2012年11月16日金曜日

隣人を愛しながら注意もしよう

緒方恵美「本当に好きでいてくれるなら」

上記内容の発端の話はデマだったらしいですが、内容には考えされられるものがありました。自分がすぐに思いついたのはコンサートのオタ芸ではなく、今年8月15日の靖国神社でした。

終戦の日の靖国神社。それはもうどえらい人が来る。老若男女様々な人々が集まりますが、基本的には戦争で亡くなられた方々の追悼と鎮魂の為、静かで厳かな気持ちで行っていると思っていて、少なくとも自分はそういった思いでその場に行きます。しかしながら上記の例であるように様々な人がいまして、自分が目立つために行く(ように見える)方々もいらっしゃいます。
多くの人々が参拝に訪れるので、賽銭箱前に列を作って並ぶのですが、夏真っ盛りの8月15日、ひたすら熱い中を黙って並ぶという行為事態にも何かしら儀式めいた事を感じますが、その中でもお友達と来ている人々は流石に退屈なので雑談を始めます。
今年の出来事であり、また自分が公開したことなのでかなり記憶に残っているのですが、恐らく20代前半の大学生二人が、自分の前に並んでおり、ネットのニュースの話やらゲームの話やらおよそその場に似つかわしくない話題を、かなりの大声で、盛大に笑い、30分近くにわたって喋り続けている。その二人の前には7,80代の老人が何人も汗を垂らしながら並んでいる。
「静かにしましょう。」
その一言が言えなかった。悔いている。

生来のビビリであることが大前提としてありますが、ひたすら考えてしまった。
そもそもこの場に来ているのであれば、ここに来ない人々よりもまし?
いや来ている人々の気分を害するのであればいない方が。
そのうち静かになるだろう。
いやしかし、話は終わらないな。
前の老人はどんな気分だろう、私が言ったほうが良いな。
いや、もしかしたら盛大に逆襲されるかも。
――などという考えが頭をグルグルと回り、彼らは結局最後まで喋り続けた。
自分は何も言えなくて夏。

結局のところ自分と違う考えでその場に居る人の気持に配慮が出来ない、想像力が足りないというような陳腐な結論になってしまいますが、果たしてそれはどうやって身につくのか。周りが言ってあげて「ああそうか」と気づかせてあげないと駄目だよね。と、上記まとめで再教育されました。
ほんの少しの勇気が場を変える。かもしれない。ちょっとだけがんばってみる。

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