂の為、静かで厳かな気持ちで行っていると思っていて、少なくとも自分はそういった思いでその場に行きます。しかしながら上記の例であるように様々な人がいまして、自分が目立つために行く(ように見える)方々もいらっしゃいます。
多くの人々が参拝に訪れるので、賽銭箱前に列を作って並ぶのですが、夏真っ盛りの8月15日、ひたすら熱い中を黙って並ぶという行為事態にも何かしら儀式めいた事を感じますが、その中でもお友達と来ている人々は流石に退屈なので雑談を始めます。
今年の出来事であり、また自分が公開したことなのでかなり記憶に残っているのですが、恐らく20代前半の大学生二人が、自分の前に並んでおり、ネットのニュースの話やらゲームの話やらおよそその場に似つかわしくない話題を、かなりの大声で、盛大に笑い、30分近くにわたって喋り続けている。その二人の前には7,80代の老人が何人も汗を垂らしながら並んでいる。
「静かにしましょう。」
その一言が言えなかった。悔いている。
生来のビビリであることが大前提としてありますが、ひたすら考えてしまった。
そもそもこの場に来ているのであれば、ここに来ない人々よりもまし?
いや来ている人々の気分を害するのであればいない方が。
そのうち静かになるだろう。
いやしかし、話は終わらないな。
前の老人はどんな気分だろう、私が言ったほうが良いな。
いや、もしかしたら盛大に逆襲されるかも。
――などという考えが頭をグルグルと回り、彼らは結局最後まで喋り続けた。
自分は何も言えなくて夏。
結局のところ自分と違う考えでその場に居る人の気持に配慮が出来ない、想像力が足りないというような陳腐な結論になってしまいますが、果たしてそれはどうやって身につくのか。周りが言ってあげて「ああそうか」と気づかせてあげないと駄目だよね。と、上記まとめで再教育されました。
ほんの少しの勇気が場を変える。かもしれない。ちょっとだけがんばってみる。
上記内容の発端の話はデマだったらしいですが、内容には考えされられるものがありました。自分がすぐに思いついたのはコンサートのオタ芸ではなく、今年8月15日の靖国神社でした。
終戦の日の靖国神社。それはもうどえらい人が来る。老若男女様々な人々が集まりますが、基本的には戦争で亡くなられた方々の追悼と鎮魂の為、静かで厳かな気持ちで行っていると思っていて、少なくとも自分はそういった思いでその場に行きます。しかしながら上記の例であるように様々な人がいまして、自分が目立つために行く(ように見える)方々もいらっしゃいます。
多くの人々が参拝に訪れるので、賽銭箱前に列を作って並ぶのですが、夏真っ盛りの8月15日、ひたすら熱い中を黙って並ぶという行為事態にも何かしら儀式めいた事を感じますが、その中でもお友達と来ている人々は流石に退屈なので雑談を始めます。
今年の出来事であり、また自分が公開したことなのでかなり記憶に残っているのですが、恐らく20代前半の大学生二人が、自分の前に並んでおり、ネットのニュースの話やらゲームの話やらおよそその場に似つかわしくない話題を、かなりの大声で、盛大に笑い、30分近くにわたって喋り続けている。その二人の前には7,80代の老人が何人も汗を垂らしながら並んでいる。
「静かにしましょう。」
その一言が言えなかった。悔いている。
生来のビビリであることが大前提としてありますが、ひたすら考えてしまった。
そもそもこの場に来ているのであれば、ここに来ない人々よりもまし?
いや来ている人々の気分を害するのであればいない方が。
そのうち静かになるだろう。
いやしかし、話は終わらないな。
前の老人はどんな気分だろう、私が言ったほうが良いな。
いや、もしかしたら盛大に逆襲されるかも。
――などという考えが頭をグルグルと回り、彼らは結局最後まで喋り続けた。
自分は何も言えなくて夏。
結局のところ自分と違う考えでその場に居る人の気持に配慮が出来ない、想像力が足りないというような陳腐な結論になってしまいますが、果たしてそれはどうやって身につくのか。周りが言ってあげて「ああそうか」と気づかせてあげないと駄目だよね。と、上記まとめで再教育されました。
ほんの少しの勇気が場を変える。かもしれない。ちょっとだけがんばってみる。
2012年11月13日火曜日
購入したデジタルデータは誰のモノ?
(11月16日追記)
twitterに書くと長くなりそうな内容や、記事を読んで思いついた事を書き留める為にブログやっているはずなのに、しっかり結論出さなきゃとなーと思いながら、下書き記事が溜まる一方な訳で、もう結論とかでなくてもちょこちょこと小出しにしようと思います。いやー頭の中に溜める一方では駄目ですね。
今回の投稿のきっかけは2012年11月8日の日経朝刊AET REVIEW「文房四宝」とは何を指す?という記事。
「文房とは書斎、書斎に常備され使用される道具が文房具で、その4つの宝が硯、筆、紙、墨。その中の王者とされるのが硯だ。」という説明から始まり、中国の古い硯や日本での硯愛好家の紹介、硯産地の宮城県雄勝はまだ生産が回復いないという話などが書かれていまして、そこからそういえば漫画の蟲師に硯の話があって心にじんわりきたなぁと思い出した。
時代を超えて愛される文房具。蟲師も時代を超えて愛されるべき漫画じゃないかな~なんて考えていたら、本だとボロボロになるしデジタルデータになったら時代を超えて延々と見続けられるなぁ・・・と電子書籍に思い至りました。
さて、 Amazonで買った電子書籍は再ダウンロードもでき、クラウド上に自分の本棚を作る夢のサービス。大量に本を購入したAmazonのアカウントは資産になるように思えるのですが、自分が死んだらどうなるのでしょうか?
ということで借りているという話で進めます。ネット上に自分の本棚を作れると思いきや、結局雲の中に浮かぶ本棚を間借りしてAmazon図書館さんに、おねげーしますだーとお借りしてる本という現実になる。永久に壊れない本棚という無想は露と消えました。(DRMフリーだから大丈夫という方いましたら教えて下さい)
しかし、これが本当ならばまさにソリューションチャンス。永久は無理だとしても「会社が存続する限りは何度でもどの端末でも再ダウンロードも可能で所有者もあなたです!」というサービスは一定層にかなりの訴求力があるのではないでしょうか。特にお金持ちの皆様は子孫に残したい本、つまり孫にもひ孫にも、1000年後の一族にも読んでもらう為の知の伝承を可能にするサービス。家訓などを筆に書いた文章を額に飾るのではなく、そのクラウド上の本棚の本を読ませる事で、その家系の知の結晶が手に入る。何代目の~~が入れた本、野田家の絶対読む本リストみたいな。
米国ではそういった成功や失敗を元にした効率の良い学習が伝承出来ていて、日本では前世代の知識が効率良く引き継がれない、というような話を読んだことからこんなことを思いました。あ、本のタイトルだけを掲載するWEBサービスでも良いですね。それはそれで永続企業なんつー幻想が必要ですが、NPOとか財団法人とかなんかそういう強そうな団体がやっても良いんじゃないですかね。クローズドなブログでも出来そうですけれど、やっぱ何かに特化したWEBサービスというのは面白そうでして。
そんな事を思っていたら、「定額制サービス」というキーワードからまた別のサービスを思いつきました。相当先の未来か、あるいは実現出来ないというような話でしょうが、一つの出版社か若しくは複数の出版社がまとまり、その会社が今まで出版した本すべてを一定期間読み放題にするというサービス。上記の永久サービスとはある意味逆で、期間は区切るけれど本はどれでも読み放題。もちろん本はそんなに沢山読めるものでは無いので、期間は長く幅を取り1年3年5年10年という長期間で、なおかつ高額サービスになると思います。しかし代金を先取り契約も可能で安定収入を見込めるため、出版社としては悪くは無いのではないかと思います。契約した家族皆が読めるとか色々とオプションも考えられます。
また、更に派生して、まー・・・これは本当にSFの領域ですが、脳みそを機械に直結する電脳化が可能になったとして、補助記憶としてのサービス。 検索は幅広く文章単位で検索し、そのデータを脳みそにダウンロードするには必要な文章単位でも支払いが可能とか、今月使用した外部記憶使用料のように、アクセスした文章の単位で支払いするとか、記憶せずにクラウド上の知識を利用する為の料金みたいな。
さて結局長々と書いてしまいましたが、端末にダウンロードしたらそれを和紙に印刷して本棚にしまえば長期間保管できていいんじゃね?という話でした。
(追記)
ちょうど疑問に答えてくれた記事がありましたので追記します。
twitterに書くと長くなりそうな内容や、記事を読んで思いついた事を書き留める為にブログやっているはずなのに、しっかり結論出さなきゃとなーと思いながら、下書き記事が溜まる一方な訳で、もう結論とかでなくてもちょこちょこと小出しにしようと思います。いやー頭の中に溜める一方では駄目ですね。
今回の投稿のきっかけは2012年11月8日の日経朝刊AET REVIEW「文房四宝」とは何を指す?という記事。
「文房とは書斎、書斎に常備され使用される道具が文房具で、その4つの宝が硯、筆、紙、墨。その中の王者とされるのが硯だ。」という説明から始まり、中国の古い硯や日本での硯愛好家の紹介、硯産地の宮城県雄勝はまだ生産が回復いないという話などが書かれていまして、そこからそういえば漫画の蟲師に硯の話があって心にじんわりきたなぁと思い出した。
時代を超えて愛される文房具。蟲師も時代を超えて愛されるべき漫画じゃないかな~なんて考えていたら、本だとボロボロになるしデジタルデータになったら時代を超えて延々と見続けられるなぁ・・・と電子書籍に思い至りました。
さて、 Amazonで買った電子書籍は再ダウンロードもでき、クラウド上に自分の本棚を作る夢のサービス。大量に本を購入したAmazonのアカウントは資産になるように思えるのですが、自分が死んだらどうなるのでしょうか?
離婚の際、デジタル資産はどうやって清算する?電子書籍の相続問題や、離婚時の精算についてはほとんど「どうなるんでしょう?」という記事しか見つからないので、先輩である音楽データについて調べますと、
「俳優B・ウィリス、アップルを楽曲の相続規定で提訴」は誤り--妻のE・ヘミングが否定ここでは結局訴訟もしないし、事実ではないみたいな事で良くわからない話になっていますが、事実としてiTunesで購入した音楽データは購入ではなく借りているだけなので、所有権移転は出来ないという話になっている。でもDRMフリーになったので自分のものになるような話もあります。電子書籍も同じ事になるのでしょうか?軽く書こうと思ってるので規約文を読むまでは行きませんが。
ということで借りているという話で進めます。ネット上に自分の本棚を作れると思いきや、結局雲の中に浮かぶ本棚を間借りしてAmazon図書館さんに、おねげーしますだーとお借りしてる本という現実になる。永久に壊れない本棚という無想は露と消えました。(DRMフリーだから大丈夫という方いましたら教えて下さい)
しかし、これが本当ならばまさにソリューションチャンス。永久は無理だとしても「会社が存続する限りは何度でもどの端末でも再ダウンロードも可能で所有者もあなたです!」というサービスは一定層にかなりの訴求力があるのではないでしょうか。特にお金持ちの皆様は子孫に残したい本、つまり孫にもひ孫にも、1000年後の一族にも読んでもらう為の知の伝承を可能にするサービス。家訓などを筆に書いた文章を額に飾るのではなく、そのクラウド上の本棚の本を読ませる事で、その家系の知の結晶が手に入る。何代目の~~が入れた本、野田家の絶対読む本リストみたいな。
米国ではそういった成功や失敗を元にした効率の良い学習が伝承出来ていて、日本では前世代の知識が効率良く引き継がれない、というような話を読んだことからこんなことを思いました。あ、本のタイトルだけを掲載するWEBサービスでも良いですね。それはそれで永続企業なんつー幻想が必要ですが、NPOとか財団法人とかなんかそういう強そうな団体がやっても良いんじゃないですかね。クローズドなブログでも出来そうですけれど、やっぱ何かに特化したWEBサービスというのは面白そうでして。
そんな事を思っていたら、「定額制サービス」というキーワードからまた別のサービスを思いつきました。相当先の未来か、あるいは実現出来ないというような話でしょうが、一つの出版社か若しくは複数の出版社がまとまり、その会社が今まで出版した本すべてを一定期間読み放題にするというサービス。上記の永久サービスとはある意味逆で、期間は区切るけれど本はどれでも読み放題。もちろん本はそんなに沢山読めるものでは無いので、期間は長く幅を取り1年3年5年10年という長期間で、なおかつ高額サービスになると思います。しかし代金を先取り契約も可能で安定収入を見込めるため、出版社としては悪くは無いのではないかと思います。契約した家族皆が読めるとか色々とオプションも考えられます。
また、更に派生して、まー・・・これは本当にSFの領域ですが、脳みそを機械に直結する電脳化が可能になったとして、補助記憶としてのサービス。 検索は幅広く文章単位で検索し、そのデータを脳みそにダウンロードするには必要な文章単位でも支払いが可能とか、今月使用した外部記憶使用料のように、アクセスした文章の単位で支払いするとか、記憶せずにクラウド上の知識を利用する為の料金みたいな。
さて結局長々と書いてしまいましたが、端末にダウンロードしたらそれを和紙に印刷して本棚にしまえば長期間保管できていいんじゃね?という話でした。
(追記)
ちょうど疑問に答えてくれた記事がありましたので追記します。
あなたが買った“本”は、勝手に消されてしまうかもしれないということですが、これから時間をかけながらDRMフリーの方向に進んでくだろうと勝手に楽観はしています。
実は、アマゾンのキンドルストアをはじめとする多くの電子書籍サービスでは、コンテンツを販売しているのではなく、ユーザーが利用規約を遵守することを条件に、コンテンツを使用するライセンスを提供しているに過ぎない。ユーザーが利用規約に違反した際には、コンテンツ提供側はユーザーの電子書籍端末からコンテンツをいつでも削除できる。 アマゾンジャパンの「AMAZON KINDLEストア利用規約」には、以下のようにある。 「Kindleコンテンツは、コンテンツプロバイダーからお客様にライセンスが提供されるものであり、販売されるものではありません。」
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