2012年4月20日金曜日

東浩​紀 川上量生対談を振り返る1


移動する予定が多かったので、道路脇に咲く花々に見とれて事故りそうになる季節ですがいかがお過ごしでしょうか。長野県も広いですけれど、やっと平地では桜が見頃になりました。山の上の方ではまだ雪が残っていてお花が咲くどころではありませんが。
今まで溜めにためてきたニコニコ生放送関係の録画をiTunesにぶっこんで移動中に聞いて消化しているのですが、なんとも深い話ばかりでいっぺんに聞き切る事と、頭の中で自分の解釈をするという事ができない放送ばかりです。 ということで話題ごとに幾つかに分割します。
しかし、それでもまとまらないので、本当に読みづらくなります。と先に予防線を張らせていただきます。
ニコ生思想地図「『おもしろい​』をセカイに広めるには」東浩​紀×川上量生
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15580519

公式まとめはこちら
http://news.nicovideo.jp/watch/nw112807
(なんと2011年9月の放送・・・参りますね。自虐はせずにスルー。)

もうDVD/BDが今年6月に出るのですが、放送当時は劇場公開直後の「コクリコ坂から」の感想から始まります。
抗議や社会運動のような行動を結果あるものにするためには、女性のパワーを取り込むと爆発するor成功しやすい。(メルちゃんと呼ばれる女性主人公が、古くなった高校の寮の保存運動に加わる事で活動が劇的に進むことから)
そこから派生して、ドワンゴ会長であらせられる所の川上会長が「ニコニコ動画もターゲットは女性、でも女性を入れると男は怒る。」とぼやく。ネット上では発言力はもの凄いあるけれど、リアルな人数としては100万人いないくらいの人々を「ネット原住民」という言葉を使って表現していた かわんご氏の言動と重なりますが、その怒る人々は東浩紀さんの言う「ハイコンテクスト過ぎるネタを使った遊び」をしている場に、女が入ってくることでその場が壊されてしまう事を嫌う。という。

一般化するとそういう考えに至るのかもしれませんが、おそらく女性が入ることでそのハイコンテクスト化が、やおいであるとかBL、擬人化、カップリングにより加速する場面もあるのでは?と思いました。もちろんそれは多くの怒れる男性が楽しめないネタに変換される事により、異次元のネタへと料理されてしまうので、同じハイコンテクスト空間に居ながら分かり合えないという断絶を生んでいるのだと思います。

 そこでそのネットカルチャーの最先端にあるニコニコ動画がこれからどうなっていくのかを川上会長に聞くと、むしろそれは東さんに教えてほしいと逆に質問を投げ返す。

川上会長の「同じハイコンテクストの講談速記本の文化が潰えてしまったのはなぜか?」という問に対して、
「ハイコンテクスト化が行き過ぎると、内輪での遊びになってしまい、複雑になったものを理解できない新規さんがいなくなる。そしてその文化は崩壊する。オタク文化も同じ道を辿るのではないか?」という答え。
とは言っても東浩紀氏はオタク文化自体は滅びても問題無いけれど、話の流れで後世に伝えるにはどうしたら良いかといった立場に立って話してくれる。

東さんは宇野さん主張として「コンテクストを豊かにすることでつまらないものを面白くする事ができる。そのことによってつまらない日常を乗り切るんだ」と言っている と説明。
しかしそれだと何も残らない。 何かを残そうとするとコンテクストを剥奪しても残る物でなければならないことを考えると、 複雑な文脈で消費する事が豊かであると信じるその空間から、外に出た時にも単純に評価される物になってしまう。

講談速記本については資料があまりないので詳しく語れないが、江戸時代では「この作家がこの役者の演じるこのキャラクターの絵」というものすごい複雑な楽しみ方を浮世絵でしていたと例にして話をすすめる。庶民の中では歌川豊国が一番(うろ覚えらしい)だったが現在浮世絵で出てくる名前は写楽。写楽は外国人が発掘してナンバーワンのようになったが、外国人たちは江戸時代の庶民のような楽しみ方はせず、単純にその大首絵の画面の使い方と色合いを評価した。
「作品や文化が残るということは、コンテクストから切断されて物だけが残るということ。コンテクストというのは時代の空気や社会に支配されている。」

しかし複雑化しすぎた事による崩壊はもう始まっているのかもしれない。しかもなぜか内部から。
 アニメオタクの教養とか知識とか経験とか http://togetter.com/li/175173

んでハイコンテクスト、つまり複雑な要素・ネタがからみ合って実はこの作品のあのシーンのあのキャラのセリフをパロっていてとか、あのキャラの造形はあの小説から来ていてとか、別の作品の声優さんのネタからきていて・・・みたいな物は普通に楽しんできたのですが、それが通用しなかったことがちょっと心に引っかかっているので吐き出させて頂きますと、コードギアスというロボットアニメがありまして、そこで紅蓮弐式という機体から紅蓮可翔式という機体に乗り換えるシーンがあるのですが、そのシーンがどう見てもダンバインという同じロボットアニメのダンバインという機体からビルバインという機体に乗り換える、リアルロボット系アニメにおける主人公機体の乗り換えという歴史的シーン(ボトムズの話置いておいて)そのまんまなんですよ。
そしてコードギアスを見ていた時期にはTwitterなんてものはやっていなかったので、実況板の該当のスレッドを見て「これダンバインじゃーん」と書き込むわけですが一切反応がない。アレ?誰もわからないのかな・・・若しくは記憶違いなのかな・・・みたいな不安に陥っていよいよアニメ板まで行って専用スレで書き込むと、3分後くらいに「>>おっさんかよ」という レスが付きまして凄く喜びました。「分かるよねお前もおっさんだよね」と返す喜び。(といっても再放送世代なのですが)

つまり何が言いたいかと言いますと、複雑であれば複雑であるほど、それが分かる仲間意識というのが芽生えて快感を感じてしまう。そしてその快感を味わっている集団の中に女性が現れてドヤドヤと踏み荒らすことそれを「怒っている」と表現していたんだなぁと、そう理解できたんです。

と言うことで全然話が進んでいませんがお時間です。次回は「もう一度動画を盛り上げたい」という川上会長の発言から、クリエイター奨励プログラム、超会議、超パーティーに話が行けたらいいなぁ。

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