2012年5月2日水曜日

東浩​紀 川上量生対談を振り返る5

本編ラスト、区切りを入れられないので長めです。

ニコ生思想地図「『おもしろい​』をセカイに広めるには」東浩​紀×川上量生
    http://www.nicovideo.jp/watch/sm15580519
公式まとめはこちら
    http://news.nicovideo.jp/watch/nw112807


川上会長:
明治になり、開国をしたが日本国土を守ろうとした。今はアメリカの圧力が強いから放っておいても開国はせざるを得ない。だからどうやって鎖国をするかを考えたほうが良い。インターネットはフラットに世界とつながるのは一見理想主義に見えるが、大多数の人々にとっては不幸せになる。だから中国のグレートウォールなどを見習ってネット上に国境を作ることを考えるべき。世界がみんな同じになったらつまらない。

東浩紀氏:
世界が一緒になったらつまらないのは確かにそう、日本でガラパゴス的サブカルチャーが生まれているのは日本語という複雑な言語が障壁になっている為。しかし・・・これから鎖国を長期的に?

川上会長:
鎖国という表現は大げさだが、ネットの国境は作るべき、なぜか?
外国企業は日本の法律を守らずに日本でサービスをしている。(例としてニコ動は権利侵害している動画を自主的にパトロールして削除する必要があるが、Youtubeは言われたら消すというだけでよい。)ルールが違う戦いをしている。
国という形を意地したいのなら、ネット上のルールも国ごとに分けるべき。

東浩紀氏:
ネット上に国を作るのは難しい、国は各人の身体の安全と所有権を守るためにある。物理的なもの。しかし、ネットの情報として形がなくなった時に、地理的に紐付けられている境界(国境)は存在意義が無くなると思う。

川上会長:
ネットにおいて国という概念が成立しにくいのはその通りかもしれない、しかし経済活動で見ると、Amazonは分野によっては既に小売トップ。これからも比率はあがる。国の物流の大半部分を外国ネット企業が支配する、国の経済活動のかなりを日本の法律が及びにくいところにコントロールされる、それは国家が崩壊するのと同じではないか?その大変な事をみんな理解して受け入れているのか。

東浩紀氏:
考えずに受け入れている人が大半であると思う。
例えば自国の文化保護の為に、国産番組に一定の時間を割り当てるだとかやっている国もあるが、それも国が放送免許を割り当てていたから出来ていた事で、インター ネットがつながればハリウッド映画を見てしまうだろうし、それをコントロールするのは難しい。
保護を考えるなら、自分たちの国で作っているものは質が低くても受け入れろという事?

川上会長:
そうではなく、ネット上のルールについて、日本ではクーリングオフであるとか日本独自のネット通販ルールを作ろうとしても現実問題難しい。これからのネットルールは国ではなくてAmazonやGoogleが決めるようになる。青少年育成条例についても、Googleがアダルトを検索エンジンから排除するほうがよっぽどクリーンになる。それだけネット企業の影響力がある。

東浩紀氏:
それはこれからの政治がどういうものになるかという話だと思うけれど、国民国家単位の政治は縮小している。僕たちは多国籍企業にかなり支配されているが、それら企業の方針が世界の人々に影響を与えていて、表現さえも変えてしまう現実がある。多国籍企業をコントロールする事を考えると、もともと企業は政治的に選ばれたものではないので、米国企業でも米国市民が支配するのにも非常に遠回りになる。どの国に企業があるのかという問題ではなく、ここで厄介なのは、国家はある意味ではトータルパッケージサービスという一人の人間の生活の全部を面倒見るものだった。
多国籍企業はこの人のパソコン部門を支配、ファーストフード部門を支配 などのように全体の面倒はみないので権力の仕組みが違う。
世界中に散らばった市民のそれぞれの生活の一部を国境を超えて支配している多国籍企業に対して、グローバルな市民がどういうふうに影響力を行使していくか? という別の問題がある、これは国民国家の問題と切り離したほうが良い。

>何故切り離したほうが良いか?
本質的に関係がない。例えばAmazon米国にあったからといって、米国市民がAmazonをコントロールし、それによって日本市民をコントロールしているわけではない。

川上会長:
でも政府はやっていますよね?例えば米国でGmailの内容をCIAは全部見ても構わないというような法律があったりする。日本は出来ない。
様々な国があるが、多国籍企業、特にネット企業に対してどういう影響力を行使しうるのかという事は、少なくとも国民国家としてのテーマになるので日本も考えなくてはいけない。
ネットをコントロールすることを積極的にやれと言っているわけではなく、僕はゲーマーなので日本という国家を運営するゲームとして考えると、ネットを支配するのはゲーマーとしては正しい。米国や中国はこのネット時代にどのようにゲームをすれば良いのかはわかっている、日本はわかっていない。正しいかどうかは別にして。

東浩紀氏:
Googleのようなものを世界の市民がどのようにコントロールするかは、国民国家ではなく別のルートを考えなきゃいけないのかなと考えてしまう。Googleに支配されて良いとは思ってはいないが。 今までの仕組みとは別種に現れた公共機関みたいなものなので。

川上会長:
しかし、「国民を支配する国家」vs「消費者を支配する多国籍企業」という視点ではライバル。

東浩紀氏:
僕は範囲を分ければ良いだけだと思う。究極的には国家というのは国民生活の最低限ラインを守る、元々の国家のあり方に戻るべきだと思う。昔は夜警国家というか人が殺し合うトラブルを抑止する暴力装置でしかなかったが、19世紀~20世紀に国家のあり方がやたらと広がって、健康増進したり産業育成したり・・・それに必要だから国民調査とかやるとか、国家が人々をコントロールする領域が巨大になっていった。
>でも徴税権は最後まで守ろうとしましたよね。(Googleが世界で稼ぐマネーをアメリカ一国で徴税している兼ね合いでのツッコミ)
なぜ徴税権を守るかというと暴力装置の意地にカネがかかるから。

第一次大戦以前はパスポートが必要なかったという話を聞いたことがあるけれど、昔の国というのは結構いい加減なもので、ある地理的範囲に住んでいる人のトラブルを治める為に、金をまきあげる、みかじめ料をとっていた。住みたくなければ出てって良いけど住んでいる間は金を払えよという仕組み。その原則に戻ったほうが良い気がする。そうすればみかじめ料さえ払えば、どこで金を稼ごうが、国家にとっては関係ないという話になる。

川上会長:
ネットのみかじめ料はどうします?ネットの経済における国ごとの徴税権の配分も大事な問題ですよね。GoogleやAmazonがどこに税金を払うか?単純に大きな政府・小さな政府でとらえられる話じゃなくて、東日本はGoogleにあげるみたいな領土の問題、国の領土をどこにもってくるか。

東浩紀氏:
Googleに集まった巨大な富をどうするかという問題設定に変えるべきで、ダレが徴税するかではなく。もし日本にGoogleがあったら日本に税金を払っていると思うけれど、それは日本という土地で暴力的な関係を安定させるために払っているお金。それとは別に巨大な富は貯まっている。
その巨大な富を社会に還元させるかという仕組みを考えなきゃいけない。

川上会長:
そうであれば、日本に住んでいる人のネット圏内は日本の領土であると主張しなければいけない。領海領空とあるけれど、日本の領土を覆っているネット網内も日本の法律に従わなければいけないと主張するのは当然。

東浩紀氏:
現実的には、日本人のGoogle社員をもっと増やそう問題じゃないの? Googleの方針に影響力を及ぼす日本人を増やしていく方が直接だし、それ自体が一種の政治参加になっていくような捉え方をしたほうが良いのではないか。Googleに支配されるのが良いと言ってるわけではなく、地理的境界を持っている国民国家という装置を使ってコントロールをするのはカテゴリーが違う感じがする。
だから話に違和感を感じるのかもしれない。

川上会長:
すごく分かるんだけれど、僕はいま日本という国に感情移入しながら話をしているので。日本という国を経営するゲームと考えると、ネットも領土と考えるのが正しい。それを超えて、これから世界をどういったアーキテクチャで治めていくかを考えていくと東さんみたいな考え方もあると思う。しかし、そこまで考える前提まで世の中の人はなっていないと思う。

東浩紀氏:
なっていないと思う。これは一般意志2.0の最終章で書いている内容なので喋った。政治って何かという意味を変えるべきだと思う。一方で国家というのは水道局みたいなものになるべきで、水道は僕達の生活に絶対に必要なもので無くなったら困る。しかし普段は水道のことを意識しない。それはなぜかというと大前提であるから。
国家というのは生活の大前提の所を面倒見るものになるべきであると。その外側で文化活動やったりクリエイティビティをやったりお金を稼いだりしている。その外側で発生した富の分配システムというのはこれからは全く別の原理で考えなければいけなくなる。つまり情報もお金も物も国境を超えてしまうし、作品がどこで作られているかというのが地理的に紐つける事が難しくなってしまう訳だから。
>そんな事は無くGoogleの~ (話を遮られる)
今はそうです、今はそうですけれど。僕は原理を考えたいと言っているだけです。僕の考えでは原理的にはGoogleはどこの政府にも税金を納めるべきではないです。国境を超えたネット企業はどこの国にも税金を納めずに別の決定原理を考えるべきと長期的に考えている。今、現実にGoogleという国境を超える世界的なある種の公共企業がある時に、アメリカにだけ投下されているというのは全くその通りだと思う。
地理的にどこかのポジションにぜんぜん違う2つの原理をショートカットすることによって、お金流れや権力集中に歪みができているのが現状。その現状を前提にしてゲームをするのであれば、その歪みを利用して日本も戦略的に鎖国をするのは理解できます。
しかし、長期的に50年とかのレベルで考えるとそれは違うと思う。これからGoogleに似たようなものがどんどん出てくるときに、グローバルに流通するクリエイティビティとか、元々国境に関係無く動いているお金とかをコントロールする国境が無いシステムを編み出さないと・・・世界政府とか世界共和国というわけではないが―
例えばニコニコ動画にコメントを書いている人が、何人だとかどこの国から書いているかという事を関係無く一つのコミュニティを出現させる。そういうアドホックなコミュニティみたいなものが、政治的決定を持てるような仕組みを作って・・・というような事を考えているが全体的に夢想的な話で―

ここでタイムアップ。そして質問コーナーへ(質問内容は次の記事で。)


ここまでの内容で、理系と文系、経営者と作家、近未来と遠未来、当事者と傍観者(部分的に)。立脚地がそれぞれ違い、ポジショントーク的部分もあるかもしれませんが、「おもしろい」をセカイに広げるにはというテーマのおかげでしょうか、基本的に未来の話なので、聞いていてワクワクします。
まず、川上会長のYoutubeとのルールの違う戦いを強いられているという話について、そこからルールの抜け穴を探すのではなく直球勝負で権利者との折衝をして、JASRACやそれぞれのレコード会社と契約して使えるようにするとかしてサイト全体を健全化してきた訳ですが、その為にニコニコ動画の一つの特徴であったMAD文化という体の一部を切り落とすいう凄まじい決断をした事も、それが良いか悪いかはまた別の話ですが、強いられたルールを守りながらグローバル企業と戦う為の戦術だったと俯瞰できました。

その後のネット空間の国境について、多国籍企業とその企業が存在する国が持つ徴税権や、国境を超えたルールの違いについては、私は日本の法についてさえ疎いので感情的な話をさせて頂きますと、川上会長の言っていることには賛同できるのですが東浩紀氏がどうしてもオープンにいこうとする点が考えが理解できなかったのですが、最後に説明する「これは長期的に考えること、現時点では夢想的な話。」という意味合いでの補足があったことで、二度三度聞くことでなんとなく分かりました。しかし現状の米国最強企業が全世界のネット環境を実質支配している状況では、現状を変えていこうという提案自体が中々・・・対談の中で冗談めかして言う「Google社員になって中から変えよう」方式が一番現実的に考えられる策に思えてしまうのは悲しい。
どこに税金を納めるかはまだしも、日本から飛び出して多国籍企業と戦うときに、足かせになる法律があることで内向きとか言われるのはなんともやるせないのではないでしょうか。そうなると、話の中でも登場した、こちらから出ていくのではなく”来てもらう”方法、若しくは比較優位のあるオタクの歴史を持って戦える場を用意して勝負をすることが、ひとつの勝利の道に見えてきます。別に結果としては勝たなくても良いのですが、日本発のものとしてイニシアチブを握って世界に空間が広がる事が理想の拡大方法だと思います。
その空間はネット上においては既にニコニコ動画が存在するわけですが、「来てもらう」というリアルな場の提供、そしてそこに行ったことが、大袈裟に言うとアカデミー賞をとったような世界的価値であると世界にしらしめることが出来る― そんな場所を作るというのはちょっと面白くない?なんて夢想的な思いを私も巡らせます。
次回の質問コーナーのまとめに続き、このリアルな場と価値の創造について妄想を走らせます。

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