2012年5月7日月曜日

東浩​紀 川上量生対談を振り返る6(終)

質問コーナーとまとめです。
ニコ生思想地図「『おもしろい​』をセカイに広めるには」東浩​紀×川上量生
    http://www.nicovideo.jp/watch/sm15580519
公式まとめはこちら
    http://news.nicovideo.jp/watch/nw112807

質問:「仮に、文化を計量化出来たとして誰が特をするか?得たものはどう還元されるか?」

東浩紀氏:
文化を計量化できたらクリエイターは得すると思う。 それぞれの個人の中で職人芸的に2,30年かけてようやく培われてきた知が共有化されるという事なのでショートカット出来ると思う。ライトノベルと純文学の話で言うと、漢字かなの比率、単語の頻出度が数値化されただけでジャンルを横断出来ると思う。自動的に出来るかもしれない。例えば”ライトノベルに変換したったー”みたいなが出てきて、ラノベっぽくなるみたいな。

川上会長:
僕は理論で文化を作っちゃうと面白くないものが増えると思う、でも最初に僕がそれを作ったら僕が得すると思う(笑い)
似た話で、映画事業をやっているとある会社の社長と、映画の作り方について話した。「今までうちの会社の映画事業はとにかく駄目だ。10億円で映画を作った、10億円費用がかかったから20億円稼ごう!というビジネスをやってきた。しかし順番が逆だ、こういう作品を作るのだったら5億円くらい売上が上がる作品だから、2億円くらいしか製作コストはかけられないという作り方をするべき」という話を聞いて、鈴木敏夫さんにその話を話した。すると大笑いして「僕は古い映画人なので、前者だね」と言われた。ジブリ映画の場合は、かけたお金よりも稼ぐという発想で経営している会社なんですね。
経済原理と離れた活動をしている会社が多いというのがコンテンツ業界。電機や家電業界だとかは1位、2位、3位の会社は大体似ている。ところが音楽やゲームなどになると、カプコン・セガ・任天堂・コーエーとか個性がありすぎですよね?普通は同じ業界でこんなに個性は出ない。
ジブリは企業は本当に酷い経営をしているが、それが勝ってしまうというのがコンテンツの世界。ある意味で理屈に合っていない経営をしているのが良いと思う。文化が計量化されると面白いものが減るというのはそういう理由。

東浩紀氏:
それはクリエイションについてよく言われることなんだけれど、(評論家を20年近くやっているからそう思うのかもしれないが と前置いて)実際には文章を書く能力というのは、技をいくつ持っているかという事で、人々が思っているよりも職人芸に近い。自分の中に引き出しが沢山あって、このパターンならこうするという事を組み合わせる能力。定形にはまらないクリエイションは稀にしか起こらない、大抵の人は技を持っていないために疲弊していく。作品が構造化されて解ると、そこがショートカットできてクリエイターを自由にするはず。
野球を例に出し、何も知らない人間に「とにかくあのキャッチャーミットに向かって投げろ」と言われて投げ方を自分で編み出すよりも、有名投手のビデオを見てショートカットするような事。クリエイションの世界にはあまりそれが無い。

川上会長:
それについて思うのは、分業化してクリエイターがプラットホームと同率で存在する為には、ルールは決まっていたほうが良い。コミックや本とかがそうだけれど、フォーマットが決まっていて印刷技術を全く知る必要がない、ただモノを書けば良い。
しかし、ゲームとかネットはプラットホームの作り方を知っている人間がコンテンツも作る。そういう人間のほうが有利だから。スーパーファミコンでもプレイステーションでも新しいハードが出た後、ハードウェアの性能を活かしきったコンテンツは2,3年出なくて、だんだんとノウハウが溜まってきて技術力が平準化されて、そのあとは続編しか出なくなる、それで新しいハードが出る。という歴史を繰り返している。逆に漫画や小説はプラットホームが全然変わっていない世界である。
どちらが良いのか?
お金がかかるコンテンツを作るのであれば、プラットホームが変わっていくほうが良い。 そのほうがプレイヤー(製作者)が少なくなり、一つのコンテンツに対して上がる収益が大きくなるので大きな投資ができるようになる。
完全にオープンなプラットホームであるコミックや書籍だが、一つのコンテンツにかけるコストが小さくなる。誰でも参加できるから裾野が広がるけれど。そのどちらが良いのかという話。

東浩紀氏:
僕は書籍についてしか責任持って言えないけれど、 クリエイションは参入障壁は凄い低いので「なんとなく作りたい」で始められるが続かない。一発屋の小説家なんていくらでもいるが、それが2,30年持続することが大事で大変なこと。日本に欠けているのはその部分。昔は編集との人間関係や文壇という村社会があって守られていたが、今は崩壊してしまっているので、多少のマニュアル化があったほうが持続可能性が高まると思う。



質問:「ネットオタク文化が消えるという話があったが実感が湧かない、代表されるものにニコニコ動画があると思いますが、テレビ文化は衰退しniconico文化は目に見えて大きくなっている。10年後にテレビや新聞が消えたところで、さらにネット文化が消えてしまった時に日本はどうなっているのでしょうか。日本の地平線上に何が残ると考えますか?」

川上会長:
ネット文化は消えるのではなく、変わると思う。ニコニコは既に2回くらい死んでいると思っている。一番最初にYoutubeに切断された時に一回死んでいる。MADを削除した時に一回死んでいる。生放送を始めた時も生まれ変わっている。そういう新陳代謝を繰り返していくことで、物事は残っていくと思う。常に新しいことをやり続けるのはしんどいので、いつかループにしたいと思っている(笑い)忘れられた時にYoutubeにまたつなげたり(笑い)
そういうループしながら進化していく螺旋を作れないかを考えている。
はやくねぇ、もう一回動画を盛り上げたいんだよね。最初のニコ動を再現したい。

東浩紀氏:
新聞やテレビもそう簡単に無くならないと思う。5年で伸びたものは5年で無くなる可能性はあるけれど、100年続いたものは中々無くならない。

川上会長:
代わりになるものがそう簡単に出てこないと思う。

質問は終了。その後の思想地図β2を絡めた雑談での話。
東浩紀氏:
情報の価値はどこにあるかというと、情報量ではなく、複雑さ情報量の縮減ですよね。ババババーっと集めてドンっ「はい、あなたの方で料理してください」というのは商品価値は低い。

感想

ということで、途中にも書きましたが、テーマ「面白いを世界に広めるには」の回答は
「ローコンテクストだと広まりやすい、ハイコンテクストだと広まり難い」
だったのですが、結局それでは写楽のようにコンテクストから切断されて形だけが残り、その時代での文脈を含めた楽しみ方が残らない。残らなくて良いのかもしれませんがもしハイコンテクストな作品を残すのだとしたら、内輪の楽しみにせずに、新規参入を受け入れ続けて外の世界に発信して続く歴史にするという方法だと思います。一部では散々叩かれた村上隆氏が、海外に向けてオタク文化を翻訳して現代アートにしているみたいな活動をしていますが、これもハイコンテクストな文化を広げる行動の一つなのでしょうね。ただし、それを買う層・見る層に届いたからといって、果たしてその層にオタク文化が広がるかというと、あまりにハイソサエティな人々のために広がりが狭いとは思います。(ビッグマネーが動いて一気に流れを作ることが出来るという可能性は作るとは思いますが。)

ドワンゴ会長の川上氏の「もう一度動画を盛り上げたい」という発言、これが2011年9月。そして2011年12月のニコ動5周年に原点回帰を発表、そして現在2012年5月ニコニコ動画クラスタを賑わせているZEROwatchというプレイヤー実装に至る訳です。経営トップの思想が開発末端に行き渡っていないのか、時間が足りなかったのか分かりませんが、古くからのユーザーほど大変不評で、このまとめの中で出てきた、ネット上での発言力が大きい「怒る人々」が烈火の如く反発、その流れが出来た為に大きな反発になったのかなーというとそうでもなく、大多数が気に入っていないという反応。もちろん一部機能として良い物もあるのですが。
原点回帰の中で発表されたものの一つとしてクリエイター奨励プログラムがありますが、色々と問題が指摘されています。しかしこれには動画を盛り上げたいという意思が明確に表れており、これはシステム側から評価するためのマネーという実弾を突っ込んできた訳で、ここから動画投稿長者の先例が出てきて「動画投稿クリエイターが稼げる場所」という環境が認知される事で、新しいクリエイターの流入と、見る専門ユーザーだった人の動画作成チャレンジが増えるんじゃないかなんて安易に期待しています。
>新しいことをやり続けるのはしんどいので、ループしながら進化していく螺旋を作りたい
これはニコニコが成功モデルで参入障壁が高いという事からの考えかと思いますが、そうなるとYoutubeから動画取り込み(別サービスへの接続)、一部サービスの切り捨て(取捨選択)、周辺サービス機能の取り込み(ごっつぁん)、という流れがもう一度来ると考えて、さらに健全化の方向からすると、M&Aか提携が次の手のように思えてきます。具体的にあまり出てこないですがPixiv、ピアプロ、こえ部とか?競合する部分が多く、双方が既にコミュニティを築いていると思うので、統合ではなくサービスを横断して双方のユーザが移動しやすくなるようなパイプ作りのような提携でしょうか。でもそういう方向で考えると、やっぱり海外サービスとパイプ作りたいと思っちゃう気がしますね。

一つ浮かんだお風呂で思いつく妄想レベルアイディアとしては、「海外に出ていくのではなく来てもらう」という点が1つ、そして最近行われたニコニコ超会議にて枝野経産大臣の発言「官の押し付けではクールジャパンは広がらない」みたいな事を仰っていた点が2つ目。(この部分はネットニュースではあまり無い)
この2点から、クールジャパンの予算を引っ張ってもらって、オタク文化の聖地的空間、権威を与えるイベントを創造する仕組みに出資してもらうというお話はどうかなぁと。
具体的には、映画祭のようにマンガ、アニメ、コスプレ、小説などなどをエントリーしてもらって、それぞれの国でまず代表を決め、そして日本にて最終決戦、各国勝利と優勝者はアキバに用意するショップで作品を商品として販売する権利を獲る(グランプリ作品は各国翻訳して販売する)
経産省には口出しせず金だけ出してもらって裏方に回ってもらって、メンツのためにパンフの最後に名前入れて、議決権無い株式だけ持たせておくみたいな。
という事を行うことで、日本で認められる事が世界で認められることに空気としてではなく、しっかりとした仕組みとして作ってしまう。そうすれば確実に追い上げてくる中韓も一緒に切磋琢磨する仲間でありながら、イニシアチブを抑えた状態で世界戦略を進められるという妄想です。
イベント名前には日本アカデミー賞みたいにジャパンという国名は付けない、そうしないと各国でやられてしまうので、「もうこれは世界的にここしか無いんです。もしあったとしても国名がつくのは二流なんです」というアピール。例えばOtaku Grand Prix 2012みたいな。

普通は売れる物があるのだから、その販路を開拓しようというのが基本戦略だとは思いますが、そうではなくて圧倒的優位にいるうちに標準規格を抑えて足場・場所を抑えてしまおうという呑気な考えでひとつどうでしょうか。

さて、これで一区切りです。もたついているうちにニコニコ超会議の話題もネタに加えてしまいましたが、次はニコニコ超会議での音源を確認しながら思ったことを追って行きたいとおもいます。

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