ニコニコ超会議
2012年4月28日・29日に幕張メッセで「ニコニコ動画のすべて(だいたい)を地上に再現する」をコンセプトに開催されるユーザー主体のニコニコイベント と銘打ったニコニコ超会議が終わり、イベント後に様々な記事が掲載されました。私は行けなかったので、ニコニコ生放送で行われた各イベントの中継と、ネット上の記事を読み漁りました。それらの記事と共にニコニコ超会議とは何だったのかを振り返ります。★付きはオススメ記事。
ニコニコ動画主催の大型イベント「ニコニコフェスタ」を考えるまず、2008年12月の段階で、超会議っぽいイベントを提案していたブログ記事。しかし黒字化以前の投稿なので、ニコニコ動画のコンテンツをいかに収益化するか?リアルイベ ントで儲けよう! という話なので趣旨が全く違いますが、こういう事を考えた人がいた、そしてこういった儲け優先でもやれたかもしれないという点で。
http://d.hatena.ne.jp/ronri/20081213/1229161275
実際には目的も異なり、結果も4~5億の赤字。
大手メディアでは朝日が一応記事を書き、日経が唯一特集記事を上げていました。(他にあったら教えて下さい)さらに日経は連載記事。
★「ニコ動」で進行するコンテンツ革命、熱狂の舞台裏 ネット上の才能を現実世界に解放~ドワンゴの挑戦(1)津田大介氏がNHKようこそ先輩の撮影で、中学生たちに対して「芸能人と話したことがある」というよりも、「歌い手と話したことがある」という方が反応が段違いに良かったと言っていた事が、これか!と理解できた。
多様性と共感のメディア「ニコ動」、超会議の真意 ネット上の才能を現実世界に解放~ドワンゴの挑戦(2)
”これは近未来を想像した話でも、ごく一部の“オタク”の世界に閉じた話でもない。大手メディアの多くはこのイベントを報道しなかったが、実は大人の知らないところでコンテンツの革命ともいえる事態が進行していた。 ”
”テレビ視聴率が低迷し、CDが売れない時代。だが若者たちはエンターテインメントを嫌いになったわけではない。じつはコンテンツを「自給自足」して楽しんでいたのだ。”
”CD音源を勝手に使用することは許諾範囲に含まれておらず、ユーザーは大人の締めつけに、次第と商業音楽から離れていった。代わりに最高の遊び道具として脚光を浴びたのが、バーチャルアイドルの初音ミクだった。 ”
” 「働かないニートがネットで大量にコンテンツを作ってる。そんなのは日本くらい。でも、それがニコ動の強さでもあるんですよね。確かに、まだニコ動は まったく日本のためになってない。でも、予感みたいなものは感じている。ユーザーを見てて、こいつらと一緒だったら世界で勝負できると思ってる。ニコ動が 日本に貢献できるんだったら、そこだなと」”
また、カンブリア宮殿でも特集をするということでいよいよ日経との繋がりを強めている感と、枝野経産大臣や森喜朗元首相を呼び込んだり、政治が人気ジャンルとして確立しているニコニコでは、そういったロビー活動もこれからの発展には必要なのだなぁなどと勘ぐります。
「ニコ動」、リアルでも大盛況 若者つなぐ一体感朝日新聞も取材しているようですが薄い内容。
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201205020155.html
ニコニコ超会議の「超エンジニアミーティング」 を全部取材してみたエンジニア向け。
http://hoshi.air-nifty.com/diary/2012/04/in-e9eb.html
誰得? それとも世紀の大発明? 未来すぎるニコニコ学会β「研究100連発」ニコニコ学会βから研究100連発からピックアップ記事。
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1205/08/news119.html
第2回ニコニコ学会β「研究してみたマッドネスメカの部」忙しい人向けまとめタイトル通りニコニコ学会βのありがたいまとめ。翌日記事に続いています。
http://normahead.seesaa.net/article/267554781.html
ニコニコ超会議について書いてみる運営サイドからの感想。
http://d.hatena.ne.jp/nagaimichiko/20120501/1335802253
”ようやくだけどこういう機会が持てて、ほぼ全社員がユーザーさんと間近に触れあって、 自社のサービスを愛していただいていることを肌で感じることができて、 しかもありがたいことに成功と呼んでよいレベルに達することができた。 本当に、よかったなーと思う。これを機にサービスの深みが一段も二段も増せたら、 それが今回のイベントの本当の成功だと思うのです。”
“超会議”で燃え尽きた!? イベント後のニコニコ動画“中のひと”を直撃!中野運営長へのインタビュー。インタビュアーがうざい(悪意はないです)
http://news.walkerplus.com/2012/0503/22/
超会議超会議の事務局長の記事。ユーザーと接した事で今後の成長に良い影響を与える可能性。
http://d.hatena.ne.jp/tomosaku/20120504/1336119999
ニコニコ超会議に未来を感じた超パーティー最後の普段表に出ないエンジニア登壇について。
http://blogos.com/article/38173/
ニコニコ超会議の意味するもの集金モデルのチャレンジについて。ニコニコ動画というプラットフォームの力をTVと比較して解説。
http://d.hatena.ne.jp/monnalisasmile/20120430/1335765445
ニコニコ動画 ニコニコ超会議が終わったニコニコ運営に対して、普段お小言を仰る方がプラス評価をするという点。
http://d.hatena.ne.jp/tnakashi25/20120429/1335710674
ニコニコ超会議は何を起こしたか一般参加者の視点。
http://blog.tsuwatch.com/2012/05/01/45/
【日記】 ニコニコ超会議戦記~超会議に行ってみた~
http://blog.livedoor.jp/haruharap/archives/1735943.html
同じく一般参加者の視点。会場の全体的な雰囲気が分かる。
VIP住人がノリでやってるっぽいけど、中高生視点として。
ニコニコ超会議がなんだがんだで伝説になったわけだが
http://majikichi.com/archives/7041536.html
★ニコニコ超会議とはなんだったのか
http://d.hatena.ne.jp/GiGir/20120430/1335752682
” このジャンルごった煮のカオスさというのはまさにニコニコ的なもので、それは横断的にいろんなジャンルを普段からつまみ食いしている人にとってはニコニコ 動画という場の前提認識なのですが、実のところ新しくニコニコ動画の視聴者になった人たちというのはこのジャンルごった煮感というのはあまり実感しておら ず、自分たちの興味のある範囲内にしか目が届いていなかったのかなと。 それがニコニコ超会議というリアルのイベントに参加した人は、自分がまったく興味のないジャンルにも膨大な人たちが群がり盛り上がっている様子を肌身に 沁みて感じることが出来たのではないか。もしそうだとしたら、それだけでもこの超会議というイベントは成功だったのではないかと思います。”
~中略~
” ともかく、ニコニコ超会議は、「みんながみんな違うニコニコ動画像をイメージしている」ということがハッキリと可視化されたことが一番良かったことかな、 と思っています。ニコニコ動画というプラットフォームはもはや広大すぎて、その全体像を把握しきれている人はもう誰もいない。ジャンル横断的に眺めている 人も、それぞれ重なる部分と重ならない部分があって、それで全体として緩やかに繋がってニコニコ動画という場、ニコ厨と いう「雰囲気」を作っている。それは外から見ると一見ひとかたまりのようにも見えるけど、こうして「地上に再現」してみると、実はてんでバラバラな人たち の集合だったんだということが誰の目にも明らかになる。先のインタビューでの川上会長の言葉を見ると、そういった効果を狙ったものだったのかな、と思いま すし、もしそうだとしたらやはりこのイベントは大成功だったのではないかと思います。”
★ネットとリアルの断絶の終わり――「ニコニコ超会議」が示したものを考えてみた
http://www.4gamer.net/games/140/G014059/20120503001/
ニコニコ動画に通ずる日本のインターネット史を含めて紹介。
”旧来のマスメディアの力なくして,あるいはマスメディアとの連携なくして,ネットのコンテンツがリアルで話題になることは原則としてなかった。 ……のだが,「ニコニコ超会議」では,「歌ってみた」や「踊ってみた」「ゲーム実況」,さらに「例のアレ」といった,絶対にテレビ……どころか,ほかのどんな媒体でも盛り上がりようのないコンテンツ――要するにネット/ニコニコ動画内だけで完結しているコンテンツ――で,10万人近くもの人が“集まってしまった”のだ。”
”世代別のカバー率で,20代の75%がニコニコ動画を利用しているという話である
~中略~
要するに,少なくともある特定の層(年代)に対してニコニコ動画は,ある種のクリティカルマスを超えた状態にあるということだ。”
”「ネットで話題=リアルで話題」になった事を宣言する儀式(イニシエーションだったのではないかと,僕は思う。)”
ネットメインでやってきた企業がリアルイベントに進出という点、幕張メッセで開催という点でこれは比べるべきか?なんて考えましたが、様々な記事を読み漁る中で出た結論は、全く別世界のお話だから比べるのは無いなぁと。大きな視点では2012年のイベントで「こんなことがありました」という事で並べられるかと思いますが、これは自分の偏見が入っていますが「おしゃれな人種、おしゃれに見られたい人種」だけの閉じた世界との比較はありえないなと。
ネット通販大手ZOZOTOWNを運営するスタートトゥデイが、9月に同じ幕張メッセでリアルイベントを開催する。
http://www.morningstar.co.jp/portal/RncNewsDetailAction.do?rncNo=692565
感想
ということで、きっと今はこういったまとめ記事を作るのであればNEVERまとめが良いのかなと思ったりしました。それはさて置き、惜しかったのは10万人に届かなかった点。あと8000人来ていたら10万人!という良い数字になったのですが残念でした。ニコニコ動画を大体地上に再現というのは確かにできていたと思います。あまりに多くのジャンルと目移りする様々なイベント、人、物、音。オタクから鉄ちゃん、エンジニア、科学者、博士、棋士、ゲーマー、やくざ者からダンサーからアーティストから哲学者、政治家、自衛隊員、ホモ―― こんな多種多様の専門家やワナビーが触れ合えるイベントなんてまずありえない、多様性の祝祭空間。普通じゃない事が価値であるという事を魅せつけ、現実世界に宣言をした、ダイバーシティフェスティバルin幕張メッセ。それがニコニコ超会議だったんじゃーないかと思います。
以下蛇足
ニコ生で放送される超会議を視聴して参加したのですが、ネット上で超会議関連の番組表を見るだけでも多すぎる。興味のある放送をすぐに選択して見ることが出来たけれど、上から順に並べるタイプの番組表ではあまり見られない番組が出てきてしまうかなぁと。もちろん番組表ページや超会議の特設ページに行けばいいんですが、やはり生放送を開いた画面での当日の専用ページ(生ケットの時のような)物を用意した方が良かったのかなぁと思いました。そして、超会議開催から翌週の再放送ですが、せっかくの再放送なのにやはり同じように放送する事で、見たいものが多い場合に選択しなければならない点、あれだけのコンテンツを手に入れたのですから、もっと小出しでも良かったかなぁと思いました。(もちろん超会議を再現!というコンセプトと、タイムシフト視聴が出来るのですから良いというのも分かりますが。)
ニコニコ動画に関しては、2009年くらいまでは、組曲『ニコニコ動画』で有名なしもさんが作るニコ動で流行った物をまとめたメドレーで一体感を確認するみたいなことや、入っている曲は大体のニコ厨が知っているというような状況があったと思います。しかし一般化、巨大化が進むにつれ、それぞれのクラスタ化がきっちりとまとまっていく中で、総合ランキングからの流入や別クラスタに輸出・輸入・マッシュアップ・動画ネタ化による作品同士の繋がりが無いと、中々別の文化が入ってこない、ニコニコ全体の一体感というのが失われていたし、これからどんどん進んでいくという空気を感じていました。しかしそんな最中に行われたこのニコニコ超会議。
ニコニコ大会議では歌い手、踊り手などの見栄えする、分かりやすい集客力がある人々が餌(失礼)にされることでイベントを成功させるというような、外の人たちから見ると、「奴らは優遇されている、俺達は冷遇されている、だから否定する。」こんな誰も特しない敵対心が溢れ、結果として全員が求め、間違いなく一体になれる「運営」という敵に対して攻撃を仕掛けることになっていたと思います。
運営自体がなければニコニコで遊べない。ニコ厨がいなければコンテンツは生まれない。
相互依存・・・違うなウィンウィン・・・?いや共生関係にある?何かいい言葉が出ませんが、そういう仲間になってお互いを認め合う事で本当はきっと、もっとニコニコ出来るはずだった場所、それがこの超会議で「運営GJ」という空気が復活し、そして昔の一体感を取り戻す、本当の原点回帰のスタート地点になったのではないか、そんなふうにも思えます。
そして、それは、これからのニコニコ動画、ニコニコ生放送のZeroWatchと呼ばれる新しいインターフェースが、ユーザーに受け入れられるモノになることが絶対条件になるかもしれないなぁなんて思った次第です。
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